第22話 死者の花②
「はあ、はあ、はあ、はあ……死ぬかと思った……はあ……」
もうだめ。心臓が口から飛び出て息が止まりそう。
こんなに死に物狂いで走った事なんてないわ。
私は近くの木の幹に体を預けてふらふらと座り込んだ。
あんなに見た目は可愛いポヨン鳥ちゃん達なのに、やはりあの体型を保つためにはそれなりに食べる必要があるんだろうな。
彼らが私のいる建物にまた来た時、パンを置いていたら危険だわね。
まあ、一匹ぐらいならごちそうしてあげてもいいんだけど。
私は想像してみた。十匹が一斉に建物の中に入ったら、逃げ場がなくて絶対に圧死する……。
はあ。はあ。少し、呼吸が落ち着いたわ。水筒のハーブティーを飲んで休憩しなくっちゃ。私はやっと周囲を見回す余裕が出て息をついた。
ううむ。森の中に大分入ってしまったみたい。けもの道みたいなそれもない。元より木々が茂っているからあまり日光が差し込まなくて、草の茂みが少ない。
私は立ち上がって空気の匂いを嗅いだ。
「あら? どこかで花が咲いているようね……えっ、でも待って。私、この香りを知っているわ」
そうよ。
これはエリス姉様が亡くなった時、何故か手から香ってきたそれに似ている。
ほんのりと蜂蜜のように甘くて……。花の香りというのは間違いない。だから戸惑ったのを覚えている。
だってエリス姉様はお花の匂いがあまり好きじゃなかったから。
どこから匂ってくる?
私は森の奥の方へ歩いていった。葉の間から太陽の光が差し込んでそこだけ薄ら明るいの。下草を踏みしめてそっと進んでいくと、木と木の間から白いものがふらふらと歩いているのが見えた。
「……ポヨン鳥?」
私は一瞬身構えた。だって、パンをねだられてももう持ってないから。
木の幹に体を隠してポヨン鳥の様子を伺うと、あれ? あの子独りみたい。それにね、歩き方がおぼつかない。
ポヨン鳥は移動する時、足が短いから両足を揃えて、前にぽーんと跳ぶの。だけどこの子は頭を左右に揺らしながら、ぺたぺたと歩いている。時々立ち止まって、呼吸を整えてから、再びまたゆっくりと歩くというかんじ。
しんどいのかな。元気がないみたい。
私はポヨン鳥の後ろをついていった。すると、その姿を隠すようにふわふわと白い沢山の羽毛が舞うのが見えた。
あっちにも。こっちにも。
私はいつの間にか羽毛が花びらのように舞い上がる場所に来ていた。
この羽毛はどこから飛んでくるのかしら。足下を見ると何か蔓草のような、卵型の葉をした植物が生い茂っている。その上に、ポヨン鳥の羽毛が花のように沢山、沢山散らばっていた。同時に漂ってくる甘い花の匂いも強くなってきた。
その時、前方を歩いていたポヨン鳥がパタンと倒れた。
ふわりと舞い上がる羽毛。ぎっしりそれを詰め込んだ袋の口が開いて、空に舞い上がってしまったかのように。
「ポヨン鳥ちゃん!?」
私は慌てて駆け寄ろうとした。だが足元の蔓草が急に動き出して、倒れたポヨン鳥の体をあっという間に覆ってしまったの。
私の見ている前で、それはポヨン鳥の羽毛の間から新たなツルが伸びて葉が育ち、やがて白い蕾を沢山つけていった。
――そうか。
ここは。この場所は。
ポヨン鳥たちの最後にたどり着く場所なんだ。
白い蕾がゆっくりと花開く。同時にエリス姉様から感じた花の匂いがふうわりと立ち込めていく。
あちこちに鳥が翼を広げたような小さな花が咲き乱れていた。大きな二枚の花びらは翼のように鋭利で。下の花びらは丸くて小さい。赤紫色の雄しべは飾り羽みたいに長く垂れ下がっている。
ポヨン鳥の姿は消えていた。死んでしまった彼らの体から生えたこの花こそが――『死者の花』なんだわ。
私はカバンから皮手袋を取り出した。
見つけた。『幻視のハーブ水』に必要な最後の素材を。
しゃがみ込んで花を摘み取る。細い茎の断面から白い液が滴り落ちて、じゅわっと音がした。どうやら植物から出る液体は有毒みたい。落ちていた羽に液が触れて溶けたようね。私は注意して摘み取った『死者の花』を小瓶に入れて蓋をした。
「ごめんねポヨン鳥ちゃん。邪魔しちゃって。どうか、静かに眠って……」
私はその場から立ち去って、幽閉先の建物に戻ることにした。
森から外に出た時、ちょっとほっとした。秋の日は短い。太陽が湖の西端に吸い込まれていく。
東の森には多分行くことがないだろう。ポヨン鳥の領域に私の必要な素材を求めたりしない。ただ彼らが遊びに来た時のために、パンを焼いておこうかなって思った。
ということで、『幻視のハーブ水』のレシピに必要な最後の素材『死者の花』が見つかりました。
月光水は今夜準備して作ります。井戸水を汲み上げてそれを透明な瓶二本分に詰め、井戸の蓋の上に置いときます。井戸に蓋をすると丁度いい具合に月光が一晩中当たるの。そして朝日が昇る前に回収します。
だから心構えさえできたら、明日、試すことができるわ。
「心構え……か」
このレシピを教えてくれた今は亡き王女様。自分をこの塔に閉じ込めた両親が、いつかここから出してくれる。
その可能性を『幻視のハーブ水』で覗き見たら、実は国を滅ぼされ、ご両親もすでに殺されたことを知ってしまった。
絶望のあまり二階の窓から首を括って……お気の毒な方だった……。
私も何の因果か。ここに幽閉されてしまったけれど。
エリス姉様に誰が毒を盛っていたのか。
私は知りたい。いや、知らなくてはならない。
「だ……大丈夫、よね? 真実を知って死にたくなるような事実が見えちゃったりするのかな?」
――怖い。
「リンゼイに……一人で試そうとするな、って言われていたんだけどな……」
でも彼は昨日来たばかり。次は来週にならないと来ない。
『幻視のハーブ水』に使う『死者の花』は生花が必要。来週まで待っているとしおれてしまう。
そして私は……新しい花を摘むために、可哀想そうなポヨン鳥ちゃんの所へ再び行く勇気がない。なまじ愛くるしい外見なだけに、彼らの神聖な墓所のことを思い出すと、胸の奥がキュッとなって苦しくなる。
実行するなら、明日の朝しかない。
できたての月光水に死者の花を浮かべて、エリス姉様の身に何があったのか『幻視のハーブ水』に問いかけるの。
やってみよう。
だって、これは私にしかできないことだから。




