第7話 君は勘違いをしている
「まあ、そんな所だ。そうそう、忘れていた。今日は君への行動制限が解かれたことを伝えに来た。この島の中ならどこでも自由に出歩いて良い。桟橋の見張りの騎士は、私と一緒に城へと戻る。それから公爵閣下の差し入れで一週間に一度、小麦粉を一袋持ってくることになった。これで少しは栄養が補えるだろう」
「どういう風の吹き回し? 私は逃げないけど、見張りの騎士さんたち、職務怠慢にならないの?」
「見張りをやめるんじゃない。湖の東の端に監視塔があってね。そこに騎士たちを詰めることにしたんだ。だから君が湖を横断しようとしたら、すぐに駆けつけて捕まえる」
リンゼイがふふんと唇の端を釣り上げて笑った。
意地悪そうに。
「大変ね、ご苦労さま。でも私は水が苦手なの。湖に出ようとも思わないわ」
「そうか」
私は台所の片隅に小さな紙袋が置かれていることに気付いた。
例の差し入れの小麦粉袋のようだ。
「ねえリンゼイ……さん」
「リンゼイでいい」
「あ、はい。どうして私のこと……援助、してくれるの?」
きかずにはいられなかった。
幽閉扱いの罪人に、王子様の側近である人が、自ら食材を届けてくれるなんてありえないもの。ねえ。
「ああ。君がエリス様を『過失』で『毒殺』という罪状なんだが。侍医の見立てではエリス様は病死と思われると王子が言っていた。それを受けての《《救済処置》》で、必要最小限の食料や物資の差し入れが可能になった」
「じゃあ……私は!」
静かにリンゼイが首を横に振った。
「国王陛下は差し入れを認めて下さったが、エリス様が病死であるという判定は納得されなかった。君がエリス様の枕元で焚いた香が、彼女の死と全く関係ないと実証されない限り、有罪判決は覆らないとの仰せだ」
「……そんな!」
「私は君のお母さんの所へ相談しに行った。だが彼女も香の有毒性は否定しなかった」
私は少しショックを受けていた。
母は私のこと、心配しているとは思うけど。まだ見習いの私と違って本職の母ですら、香の有毒性を疑っているなんて。
「……そうね。エリス姉様は病気で体力が弱っていた。薫竹の炭の粉の有毒性は別にして、マロウ銀葉樹の葉は、呼吸神経に作用して深い睡眠状態に陥ることが稀にあるらしいわ。呼吸が止まってしまう原因が、私の焚いた香のせいなら……」
「ルシリカ。君がエリス様の枕元で焚いたという香。もう一度作ることはできるか? 君のお母さんなら作れるかと訊いてみたんだが、調香の配分は君のオリジナルだから再現できないそうだ」
「材料と器材さえあれば、ここで作れるわ」
「わかった。お母さんの工房に行って用意してもらう。他に欲しいものは?」
「あの」
私は胸を押さえた。初めてじゃない?
要望をきいてもらえることなんて。
「手紙を……書きたいの」
「袋の中に紙とペン、インクが入っている」
「ありがとう。母にお礼の手紙を書いていい?」
「ああ」
「ついでに材料もメモしておくわね」
「了解した」
私が手紙を書く間、リンゼイは黙って暖炉の火を見つめていた。
本当は、いい人……なのかな?
