第4話 湖の孤島へ
湖から見えた島は小さく感じたけど、実際に上陸してみるとかなり広いみたい。
小船が繋げられるようにしっかりとした石造りの桟橋がある。そのまま視線を上にたどると、三角屋根のレンガ造りの建物が木々の間から見えていた。
小船から降りるように促されて、私はよろけながら桟橋に降り立った。
そのまま、小船には二人の見張りと思しき騎士が残り、私の両手を縛った紐を握った黒髪の若い騎士が口を開いた。
「この道を上へと進む」
彼の顔には見覚えがあった。城の地下牢に閉じ込められていた時、私を迎えにきた騎士だ。国王陛下の裁定を聞いている間は、私の後ろに立って余計なことを言うと肩に手を載せて「黙っていろ」といわんばかりに掴まれた。
話し方がとても事務的で一方通行な人だからよく覚えている。
だけど……悔しいことにとてもきれいな瞳をしていらっしゃる。まるで宝石のペリドットのような鮮やかな黄緑色。
私は職業柄、出会った人のことを香りで例えるんだけど、実直そうな雰囲気が、清涼な青葉や樹木の香りをイメージしちゃう。
彼の端正な横顔を眺めてそんなことを考えていたせいか、私は立ち止まっていたのかな。手首で結ばれた捕縛紐がぐいと引っ張られた。
「何をしている? 船に乗って酔ったか?」
「だ、大丈夫です」
私は慌てて騎士様の後ろを歩き出した。
間違っていても見惚れていたわけじゃない。
そうだ。この島がなんか空気が変わっているような気がするのよね。まるでこの世とあの世の境界にあるような……不思議な感じがするの。
うまくいえないけど、匂いかな……。
騎士様の後ろについて歩くと、三角屋根の建物への道は石畳で舗装されていた。
うん?
匂うわよ。これは……。
あっ。あれ。細長い葉っぱの茂みがあるけどレモニール草じゃない? 爽やかな柑橘系の香りして誰にでも人気がある香草なの。
えっ。季節じゃないけどラズベリーも生えてる?
道端に生えている植物の茂みを見つけると、つい香草を探してしまう。職業病ね。
裁定の時に言われたけど、私はこの国での『香職人』資格を有していない。
悔しいけどギルドに認められない以上、どんなに知識があろうと自称なので素人だ。仕方がない。
でもこの国にいるかぎり、あのギルド長は絶対に私に免状を出してくれないのだ。
ましてやエリス姉様を毒殺した罪人となってしまったからには――。
私が香草を探してキョロキョロしている間。黒髪の騎士は目の前に現れた石階段を上に登っていく。三十段ぐらいかしら。島の高台まで登り詰めると、湖から見えた建物があった。
年月を経て風化したレンガは所々ヒビが目立つけどしっかりしていそう。
思っていたよりも大きい。三階建ての石造りの塔。ひょっとして私の家より大きいかも。ちなみに一階部分は木製の観音開きの扉がある。農機具とかしまえそうな納戸のようね。その隣に外階段があって、二階部分が居住空間みたい。
あれ?
二階の南正面に大きな窓があるんだけど、屋根の梁の部分に先が輪っか状に結ばれた、古いロープがぶら下がっている。
不気味。だ、だっていかにもあのロープで誰かが首を……。
「マルカ、お前は扉の前で見張りに立て」
「はっ」
先を歩く黒髪の騎士が、私の後ろに立っている茶髪の若い部下に命じた。
「ようこそ。ここがお前の幽閉先だ」
がちゃりと扉が開けられる音。途端、もうもうと白いものが床から舞い上がって私の方へ吹き込んできた。
わ……やだ。埃っぽい!
「クチュンッ……! クチューン!! クッチューンチュッ!!」
私はたまらずくしゃみを連発する。目もしょぼしょぼする。
「だ、大丈夫か?」
怖そうな声色が形を潜めて黒髪の騎士がぎょっとしたように言った。
「私、ホコリが苦手で……クッ、チュンッ!」
「お、面白いくしゃみだな」
「うっ……うるチャ……クチュンッ!」
おかしなくしゃみが出るので人前では恥ずかしいのよ。
口元を覆いながら騎士の方を見ると、やはり口の端が上がっている。
笑っているわね。ちょっと腹立つ。
視線が合うと騎士は笑いを噛み締めながら、急に戸口の方へ顔を向けて私の視線を避けた。
何? 笑いを我慢しているって私に思われたくないのかしら。
「扉はこのまま開けておく。ここが使われるのは百年ぶりだから、埃はまあ我慢してくれ」
「ひゃ、百年……?」
彼は私の手首に結ばれた捕縛紐をほどいた。私は両手をさすった。少し手首が赤くなっているけど、そんなにきつく縛られていなかったので大丈夫。気の所為かな。建前のために縛られていたような……?
