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第26話 あなたは私を蘇らせる①

 ◇◇◇(リンゼイ視点)


 夜になった湖には何かを守るかのように白い霧が薄っすらと立ち込めている。

 その中を小船が水音を立てないようにしながら、岸に向かって進んでいた。

 白い棺を載せた小船は王城の裏手にある石造りの桟橋に着く。


 リンゼイは待機させていた騎士五名に棺を担がせて、地下牢の方へと進んだ。

 赤々としたランプの光に照らされた地下牢の入口は二手に別れている。牢の方ではなく、反対の通路を進み扉を開ける。そこは人が十人ほど入れる小部屋で、燭台には鎮魂を示すための白い蝋燭が幾重にも灯されていた。


「よし。そっと降ろせ」


 リンゼイの命令で騎士たちは棺を石床の上に設置した。彼らが部屋から出ると、一人になったリンゼイは扉の鍵を内側から閉めた。急ぎ棺へと駆け寄る。釘打ちしていない棺の蓋をそっと外すと、中には瑠璃色の長い髪の女性が横たわっている。

 同時に花の香りが立ち込めた。彼女は胸の上に青紫の鮮やかなローズマリーの花束を抱き、棺の中で眠っているだけのようだった。

 

 リンゼイはルシリカの軽く開かれた淡い薔薇色の唇に手を寄せ、まぶたの上に被さった前髪をそっと払いのける。そして服のポケットより小瓶を取り出して蓋を開けると、ルシリカの鼻にそれを近づけた。


「クチューンッ!!」


 リンゼイはつい失笑する。

 そういえば彼女のクシャミは変わっていて面白かったのだ。

 埃が苦手だと言っていたあの頃が懐かしい。


「……何、笑ってるのよ」


 ラベンダー色の瞳で睨みつけながら、ルシリカが顔を真っ赤にしてこちらを見ている。


「よし、復活したな」

「一体何がどうなっているの? どういうことか、説明してくれるんでしょうね」


 頬を膨らませ、体を起こそうとしたルシリカを、リンゼイは肩を掴んで再び棺桶へと押し込んだ。そっと彼女の耳元で囁きかける。


「勿論だ。だがあまり時間がない。もうすぐ王子達がここにきて、君が死んでいることを確認する」


「なんですって?」


「ルシリカ。君がすべきことは一つだけだ。事情はこちらに記してあるからすぐ読んでくれ」


 一枚のカードをポケットから取り出して、戸惑うルシリカの手に握らせた。


「健闘を祈る」

「えっ、あっ! リンゼイっ」


 ルシリカに背を向けてリンゼイは錠を外すと部屋を出た。





 ◆◆◆(ルシリカ視点)



 一体何がなんだかわからない。

 リンゼイに首を絞められて、私は死んだんだと思っていた。

 けれど気付いてみれば、地下の小部屋で蝋燭が灯された中、棺に入れられていた。

 それにしても酷い扱いじゃない? 起こし方も強烈な臭いのする気付け薬よ。

 ああ、鼻の奥までツンとした刺激臭が残っちゃって不快だわ。


 ええと、手紙をすぐに読めと言われたっけ。手紙というか、白いカードだわ。

 裏返しになっていたので私はそれを表に向けて文面を読んだ。

 ん? なになに?


『私は見張られていた。苦しい思いをさせてすまなかった』


 たったこれだけ?

 でもなんとなくだけど、リンゼイ、一芝居打ってたということみたい。私をあの孤島から連れ出すためには、一度死体にならないと駄目だったということね。


 よかった……。あの時のリンゼイ、別人のようですごく怖かった。

 私の冤罪が一日でも早く晴れるように。そう願ってくれた人が……まさか、私を殺そうとするなんて思いたくなかった。


 私はリンゼイのカードをスカートのポケットに入れた。その時に気付いた。

 右足の太ももがすっごくヒリヒリする。手が触れるとピリッとした痛みが全身に走って思わず目をつぶった。


「これは……」


 ポケットの中を探ったら、しおしおに萎れた一輪の『死者の花』が出てきた。

 そういえば花をポケットに入れたのを忘れていたわ。

 まずい。毒の成分が滲み出て触れた皮膚が炎症を起こしてる。それで痛かったんだ。死にはしないと思うけど、このままポケットに入れておくわけにはいかないわね。私はリンゼイのカードの上に死者の花を置いて棺桶の中にそれを隠した。


