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第32話 それぞれの未来へ


 ◆◆◆



 母の店は、一階は香草を利用した薬用茶の瓶が綺麗に並べられていて、お客様が好きな分量を買うことができる量り売りをしています。

 これはすべてうちで育てた香草から作った茶葉なの。どれもとっても美味しくて体に良いんだから。


 その奥には小部屋があって、南側の薬草園を見ながら、私がお客様のお望みの香りを作るための打ち合わせの場所として使っています。


 今日もお客様がご来店されました。なんでも、『推し』の男性をイメージした香水を作りたいんですって。


 流行りなのかな。こういうご依頼が最近多いのよね。

 憧れの方を香りで身近に感じたいのかしら。


 今日のお客様はとある男爵家のご令嬢。くるくる巻いた金髪と、ぱっちりした緑の目が可愛いです。お年は十六才だそう。


「うわあ。あなたがルシリカさんですね! 私、先日お城に行った時、王子様の婚約者のカルミア様から素敵な薔薇の香水のことを教えてもらいまして、試しにつけてみたら、あなたがお作りになった香りの虜になってしまったのです!」


「まあ、それはありがとうございます」


 私は微笑んだ。カルミア様ったら。義理とか感じなくていいのに。

 そうそう。私はまだ香職人の免状をギルドからもらっていないんだけど、個人客相手の商売では不要なの。


 そういえば、レンシャルはまだ、お城の地下牢に入れられているんですって。

 数年前からギルド長であることを利用して、泣き寝入りさせられた香職人が沢山いるみたい。香料商ギルドは暫定のギルド長がやっと決まって、市場は少しずつ混乱が解消されているそうよ。これは母の話だけれど。

 新たなギルド長が決まったら、母はレンシャルによって剥奪された『薬匠』の免状を再度申請するらしいわ。


「お嬢様、気に入ってくださってありがとうございます。けれどあの薔薇の香水は、もう材料を入手するのが難しいので、作ってはいないんです」


 この言葉に偽りはない。何しろ、王様が所有する湖の孤島にしか咲いていない薔薇を材料にしているので、あの香水はもう幻だと思う。

 残念といえば残念。あんなに芳醇で艷やかな香りを放つ薔薇は、この国のどこを探してもないだろうなあ。


「まあ残念! でも今日は、私好みの香水を作って下さるのですよね」

「はい。では早速、『推し』の方のイメージをお聞きしたいのですが……」


 私はお客様の前に六つの小さな青いガラスの小瓶を置いた。瓶に色がついているのは日光を遮断して内容物の劣化を防ぐため。


「こちらの瓶には香りを閉じ込めた『精油』が入っています。一番好きな香り、二番目に好きな香り……という風に、匂いを嗅いでみてから順番に並べて下さい」


「わかりました!」


 緑の瞳のご令嬢は、瓶の蓋を開けると中の精油の香りをそっと嗅いだ。

 そして、一番好きな香りを一つ選んでもらった。


「……夜露の香りが一番目ですね。では二番目に好きな香りはどれでしょうか」

「これかな?」


 ご令嬢の頬が期待のせいなのかな。ちょっと赤くなっている。好きな人のことを思っていらっしゃるのかな。ふふ。


「次は甘めのバニラの香り……。では、最後にあと一つ。好きな香りをお選び下さい」


 ご令嬢は残った三つの瓶を見比べて、一番真ん中へ手を伸ばした。


「これをお願いします」

「はいわかりました。うん、青くしなかやで実直な樹木の香り……ですね」


 三つの香りからご令嬢の『推し』のイメージがなんとなく感じられる。

 きっと普段はすごく落ち着いた物腰の……でも二人だけの時は優しく気持ちを包みこんでくれるような温かさを持っていて、それでいて夜空から差し込む月光のように澄んだ瞳をお持ちのような……って、あれ?


 気のせいかな。私、このイメージによく似た人を知っているかも。

 ええと。いけないいけない。

 私の主観は捨てて、お客様のお望みの香りにしなくっちゃ。


「香りにはまずつけた瞬間から匂うもの……この一番目のしっとりとした夜露の香りがいいですね。それから、体温によって香水が温められて、ほんのり甘くバニラの香りに包まれます……そしてメインの香りとして、最後のすがすがしい青くしなやかな樹木の香りがするような。そういう香水をお作りできると思います」


「まあルシリカさん! 私、まだあの方のイメージをお伝えしていないのに、香りだけでわかってしまわれるのですね!」


「そ、そうなんですか?」


「私が作ってみたい『推し』香水――それは、お城で近衛騎士団長をされている、リンゼイ・グランディティエ様ですの!」


 うわー! でたあ!!

 私は思わず発しそうになった声を飲み込んだ。対面のお嬢様は緑の瞳をきらきらさせて、胸の前でレースの手袋を嵌めた手を合わせ、夢見るように頬を更に赤く染めている。


「リンゼイ様のきりっとした立ち居振る舞い。洗練されたエスコート。だけど眼差しは鋭い中にも温かな光に満ちていらっしゃって、それはまるで月の光が降り注いでいるようですの。ルシリカさん、この香りでぜひ、リンゼイ様の『推し』香水を作って下さい!」


「あ……はい。心を込めてお作りいたします。それでは制作には二週間お時間を頂いております」


「そうなの。結構かかるのね?」


「いまこちらにご用意した『精油』は代表的なものなので、お客様のイメージにより近い香りを作る必要があるのです。香草や木の葉から香り成分を抽出するので、ちょっとお時間を頂きたいと思います」


「ふうん……そうなのですね。わかりました! では、また完成したらご連絡をいただけるのですね」


「はい。お手紙でお知らせいたします」


 私はご令嬢から住所が書かれたカードを受け取った。

 そして店から外に出て、帰宅されるご令嬢の馬車をお見送りした。


 いやあ……まさか。

 あのリンゼイ様をイメージした香水を作ることになろうとは。

 恐れ多い……いや。やっぱり騎士様って貴族のご令嬢に人気があるんだろうなあ。


 特に近衛騎士の皆様は、私がエリス姉様を毒殺したと疑われた時、背が高くて肩幅もガッシリで、かっこいい人達ばかりだった。(汗臭い人もいたけど、その後リンゼイが、私が渡したマロウ銀葉樹から取り出した消臭剤が良くきいたと教えてくれた)


 ――って、何を考えているんだろう。私は。

でもそれだけリンゼイ様が人気あるのなら、これはあの強欲なレンシャルじゃないけど、『近衛騎士団長リンゼイ様の推し香水』として売り出せば流行るんじゃないかしら……なんてね。クフフ。早速材料の準備をしなくっちゃ。


「不気味に一人で何笑っているんだ?」

「……えっ!」


 私は振り返った。すると店の戸口に黒髪の騎士が佇んでいた。白いマントが風をはらんでふわりと揺れる。同じく前髪の合間から、陽に透ける若葉色の瞳が私を静かに見つめていた。


 リンゼイだ。

 あれ? でも今日はちょっと雰囲気が違う気がする。黒い服は普段来ている近衛騎士の制服じゃないわね。白い剣帯も付けてない。ブーツとマント姿は同じだけど。


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