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第6話 お茶会とキノコシチュー

  私は夢を見ていた。

  まだ十代だった子供の頃の夢を。



 ◆◆◆


 今日はファーデン家のお屋敷で、週に一度ある勉強会の日。

 お父様――ファーデン公爵が私に言ってくださったの。

 読み書きと行儀作法の勉強をエリス姉様と一緒にするようにって。


 勉強には興味があった。母から香草について教わる傍ら、先人達が残した植物の資料本を読むためには必要なことだったから。

 それから公爵家の図書館にも図鑑が置いてあって、行儀見習いの勉強が終わった後、自由に閲覧できるのも楽しみだった。


 お勉強は読み書きや計算など。午前十時から十二時までみっちり二時間。

 お昼の食事休憩が十二時から一時まで。

 その後、礼儀作法や私には不要なんだけど、ダンスのレッスンなんかがあって。

 午後三時にそれらが終わるの。


 そうしたら、私とエリス姉様は急いで図書館の外の中庭へ向かう。そこにはエリス姉様の幼馴染で伯爵令嬢のカルミア様が来ていて、私達が来るのを待っているの。

 私達の密かなお茶会に参加するために。


「今日は何のお茶かしら~楽しみね、カルミア」


 青みを帯びた長い銀髪を揺らし、エリス姉様がラベンダー色の瞳を細めて笑っている。薄紫色のふわりとした白いドレスに身を包み、私みたいに足をばたつかせることなく優雅に椅子に腰掛けている。


 中庭にある休憩所はドーム型の屋根がついていて、大理石の柱には赤や黄色、桃色の花を付けた薔薇がいくつも絡みついて芳醇な香りを周囲に漂わせている。

 ファーデン公爵家にはもっと広いお庭があるけど、私はこちらの方が好き。隠れ家みたいで、お天気がいい時はここで図書館の本を読んだりするの。


「うんうん。わくわくですわ~。ルシリカの淹れてくれるハーブティーって素敵よね。ねえエリス、私、蜂蜜を入れたら、青いお茶が紫に変わったの、びっくりしたわ」


 今日のカルミア様、髪型が可愛い。綺麗な紅茶色の髪を頭の後ろで一つにまとめて、くるくると結い上げているんだけど、金とラピスラズリの石が嵌められた髪留めが蝶の形をしているの。お衣装はシンプルなお出かけ用のクリーム色のドレスと薄紫色のストールを日除けで肩にかけている。


 うわ。カルミア様が青い瞳をきらきらさせてこちらを見てる。

 私は銀の配膳台を自分で押しながら、お二人が待つテーブルへ近づいた。


「まあ、綺麗なラベンダー色と、かわいい香りね」


 エリス姉様がお茶の香りに気付いたみたいで、レースの手袋を嵌めた手を胸の前で合わせている。


「甘酸っぱい……まるでイチゴみたい!」


 私は微笑みながらガラスのティーポットを机の上に置いた。


「カルミア様、惜しい! 今日はルシリカちゃん特製の、『願いが叶う★ハーブとラズベリー』のお茶ですよ」


「願いが……叶う?」


「それは素敵ね。じゃあお茶会を始めましょう。ルシリカ、カルミア。今日のおやつは私が焼いた林檎とカスタードクリームのパイよ」


 それぞれのティーカップにハーブティーを注いで、私は配膳台に載っているお菓子の皿に目を向けた。銀の蓋がしてあるから中身は見えないんだけど、うふふ~地獄鼻のルシリカちゃんには、匂いで勿論わかっていました。


「うれしい! 私、エリス姉様が焼いてくれる林檎のパイ、大好き!」


「私は……どうかしら。ほら、今日もちょっと焦げてるし、切り分けたのもあなたが?」


 カルミア様が肩をすくめて、それだけが残念といわんばかりに小首をかしげた。

 銀の蓋を外して姿を現した林檎のパイは、確かにカルミア様の言う通り、ちょっと不細工な見た目だった。


「ごめんなさい。料理長に教えてもらってるんだけど……火加減が難しいし。パイも包丁を入れると崩れてしまったの」


 エリス姉様が眉根を寄せて目を伏せた。

 確かに、今日はいつもよりちょっと焦げちゃっているかな。でもサクサクしていて中に入っている林檎のジャムがとろりと出てバニラで香り付けされたカスタードクリームと絡まった甘みは、もう天にも昇る幸せ……!!


