第23話 幻視のハーブ水を試す
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朝になった。
ちゃんと眠らなきゃって思ってたんだけど、胸がドキドキして結局眠れなくて。
暖炉の前に置いているポヨン鳥クッションに体を預けたまま、ついに夜明けを迎えてしまった。寝不足だけど、何とかなるでしょう。
私は外に出て井戸に行くと、蓋の上に置いていた二本の透明な瓶を回収した。
うん。月光水の出来はいい感じ。例えるのがなんか難しいんだけど、持ってみると瓶から優しい波動を感じるの。月光のエッセンスと力が宿っているんだと思う。
私は井戸の蓋を開けて、顔を洗うため水を汲んだ。
儀式を行う前はちゃんと禊をしないといけないの。特に、こういう目に見えないものの力を借りる場合はね。
顔を洗って月光水の入った瓶を二階の部屋へ持ち帰る。
キッチンの台には、水を張るための銀製の丸い容れ物を用意してある。
これは三階の工房で見つけたの。元々はお花を生けるための容器かしら。四つの足で器部分を支えていて、優雅な曲線が蔓草を思わせるデザイン。アイビーの葉をレリーフした縁飾りがついていて素敵なの。
きっと、王女様がこれに月光水を入れて、『幻視のハーブ水』でご両親のことを知るために使った容れ物だと思う。私はその容器に自分で作った月光水を注ぎ込んだ。
それから、昨日採取した『死者の花』を活けている小瓶を机上に置く。
白い鳥が羽を広げたような花びらと、蔓状の茎。念の為花は三輪摘んだの。
大丈夫、萎れていない。使えそう。
私は机の上に置いた絹の袋から、二本の銀の棒を取り出した。カーリーンと呼ばれるその棒を両手に持って、そっと棒同士をすり合わせると、光が波打つような澄んだ音色が私を包みこんだ。目を閉じて音の洗礼を体で受け止める。
空間を音で清めたら、注意して死者の花を一輪、月光水に浮かべる。
死者の花の茎からは、乳白色の液体が流れ落ちている。これは絶対に手を触れてはいけない。酸性が強くてポヨン鳥の羽が溶けちゃったのをみたから。
最後の仕上げ。『故人の思い出』。
私は月光水を張った水を覗き込んだ。心に強く、強く、エリス姉様を思い出す。
青みがかった長い銀髪。私と同じラベンダー色の瞳。知的で物静かだったエリス姉様。
大人しそうにみえるけど、ちゃんと自分の意見ははっきりと言うし、カルミア様には見てくれが不評だったけど、作ってくれた林檎のパイの味は絶品だった。私のことをいつも気にかけてくれて、体調を崩していたのに……亡くなる一週間前に直筆の手紙で返事をくれた。
どうして、もっと早く連絡をくれなかったの?
私じゃ頼りないって、わかっているけど。
姉様があんなにやせ細って、苦しそうで。
あんな姿を見てお別れだなんて……私、耐えられなかった。本当だよ?
エリス姉様。子供の頃、私が『願いの叶う★ハーブとラズベリー』のお茶を飲んだ時、またエリス姉様とこうしてお茶が飲めますようにって、お願いしたのよ。
もうそのお願いは叶わないよ……姉様、お願い。
私に本当の事を教えて!
――ああ。またあの香りがする。
甘い……砂糖を焦がしたような。甘ったるい花の香り。
月光水に浮かべた『死者の花』から漂っている……。月光水に滴り落ちる白い液がぐるぐると渦を巻いている。まるで湖上に出現する霧のように。
あら? 何か水盤に視えるわ。
この人影は……二人? 声も聴こえる。
『……死者の花?』
『左様。花全体……茎も根も種もすべてが有毒。けれどその毒を少量ずつ与えれば、飲まされた者は徐々に生気を失い、呼吸も弱くなり、死んだ時には病死にしか思えない状態になる』
『それはいいわね。私にくださる?』
『取り扱いがしやすいように、粉にしたものを用意しよう。ではその見返りに……』
『……わかったわ』
声の主はよくわからない。男と女……?
水面が渦を巻いて二人の姿は消えていき、また別の場面が現れた。
ここは、エリス姉様の……王太子妃の寝所のようね。
天蓋がついたベッドには姉様が横になっている。
その傍らで、あの紅茶色の髪の女性は……カルミア?
カルミアがドレスから小さな茶色の小瓶を出して蓋を開け、お茶が入ったカップの中に粉のようなものを入れているわ!
『エリス様。お茶をお持ちしました』
『……ありがとう、カルミア』
姉様、待って。それは……!
エリス姉様はカルミアからカップを受け取ってお茶を口に含んだ。
『最近、お茶に砂糖が入っているような気がするのだけれど……コホッ』
『侍医より聞いたのですが、お薬の影響で味覚障害が出ているそうよ。甘くないものが甘く感じるんですって』
『そう……なの? コホン!』
『エリス、大丈夫?』
『最近、咳が出ると……止まらないことがあって……コホッ! コホッ!』
水鏡が再び白く濁った。
水面には白い鳥が羽を広げたような形の死者の花が一輪、浮かんでいるだけだった。
そんな。
私は唇を噛み締めて、水鏡を睨みつけていた。
ああ……まさか。
まさか、あのカルミア様がエリス姉様に毒を盛っていたなんて……!