 そろそろ死体に戻った方がいいわね。確か王子様がここに来るとか言ってたし。

 ええと……あれ? さっきから匂うなあって思ったら。

 私は青紫色のローズマリーの花束を持たされていることに気付いた。

 この花を選んだのはリンゼイだろうか。

 あの建物の近くにはいろんな香草が季節を問わず狂い咲いていた。何かの魔法がかかっているとしか思えないんだけど。その中でもこの花を選ぶなんてね。


 ローズマリーの花言葉は、『あなたは私を蘇らせる』っていうのよ。

 そう。リンゼイ、あなたは私を蘇らせた。

 だから私は彼を信じる。これから何が起きようとも。


 来た。複数の足音が外の通路からやってくるのが聴こえる。

 私はローズマリーの花束を胸の前に置いて棺桶に横たわった。

 顔の周りにお花をもっと入れてくれたらいいのにな。童話に出てくるお姫様みたいに。なんて。


 エリス姉様、私にどうか力を貸して。

 私にかけられた冤罪を晴らし、真実を明かすためにリンゼイが作ってくれたチャンスを、お願い――どうかうまくいきますように。



 ◆◆◆



「皆様、こちらです」


 しんと静まり返った部屋の中で、リンゼイの声が響いた。

 私は目を閉じたまま微動だにしない。呼吸は流石に止められないので、ローズマリーの花束を胸の上に置いて誤魔化している。


「……死んでいるのか?」


 疑問の発言をしたのはカランサス王子だ。


「ご確認下さい」


 リンゼイの口調はいつもと変わらない。彼、私を地下牢から出した時もそうだったけど、感情を表に出す必要がない時は本当に事務的な言い方をするのよね。


「ああ、ルシリカ……」


 苦しげな声と共にカルミア様が私の名を言った。彼女のドレスが石床の上をシュルシュル滑る音が聞こえて、私は本当に息が止まる衝撃に襲われた。長手袋を嵌めたカルミア様の指が私の頬に触れたのだ。

 まずい。息を潜めていても、直接触れられたら体温で私が生きているとばれてしまう。


「可哀想なルシリカ……まるで眠っているだけのよう……えっ!」


 ほらね。ばれちゃった。

 カルミア様の声が恐怖と驚きが混じった悲鳴に変わったので、私はカッと目を見開いて、真っ向から見返してやりました。


「いやっ! ルシリカっ……!?」


 カルミア様は私から離れようとしたけれど、私は彼女の右手首をがしっと掴みました。ちょっと待ってくださいね。あなたにはどうしても確かめたいことがあるのよ。くふふ。


 微笑んだ私の耳にすらりと剣が抜かれる音が聞こえた。カランサス王子が腰の剣を抜いたのだ。


「リンゼイ、どういうことだ。私はこの女を殺すように命じたはずだぞ!」 


 ああそうですか。

 リンゼイもほんと可哀想に。

 よくわからない行動をする主君がいると苦労するわよね。同情しちゃう。


 私はカルミア様の手首を握りしめたたま、棺桶から上半身を起こした。

 それを見てリンゼイが私の隣へ歩いてきた。黒いマントが動きに合わせてしなやかに揺れている。


「王子殿下。剣をお納め下さい。ルシリカ本人より申し上げたいことがございます」

「何を? それよりもカルミアから手を離せ!」


 私はカランサス王子を睨みつけた。


「カランサス王子様。それからカルミア様。私はエリス姉様が毒殺されたことを証明するため、このような形で参りました。お時間はとらせません。こちらを見て下さい!」


 私は掴んでいたカルミア様の長手袋を左手でずり下ろして、彼女の腕の素肌を見せた。すると。手首から肘の所まで。内側の部分がミミズ腫れのように真っ赤になっていた。さながら血の色をした花が咲くように、彼女の腕に幾つも絡みついている。


「やめてっ!」


 カルミア様が腕を振りほどいた。見られた腕の内側を隠すように、胸の前でそれを押さえる。


「カルミア、その赤いあざのようなものはどうしたのだ?」

「それは……」


 カルミア様がうつむき、露わになった腕を手袋を嵌めた左手で押さえながら言葉を濁す。私が代わりに口を開いた。


「それこそカルミア様が、エリス姉様に毒を盛っていたという証拠です。不注意にも素手で毒を扱われたのではないでしょうか」


「黙れ。下賤の者。エリスはお前の作った香のせいで呼吸が止まり死んだのだ。カルミアのせいではない!」


 カランサス王子がいきなり剣を私めがけて振り下ろそうとした。

 うわ。ちょっと待って!

 キィーンと甲高い金属音がしたかと思うと、リンゼイの剣がカランサス王子のそれを受け止めていた。

 二人が交差する剣越しに睨み合う。ギチギチと剣の刃が音を立てる。


「リンゼイ、歯向かうか!」


 リンゼイは無言だった。けれど彼は私を守るために剣を受け止め続けていた。

 射抜くようなその目つきは、私に対する理不尽な行為について、明らかに怒っているようだった。


「――カランサス王子様。どうか剣を引いて下さい」


 突如、部屋の扉の前から凛とした女性の声が響き渡った。


「なっ!」


 明らかに動揺したカランサス王子の剣をリンゼイが跳ね上げる。剣は王子の手を離れて部屋の隅へと転がった。

 カランサス王子は剣の方を見てはいなかった。振り返って、部屋の中に入ってきた人物を凝視していたからだ。

 それは私も同じだった。


「エリス……!?」

「エリス姉様っ!?」


 ファーデン公爵家の銀の薔薇。美しい青みがかった銀髪を結うことなく背中に流した、青いドレスの貴婦人は、紛うことなく私と同じラベンダー色の瞳をしていて、静かに佇んでいた。


「エリス姉様! 生きて……生きていたのね……!」


 やだ。信じられない。

 確かに死んでいた姉様が、何故か生きていて、こうして目の前に立っているなんて。私、夢でも見ているのかな?


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