第20話 ◆ルシリカの仕返し(リンゼイ視点)
リンゼイはカランサス王子の居室の扉の前に立った。ノックしようと思った途端、部屋の中から主である王子の笑い声が聞こえた。咄嗟にそれを思いとどまる。
よく見ると扉は指一本分ぐらいの隙間が空いていた。ちゃんと閉まっていなかったのだろう。そこから、久々に軽やかな王子の声が聞こえてくる。
来客がいるようだ。今は入室をやめるべきかもしれない。リンゼイは静かにそのまま聞き耳を立てた。
「カルミア、今日の君は一段と輝いて見える。まるで薔薇の花から生まれ出た精霊のようだ」
「カランサス様……そんな」
普段きりっとした口調の侍女カルミアが、今だけは立場を忘れ、少女のように嬉しそうな声で返事をしている。
「良い香水だね。立ち上るかぐわしき薔薇の香りが私の心を引き寄せる。薔薇の園へと引き寄せられた私は、君という花の蜜の甘い香りに酔いしれてしまう……」
「これは……ある香職人が私をイメージして作った香水だそうです。気に入ってくださいましたか?」
「ほう。確かに、薔薇の中の薔薇。カルミア、君のイメージにぴったりだ」
「お褒め頂き嬉しいですが、さあ殿下、今日の予定は国王陛下と共同出資の事業についての会合がございます」
「仕事をする君もまた素敵だよ」
「殿下こそ、ご公務に精勤されるお姿がりりしくて、私にはとても眩しいのです」
カランサスとカルミアは抱き合った。
覗き見するつもりではなかった。たまたま隙間から見えたのだ。
「私は父に、君との結婚の許可をもらおうと思っているよ。服喪期間も明けたしな」
「……カランサス様」
「もう少し待っていてくれ。必ず君を幸せにする。この薔薇の香りのように、幸せで包まれた日々を共に過ごせるように……」
二人が扉の方へ向う気配がする。リンゼイは彼らが出てくる前にその場を退散した。最近はカルミアが王子の公務のスケジュールを調整してくれるので、実は助かっている。リンゼイが王子の居室を訪れたのは、カルミアと同じ用件だった。
先を越された。
肩をすくめながらリンゼイは、二階の自分の執務室へと戻った。
◆◆◆
その日の午後。
リンゼイの執務室の扉を叩く音がした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
部屋に入ってきたのは、淡い桃色を基調としてその上から白いレースで飾りのついたドレスを纏った侍女のカルミアだった。明るい紅茶色の髪は一つに結い上げて、金とラピスラズリの青い宝石がついた蝶の髪留めで止めている。
彼女が部屋に入ってきた時、ふわりと花の香りが漂った。
リンゼイは思わず目を閉じてそれを意識した。
「ああ。あなたでしたかカルミア殿。いつもと違う香りをまとわれているのですね」
「リンゼイ様、先日使ってみないかと勧められたこの香水……とても気に入りました。薔薇は好きな花ですが、もっと艷やかで煌めく香りがいたします。カランサス様も好きだとおっしゃって下さって……」
「そうですか。それは、よかった」
「香水の感想を知りたいとの事だったので、お邪魔しました」
「ああ。ルシリカがあなたをイメージして作った新作だ。気に入ったといえば、彼女も喜ぶだろう」
「まあ。彼女が作ったのですか。納得しました。実は、女官たちにも香水を勧めてみました。勤務中は香りが強くて使えないが、休日に恋人と過ごす時にぜひ付けてみたいと言われました。ルシリカは彼女たちの分の香水を作ってくれるでしょうか……?」
カルミアが遠慮するようにおずおずと口を開く。
彼女が香水を気に入ったのは本心のようだ。
「大丈夫でしょう。ええと、まだいくつか在庫を預かっているんです。お試しで配ってほしいと言われているので、何個必要か集約していただけますか」
「わかりました。ルシリカは……元気にしているのね」
カルミアがふっと眉間から力を抜いて、追憶する表情を見せた。
「ええ。香りの制作が彼女の生きがいになっているのです。そのためにも、カルミア殿にもご協力いただければ幸いに存じます」
「あの子は……いつか外の国に行って、調香の勉強をしたいと言っていたわ。こんな事が起きなければ、今頃は」