私は水鏡から離れて、暖炉のそばのポヨン鳥クッションに体を押し付けて膝を抱えた。どうしてなの? 彼女はエリス姉様の幼馴染だったのに。
◇◇◇(カランサス視点)
「――ルシリカの作った香は有毒性がある。これが、調査の最終報告書だな」
「左様でございます。カランサス王子様」
赤髪の香料商ギルドの長、レンシャルはまだ何か用があるようだ。
面倒くさい。午後からはカルミアと一緒にお茶を庭園で楽しむ予定だ。その後は彼女をモデルにスケッチの続きをしたい。来月は彼女の誕生日なのだ。それに合わせて私の描いた彼女の絵をプレゼントしたいと思っている。
「カランサス様、実はここだけの話なのですが……カルミア様について、私は彼女の秘密を知っているのです」
「何?」
レンシャルに退出を命じようとした時だった。手入れの施された口ひげを右手で触れながら、彼はちらちらとこちらをうかがっている。
「秘密だと?」
「はい。しかしながら……それがルシリカのせいで暴かれようとしています。そうなるとカルミア様は窮地に陥ると思われるので……カランサス様のお耳に入れた方がよいと思ったのです」
ルシリカだと? あのエリスの異母妹は湖の孤島で幽閉中だ。何故その名前がここで出てくるのだ?
「レンシャル。何が言いたい? 事と次第によれば貴様をカルミアの名誉を傷つけたとして処罰の対象に――」
「まずは私の話をお聞きいただけますか? カランサス様がとても愛しておられるカルミア様が、実は私からある毒薬を購入されたのです。その毒は速攻性ではなく、飲まされた者は徐々に体力、気力が奪われ、呼吸器官もやられて弱っていきます。そして最終的には……病死にみせかけて殺すことができるものでございます」
「そ、その症状は……エリスの……」
不吉さに胸が激しくざわめく。レンシャルが声を潜めて更に囁く。
「私はカルミア様に毒をお売りしましたが、彼女がエリス様にその薬を使われたのは確かです。これはあくまでも私の推測でございますが、すべては貴方様を思う故の行動でしょう。女官たちの噂も小耳にはさみましたが、エリス様は家柄は由緒正しいが、王太子妃としての素質は乏しく、カルミア様の方が常に堂々としていて、安心できたと言っております」
「……それは、状況によりけりだが、私もエリスと同様に社交的な場が苦手だった。カルミアがいれば、どんな公務も外交も晩餐会も乗り切れた……」
「私が思いますに、カルミア様も苦渋の決断をされたのです。貴方様への愛故に」
「だが、エリスを殺すことはなかった! カルミアの気持ちを私がしっかり受け止めることができたら、父を説得してエリスを離縁し、彼女を妃として迎え入れるべきだったのだ」
「そうなるのが一番良かったと思います。けれどカランサス様。カルミア様はエリス様に毒を飲ませてしまいました。《《殺したのは》》、ルシリカですが」
「あっ……!」
そうだ。カルミアはエリスに毒を飲ませて体力を《《弱らせただけ》》。
「ルシリカの焚いた香に有毒性があって、エリスの呼吸が止まったのだったな。レンシャルよ」
「はい。その通りでございます。私の鑑定に嘘偽りはございません」
思わぬことを聞かされて、胸の動機が早まっている。
少し、座りたい……。
手近な椅子に腰掛けて、私は頭を抱えた。
「レンシャル、私はどうしたらいいのだろう……?」
「カランサス王子様は何も悩まれる必要がございません。エリス様はもう亡くなられた。服喪期間も明けました。カルミア様を王太子妃に迎え入れるのです。しかしながら……ここで少し気になることがございます」
「それは何だ、レンシャル。私はカルミアを守りたい」
「はい。それはルシリカのことです」
「ルシリカ……さっきもそう言っていたな。あの者は湖の孤島に幽閉されて出ることは叶わない。有罪判決になったのだからな」
「そうですね。でも、彼女には援助している者がおります」
「リンゼイ、か」
「はい」
レンシャルが私の座る椅子の傍に歩み寄り、その場に跪いた。
「私は、『香職人』としてルシリカの資質に恐れをを抱いております。彼女を侮ってはいけません。特にその《《鼻》》はよく利き、香りの僅かな違いも嗅ぎ取ります。彼女なら《《いつか》》、エリス様の体を弱らせた毒の種類を探り当て、それを売った人間を私だと突き止めるでしょう。さすれば、エリス様に毒を用いたのはカルミア様だというのが明るみになります」
「あの凡庸な女に……そんな才能が……?」
「ええ。悔しいことにそれだけは認めざるを得ません。そして、ここから本題なのですが、香料商ギルドとしても……実は彼女の対応に手を焼いているのです。香職人の免状も持たず、しかもエリス様を毒殺して幽閉されている身分で香や香水を作り、販売をしております。それによりギルド側は営業妨害を受け、販売活動に支障をきたしております」
レンシャルが立ち上がって、すっと私の顔を覗き込んだ。自信家の彼らしくなく、実に困ったように眉根を寄せていた。
「どうか王子様のお力で、ルシリカに幽閉よりも『厳しい処分』をしていただくよう、国王陛下に陳情頂けないでしょうか」
カランサス、王子。
レンシャルの神経質そうな指が私の座る椅子の背にかけられた。耳元で彼の声が低く響いた。
「お考え下さい。もしもカルミア様がエリス様に毒薬を飲ませていたことが、ルシリカによって国王陛下のお耳に万一でも入ることがあれば。殺害までには至らなかったが、国王陛下のカラミア様への心証は最悪なものとなり、結婚などもってのほか。ですから……カランサス様がカルミア様と幸せになるためにも、そしてギルドの利益のためにも、共通の障害であるルシリカは殺すしかないのです。どうか、王子の聡明なご判断を期待しております。では」
レンシャルが静かに頭をさげて、部屋を出ていく音がした。
彼が語ったことを信じるべきなのか。
カルミア、君は一体何をしたのだ。私に教えて欲しい。