だってここに連れてきた時、私の手首を縛っていた縄は手が抜けそうなほど緩かったし。
「書けたわ」
「預かろう」
私は手紙を二つ折りにしてリンゼイに渡した。
彼はそれを注意深く、上着のポケットにしまった。
「一つ訊いてもいい?」
「何だ?」
「エリス姉様は……王子宮でさみしいって言ってたって」
リンゼイがふうとため息をつく。
「カランサス王子とご結婚されたのがちょうど一年前だったな。君は王太子妃になったエリス様と会うことは?」
「いいえ。ご結婚の時、お祝いに行ったのが最後。最近じゃ、三ヶ月前から体調を崩されていると、父の公爵様が母の店に来た時にお話されていて、私、エリス姉様に手紙を渡して欲しいって頼んだの。会いたかったから。それで姉様が希望するなら、あなたの好きな香を作って持って行きたいって書いたの。公爵様はエリス姉様に私の手紙を届けてくれた。手紙を言付けて1週間後に返事が来たわ。侍女のカルミア様も、子供の頃私が作ったハーブティーが久しぶりに飲みたいって言ってたから、会いに来て欲しいって。それで私はエリス姉様の好みの香を作って行っただけなのに……」
「そうか。まさかそれが今生の別れになるとはな。気の毒に」
「あ、はい……」
「じゃあ君は、侍女のカルミア伯爵令嬢とも知り合いだったのか?」
「ええ。子供の頃少しだけね。今から七年前かな。私は下町に住んでいるけど、勉強は公爵家でしなさいってお父様に頼まれて。週に一回、お屋敷に行ってたわ。エリス様が十七歳。カルミア様が十六歳。私が一番年下の十五歳だったわ。それで勉強が終わったら、エリス姉様の作るおやつと私が淹れるハーブティー目当てで遊びに来るカルミア様と三人で。お茶会をよく開いていた」
目覚める前に見ていた夢が脳裏に蘇ってきたわ。
あの頃は本当に楽しかった。勉強は嫌いだったけど、エリス姉様に会えるし、美味しいお菓子も食べられたし……。
「エリス姉様はカルミア様と仲が良かった。エリス姉様は賢くて語学も堪能だけど、ちょっと大人しくて、自分より他人を優先しがちだった。けど社交的なカルミア様がそこを上手く補佐していたわけ。だからエリス姉様は王太子妃になった時、自分の侍女をカルミア様にして欲しいって国王陛下にお願いしたってきいたわ。侍女って困ったときの相談役も兼ねているんでしょう? 子供の頃からよく知ってたカルミア様がそばにいて、王子様と結婚して……それなのに王子宮で過ごすのがさみしいって……どういうことかしら。私は、お城務めってよくわからないけど」
「そうだな。王太子妃となると、公爵家の令嬢の立場と違って、直接諸外国との外交も担う。環境が変わって、お城に上がってから体調の優れない日が続いたとも聞く。王子もそれをお気にされてはいたな」
「お城ってやっぱり窮屈そう。私は一時間いただけで帰りたくなるもの。ねえ」
私はリンゼイに呼びかけた。
「私がエリス姉様に焚いた香をもう一度作ったら成分を調べるの? その結果、やっぱり私の香が原因で亡くなったのなら、ずっとここにいなくちゃいけないのよね?」
「ルシリカ」
リンゼイがじっと私の顔を見ていた。
「君は勘違いをしている」
「えっ?」
「香を数分嗅いだだけで呼吸が止まるのなら、その場にいた君だって息苦しさを感じたはずだ」
「そうね。でも私はなんともなかったわ。健康だけが取り柄だし。息苦しいっていえば、カルミア様が部屋に入ってきた時、少し咳き込まれたの。それでカランサス王子様が私の香炉を窓から投げ捨ててしまったわ」
「私はその場に居合わせた部下の騎士にも事情をきいた。森の中にいるような清々しい良い香りがしていたと全員が証言している。咳き込んでいたのは侍女のカルミアだけだったと」
「香りにも好みがあるからね。エリス姉様はお花の匂いが苦手で、頭が痛くなるから嫌がってたわ。カルミア様は木や森の香りが苦手なの。私が焚いた香は、木や森の香りをイメージしたものだったから、彼女が息苦しさを感じても仕方がないかな。だからね、勉強の後のハーブティー選びがこれまた本当に大変だったの。二人が飲める香りのものを作らないといけなかったから!」
「わかった。じゃ、私はそろそろ帰ることにする。次に来る時、香の材料を持ってくる」
「はい。今日は来てくださってありがとうございました。あなたは命の恩人です」
私は頭をぺこりと下げた。
本当のことだもの。
リンゼイが母のシチューを持ってきてくれなかったら、私はきっと死んでいた。
「ルシリカ……」
リンゼイが何かを言いかけたけど、私が頭を上げたら黙っちゃった。
なんだか小動物を見るような目で私のこと見てるけど。目が合うと気まずそうに戸口に向かって歩き出しちゃった。ちょっと素直に言い過ぎたかな?
「近い内に来るから待っていてくれ」
「はい。お待ちしています」
私は扉を開けて外に出たリンゼイを見送った。
私は決してひとりじゃない。
今日は本当にそう感じた。
母や公爵様やリンゼイ……。彼らが私の無実を信じて動いてくれている。
私は生き延びて、必ずエリス姉様の死の真相にたどり着くんだ。絶対に。
――ガタガタ!!
「なに?」
今、上の方……三階から音がした。
例えば椅子に座っていて、立ち上がるような。
ちょっと待って。
上は誰もいないはず……なんだけどな。