「エリス姉様、気にしないで。お腹に入ったら見てくれなんか関係ないわ。それに林檎のジャムの甘さが酸味のあるハーブティーの香りを引き立てくれるから、すごく美味しいと思うの」


「うふ。褒めてくれてうれしいわ。ありがとう、ルシリカ」


 私はエリス姉様の隣に座って、焼き立ての林檎のパイを口に入れた。




 ◆◆◆


「エリス姉様……林檎のパイ……」


 うん。確かに林檎の香りがする。

 それから、もっと、《《もっと大好きな》》匂いがするんですけど。


 ルシリカ、起きなさい。

 起きないと絶対後悔するわよ!


 ――エリス姉様?

 私はふと目を覚ました。

 あれ? 私、いつ眠ってしまったんだろう。

 暖炉の火がぱちぱちと爆ぜている。

 そしてそして。

 暖炉の鍋から美味しそうな……こっ、これは好物のキノコシチューの匂いではないかしら!?

 とろりとしたコクのあるホワイトソースとミルクの海に、これでもかとマッシュルームがぎっしり入っていて……。

 ん?

 私の視界に影が落ちて鍋が消えた。

 いや、誰かいる。黒髪で、暖炉の炎に照らされながら、綺麗なペリドット色の瞳が私を見ている。私は彼の名前を言おうとしたが、鍋が隠れたことにとてつもなく不安を感じた。


「母様のキノコシチュー……どこへ、隠しちゃったの……?」

「気づいたか?」

「ほえ……?」


 あら、なんか目の焦点が合わない。

 誰だっけ。名前がすぐに出てこない。顔はわかっているのに。

 起き上がろうとしたけど、力が入らない。

 すると黒髪の彼が私の肩を掴んで、上半身を起き上がらせてくれた。

 でも私、自分の体を支えられないみたい。そこで暖炉に背中を預けるかんじで寄りかからせてもらえた。

 さっきより顔が近い。

 ああ、なんだ。王子様の側近の人。リンゼイって言ったっけ?


「君は栄養失調で死にかけている」

「……だから?」

「今日は黙ってこのシチューを食べてくれ」

「どういうこと? ああ、エリス姉様の……毒殺の罪を認めろってことね?」

「ルシリカ、違う。私も君の無実を信じている」

「えっ」


 その一言で濁りかけた意識が少しはっきりした。

 リンゼイは私の顔を訝しげに覗き込んでいた。


「エリス様が……君のことをいつも話していたんだ。母親は違うけど素敵な妹だと。王子宮はさみしくて、君とずっと話したかったと……」


「あなたはエリス姉様と会ったことがあるの?」


「ああ。私は近衛騎士団の隊長でもある。王族を護衛するのが私の仕事だから。でも今はそんなことどうでもいい。君のお母さんとファーデン公爵閣下にも頼まれて、今回限りの約束で差し入れを持ってきた」


 私がぼうっと見つめる視線の先で、リンゼイはいつのまにか木の椀を手にしていた。白い湯気がホカホカと上がって、より強くキノコシチューの香りが周囲に漂う。


「まずは食事が先だ」

「あ。はい……」


 リンゼイが木匙でシチューを掬い、ふうと息を吹いて冷ましている。

 ぽいっと。

 口の中にそれが押し込まれた。私はまるで鳥の雛が親から餌をもらうように、ぱくりとそれを飲み込んだ。

 懐かしい味と香りが口の中いっぱいに広がっていく。

 ああ。何日ぶりかな。

 料理といえるものを食べたのって。


「ほんとうだ……本当に母の……キノコシチューだわ」


 その一口がきっかけで、私は暖炉に寄りかかっていた体を起き上がらせた。

 リンゼイが何かを言いかけたが、私が大丈夫そうに見えたのだろう。小さく頷くとシチューが入ったお椀を持たせてくれたので、私は少しずつ、ゆっくりと味わってそれを食べた。

 



◆◆◆


「ありがとうございました。お腹が減っていたので……とても助かりました」

「いや。間に合ってよかった。私が部屋に入った時、君は暖炉の前で倒れていた。火も消えかけていたしな。危ない所だった」


 リンゼイはそう言って、机の傍の椅子に腰を下ろした。

 白いマントに黒い騎士の服。いつもと同じ格好。腰にきらりと剣の柄が光るのが見えた。


「あ、林檎……」


 机の上には赤い林檎が三つ載っていた。


「島で採れる食材にも限りがあるからな。また後で食べてくれ」

「わかりました」


 一応命の恩人だし。私は素直に頷いた。

 はあ。なんだか私、何してるんだろうなあ。

 一人で何とかやってみせる。そんなことを思いながらこの島に来たのに。

 これが現実ってやつかしら。

 パチパチと爆ぜる暖炉の火しか聞こえない。

 私は沈黙が気まずくて口を開いた。


「あの……今日は私への差し入れを持ってきたことが、来訪の目的ですか?」

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