「カルミア殿。そろそろレンシャルの鑑定結果が出る頃なのですが、カランサス様、もしくは国王陛下は何か仰っていなかったでしょうか」
「いいえ。まだそのような報告はきいておりません。では、私はこれで失礼します」
会釈をした後、コホコホとカルミアが咳をした。
「大丈夫ですか?」
「ええ。ちょっと埃を吸ってしまったようです。このお部屋をちゃんと掃除するよう、メイドたちに申し付けておきますわね。コホッ」
リンゼイは扉を開けてカルミアを見送った。
その日の夕方。カルミアから香水サンプルがどれだけ欲しいか記入された手紙が届いた。
◆◆◆
それから三日が過ぎた。
取次の騎士がリンゼイの執務室の扉を開けた。
「リンゼイ様。お客様です」
「誰だ?」
「失礼する」
「入室の許可はまだ言っておりませんが……あなたですか」
リンゼイの執務室に現れたのは、頬を上気させ呼吸が荒いレンシャルだった。
急いで城に来たようだ。椅子に腰掛けるように勧める前に、レンシャルは赤髪よりも更に顔を赤くしてリンゼイを睨みつけた。
「私は営業妨害を受けています! 女官の皆さんが、『マロウ銀葉樹の森の香り』を返品してきたのです。《《百個》》! リンゼイ様。あのルシリカが香水の新作を作っているそうですね。皆様、特に女性の方はそっちの香りの方が好きだからと仰っているじゃあないですか! 先日も言いましたが、ギルドとしては、免状のない者が作った香水の販売は認められません! どうしても作りたいというのなら、我々が代行して作ります」
「はあ……変わり身が激しいな。『マロウ銀葉樹の森の香り』も良いではないか?」
「コストが少しかかるのです。我々としても、貴族の皆様に需要がある香水の方を扱いたいのです。リンゼイ様、あなたならルシリカから薔薇の香水のレシピを入手可能ですよね? ルシリカに掛け合って、レシピの使用権をいい値で譲ってもらいたい」
リンゼイは笑みを噛み潰しながらレンシャルを見つめた。
「ルシリカの才能をやっと認めたのか」
「それは……認めざるをえません」
「では、彼女がエリス様に焚いた香は、無毒だったと調査報告書を出せ」
「リンゼイ様、それはまた別問題でございます! あれは無毒ではありません。薫竹の木炭は燃やすと有毒物質が出る。それを吸ってしまったエリス様の呼吸が止まり、ルシリカが彼女を殺したことは事実なのです。過失であったとしても」
じりとレンシャルはリンゼイに近づいた。声を潜める。
「あなたはルシリカを監視する名目で彼女の元を頻繁に訪れている。けれど金儲けのために罪人に香を作らせたり、いや……その生活を国王陛下の騎士が《《支援している》》。そんな事が民草に知れたら。国王陛下の御威光にも傷がつくのでは?」
「ほう……私を脅しているのか?」
「滅相もございません。それで、ご相談に参ったのです。ルシリカには調香の才能がある。人々が求める香りを作り出せる稀有な人材です。彼女が作った香りのレシピを使い、ギルドが商品を製造、販売する。そして売上の一部を国庫へ収めるというのはいかがでしょう? ルシリカは罪を償うために幽閉されているのです。だが、金を生み出す才能をそれで封じてしまうのは勿体ないと思いませぬか?」
リンゼイは努めて不快な表情を出すまいとするが、組んだ両腕に力が入るのを感じた。レンシャルという男の本性が見えた。
「今の時点で同意はし兼ねる。レシピを含め商品の制作権を持っているのはルシリカだ。貴殿が直接、国王陛下へ申し出るがいい。そうそう。ルシリカが今作っている薔薇の香りの香水は、《《試供品の配布》》のみで販売はしていない。わかればとっとと部屋から出ていってもらおう!」
リンゼイは自ら扉の前に立ち、それを開け放った。
レンシャルは入ってきた時よりも、更に顔を赤くしていた。
「このまま引き下がる私ではありませんよ……リンゼイ様」
「貴殿の商売の邪魔はしていない。悔しいと思うのなら、人々の心を魅了する香りの探求に職人として精勤することだ。ルシリカを見習ってな」
レンシャルは無言でリンゼイの執務室を出ていった。
それを見送ってリンゼイは扉を締め、背中を預けると、一人、くつくつと笑みを漏らした。
「ルシリカ、君にあいつの顔を見せてやりたかったよ……全くね」