「桟橋や船。建物の出入口にも、私の部下が君を見張っている。ここは湖のど真ん中にある孤島で、船がないかぎり逃げることはできない」
「私は逃げないわ。心配しないで」
「いい心がけだ。ついでといってはなんだが……」
黒髪の騎士は瞳を細めて私の顔を見つめた。どうしてそこでそんな笑顔を見せる。
一瞬のぞかせたその微笑は、鋭さを帯びたペリドット色の瞳のせいで瞬時に消えた。
「エリス様を毒殺したのは何故だ? それを素直に言えば、一週間分のパンと新しい寝具、着替えを用意する」
「はあ? 私はエリス様を殺していないって何度も言っているでしょ?」
「お前の無知さには頭が痛くなるな。ここに幽閉される意味を理解できているのか? 一生だぞ? どうして国外追放にしなかったんだ? ここから出られるのは、お前が死んだ時だけなのだからな」
あらこの方とても饒舌になってる。しかも今までは事務的な話し方だったのに。ちゃんと感情をこめて言うことができるのね。少し安心したかも。
「わ、わかっているわ。でも何故そんな事を言うの? 私を心配してくれてるの?」
「そうではない。私の主人――カランサス王子が、エリス様を何故毒殺したのか。その理由を知りたがっているからだ」
「ふうん。王子様は私をどうしても『毒殺犯』にしたいようね。あなた、本当に王子の側近なの? 私はあなたが誰か知らない。そんな人に自分の内情を語る気持ちにはなれないわ」
「そう言われればそうだな。すまなかった。私は近衛騎士のリンゼイだ。当面、お前の監視役をするよう王子に仰せつかった」
「よろしくというのは変かもしれないけど。リンゼイさんね。ご挨拶ありがとうございます」
王子の側近か。じゃあ私にとって敵かしら。
「裁判の時にも言っているけど、亡くなったエリス様と私は異母姉妹。父のファーデン公爵様は私が十四歳の時に実子として認知してくださったけど、お屋敷に行くのはお断りしたわ。私は母様と一緒に『香職人』の仕事をしたかったから。公爵様は私の意思を尊重してくださった素敵な方。その後はエリス様にお薬を届けたりしていて、お茶をごちそうになったり、お屋敷に泊まることもあったわ。エリス様は私を妹として可愛がってくれた……その私が、エリス様を……姉様を毒殺だなんて……」
ああ、もう。そろそろ限界だ……。
私は鼻水をすすって(これは埃のせいで出たの!)扉の外を指さした。
「リンゼイさん。監視をするのも帰るのも好きにして下さい。私は逃げないから、今日はもう出ていって」
騎士リンゼイは暫し黙って私の顔を見つめていた。
何よ。心配していないのなら、何故そんな目で私を見るの?
「ルシリカ」
「えっ」
びっくりした。
まさか、名前を呼ばれるなんて思わなかった。
「この島は小さいが、実は未知の生物も棲んでいて危険だ。警護のために今夜は私の部下が扉の外に待機している。何かあったら遠慮なく言うが良い」
「ありがとうございます。でも、私なんか早く死んだほうが、あなた達も仕事が終わって嬉しいでしょ?」
リンゼイがむっとするように口を固く結んでいる。
「親切心で教えてやったのに」
「お礼は言いました」
「一つ言い忘れた。王子の温情で、君は建物の塀の内側と、湖の渚を出歩く事は許されている。扉の外の騎士は明日の朝、島からいなくなる。では、また様子を見に来る」
リンゼイが扉に立つ部下に目配せをして出ていった。
「だいぶ埃が外に出たみたいだから、扉を閉めるわ」
私は見張りの騎士に声をかけて扉を締めた。
一人きりになりたかったから。
いえ、これからずっと……私は死ぬまで一人っきりでここで過ごすのよ。
ため息をつきながら私はやっと部屋を見回した。
温かな気配がする。リンゼイが暖炉の上にランプを残してくれている。
大事な火種だわ。
何もしたくないけど、この火種だけは絶対に守らなきゃ。
ふと見ると傍らには真新しい薪が積み上げられている。多分一週間分はありそう。
「何よ。本当に私の死を望むなら、こんなことしなくていいんじゃない?」
暖炉の前で私は座り込んだ。
何もかも限界だ。
エリス姉様が死んで、悲しむ間もなく牢に数日間閉じ込められて。
母に会うことも許されず、今日はもう孤島に幽閉だ。
どうしてこんなことになったの?
図太く生きてやるって思ったけど。やっぱり今日は無理。
急に涙がこみあげてきて、私は一人、嗚咽混じりに泣き出した。