第3話 これが私の選んだ道
「私は『香職人』です。主に香草から精油を取り出し、お客様のご要望に応じた香りを作り出す『調香』をしています。商品は香水やお香を中心に制作しています。城下町の工房に住む母と同居しています」
「ふむ……そなたの母だが、エリスの実家であるファーデン公爵家に出入りしていたそうだな」
「はい。母は元々メイドでしたが、私を身籠ったためお暇を頂き、その後、薬草の知識を生かして時々お屋敷に行っていました。エリス様はお体が弱く、母が作る香薬茶を所望されていました。それはファーデン公爵閣下もご存知のはずです」
国王陛下は軽く頷いた。
「そなたの母が公爵家から暇を願い出たのは、そなたの父がファーデン公爵だからだな」
「……」
「黙っておるが調べはついている。何よりもそなたのラベンダー色の瞳は、異母姉エリスと同じ色。ファーデン家の血筋を受けた者の証だ」
「仰るとおりです。私は公爵様より実子と認知して頂き、二つ違いのエリス様と姉妹のように接してきました。エリス様の寝所を訪れたのも、私の作った香を焚いてほしいと彼女に頼まれたからです。だから……毒殺だなんてありえません!」
「控えよ。そなたは聞かれたことのみ回答せよ」
「うっ!」
背後の騎士が私の腕を強く締め上げた。私はかろうじてでかかった悲鳴を飲み込んだ。
「その事について証人を呼び出す。香料商ギルドの長、レンシャルをこれへ」
「はい」
部屋の奥から一人の男が姿を現した。年の頃は四十過ぎ。赤髪に口ひげを生やし、凡庸な容姿ではある。けれど金儲けの話には猟犬のように鼻が利く男とは母の言葉だ。
私は正直この男が嫌いである。彼のせいで私の母は『香職人』としての免状資格の一つ――『薬匠』を取り上げられてしまった。正規の報酬より安い請負で仕事をしているといいがかりをつけられて。母は『薬匠』を名乗ることができず、けれど街の人達に求められれば、体調を整える香草茶を販売し、細々と生計を営んでいる。
国王陛下の御前に進み出たレンシャルは、畏まって深々と頭を下げお辞儀した。
顔を上げた彼は私を見るなり、口ひげを右手でつまみながら、嫌味たっぷりに言い放った。
「ルシリカ。お前に『香職人』を名乗る資格はギルドで与えていないぞ。その結果毒草を香炉で焚き、病で弱ったエリス様を死に至らしめたのだからな」
「それは違います! 使用したマロウ銀葉樹の葉に毒の成分はありません」
「他にブレンドしているものがあるだろう。香炉に燃え残っていた香を私も調べたが、薫竹の粉が使用されていたぞ。これは燃やすと刺激臭を含んだ有毒物質が発生するのだ」
「お言葉ですが、薫竹は炭にして粉にしたものを少し入れただけで、生木ならまだしも、人体を害する量では……」
「国王陛下。エリス様が亡くなった要因は、ルシリカが焚いた香にあります。この者は『香職人』の免状を得ていない素人。使われた香草は燃やすと有毒物質が出るものがあり、その無知こそがこの者の罪でございます」
「わかった。ご苦労だった。レンシャル」
「国王陛下のお役に立てて、光栄に存じます」
私は反論しようとしたが、今度も後ろに控える黒髪の騎士に肩を押さえられてしまった。黙っていろといわんばかりに。
そうしているうちにレンシャルは国王陛下の前を退いた。続いて国王陛下は、先程から一言も発しない、隣に立つカランサス王子に視線を向けた。
私が王子様の姿を見たのは、確か一年前まで遡る。エリス姉様が王太子妃として彼と結婚した時。お祝いの席に招かれて以来だった。その時より心なしか少し痩せたような気がする。
元々細身でフワフワとした色素の淡い金髪、青灰色の瞳のせいか、物憂げな雰囲気を漂わせている人だった。お年は二十五才。エリス姉様より一つ年上。私は貴族ではないので詳しくは知らないけど、エリス姉様の幼馴染――今は彼女の侍女をしていたカルミア様が言うには、王子は絵や芸術に才があり、美しいものを――その対象物は人だけでなく様々なものに対して美を愛でていらっしゃるという。
その彗眼に叶い、王子妃に選ばれたのがエリス姉様だった……のではない。いえ、エリス姉様は女の私から見ても公爵令嬢らしい品格と聡明さで、青みがかった銀髪の光は夜空を彩る星のように輝いて、社交界の貴族令嬢達にとって憧れの存在だったそう。しかも隣国の言語も自在に話す才女だった。
カランサス王子とエリス姉様の結婚は、いわゆる王家と宰相ファーデン公爵の間で交わされた約束事だった……らしい。私はこの辺の事情を全く知らないのだけれど。
「カランサス。愛する妻を奪われたお前だが、この罪人に言うことはあるか」
国王陛下に話しかけられたというのに、カランサス王子は気付いていないようだった。まるで心をどこかへ置き去りにしてしまったかのように。それだけ彼にもエリス姉様の突然の死が堪えているのだろうか。
王子の後ろに控えていた侍女のカルミア様が、何事かをその耳に吹き込んで、王子はようやく国王陛下の方を向いた。
「罪人……」
カランサス王子の視線は私の方を向いていなかった。
どこか部屋の別の所に彷徨わせていた。カルミアが再び王子の耳に何かを囁く。
はらりと落ちた前髪が憂いを帯びた目に影を落とした。
「彼女はただ……大切な姉の最後の願いを叶えてやりたかったのです。レンシャルも言っていましたが、これは素人の香職人が起こした悲劇。陛下には寛大な御心で……罪のご裁定を頂きたく存じます。私からは、もう、何も」
「カランサス様、お辛いのにルシリカへ温情をかけるなど……なんとお優しいのでしょう」
涙を浮かべてカルミア様がうなだれた王子を抱きしめている。王子は微動だにせずその場に立ち尽くしていた。広場にいる人々がひそひそと隣同士で話している。
その内容は聞き取れなかった。聞きたくもないけれど。
どうやら形ばかりの裁判も終わりみたい。国王陛下がこほんと咳払いをした。
「ルシリカ・エアレイン。裁定を下す」
「はい」
いよいよだ。私にこの場で発言権はない。
今更ながら急に額に汗がじわりと浮かんだ。
しんと静まり返った広間の中で、国王陛下の声が重々しく頭上で響いた。
「王子妃エリスの死について有罪を申し渡す。たとえ過失でもお前は人の命を奪った罪を償わなければならない。よって、この国からの永久追放か、湖の孤島で死ぬまで幽閉に処す。どちらか好きな方を選ぶが良い」
◆◆◆
空は鈍色の雲に覆われ湖の上は生暖かな風が吹いている。
私を乗せた木造の小船は、湖の中央にある島を目指して進んでいた。
私は湖の孤島の幽閉を選んだ。
何故か。
今逃げてしまったら、私がエリス姉様を毒殺したという冤罪を認めることになる。
私はそんなことしていない。
認めることで自由の身になれるかもしれない。けれどエリス姉様を毒殺したという過去はずっと私を苛ませるだろう。
そしてエリス姉様は、何故あれほどまで体が弱ってしまったのだろう。
一年前まではとても元気だったのに。
だから決めたの。
愛するエリス姉様と、他ならぬ私自身のために。
幽閉されても図太く生きて、いつかきっと真実を暴いてやることを――。