第19話 失意と反撃の間
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お城の人達から受注された『エリス王太子妃のための森の香り』。注文受けてから二週間かかったけど完成したよ。でも疲れたよ。
大量注文は使用する材料も多いから、葉っぱを乳鉢で粉にする工程だけでも時間がかかる。けれど私はやり遂げたわ~。お陰で二の腕がぱんぱんに腫れちゃって、まだ手のひらががちがちに強張っているけどね。
「ルシリカ、私だ」
リンゼイがやってきた。私は扉を開いて彼を迎え入れた。
「いらっしゃい」
リンゼイはいつものごとく、小麦粉袋をキッチンの下にある戸棚に入れてくれた。毎週のことだから段取りが良くわかってるわね。あら? 今日はまだ何か持ってきた? 見慣れない木箱を抱えているけど、そそくさと机の上に置いちゃった。
まあいいわ。
「注文の香はできているわ。保存容器に入れて、お城の各部署の皆さんにお渡しできるようにしているから」
「……」
返事がない。
あら? 私何か変なこと言ったかしら?
小麦粉袋をしまってくれたリンゼイが、しゃがみこんで徐ろに私の前で片膝をついたの! そのまま頭をうつむかせて視線は床を見つめている。
「どうしたの? お腹でも痛いの?」
「……すまない、ルシリカ」
「えっ?」
リンゼイが顔を上げた。まるで何か苦いものでも食べてしまったかのように、眉間を寄せて唇を噛み締めている。やっぱりお腹でも壊したのかしら。顔色も青ざめていて気分が悪そう。
大丈夫って声をかけようとした時だった。リンゼイが先に口を開いたの。
「先日頼んだ『王太子妃エリスの森の香り』だが……全部、注文が取り消しになった」
「……はい?」
気のせいかな。取り消しって聞こえたけど。しかも、全部……?
「全部、注文が取り消し?」
「そうだ。申し訳ない」
「うっ……!」
私はめまいを覚えてキッチン台に取りすがった。
冗談抜きで急に眼の前が真っ暗になったのよ。
何しろ、早く香を完成させなきゃいけないと思って、三日三晩、マロウ銀葉樹の葉を乳鉢で粉にする工程を続けたし、そのせいで自分の食事もちゃんと作ることができなかったから……。
足に力が入らないと思った瞬間。力強い手が私の肩を受け止めてくれた。倒れかけた私はそのままリンゼイに体を預けてしまう。
彼がどんな顔をして私を見ているのかは知らない。ただ彼は私をあのポヨン鳥クッションさながら、包み込むように体を抱きしめてくれていた。クッションとは違う暖かさ……人の体温って本当に安心できるよね?
私はその中で鳥の雛が鳴くように口走った。
「ううう……リンゼイ……ちょっと聞いてよ……」
「……ああ」
頭にリンゼイの手が載せられて、ゆっくりと落ち着かせるように撫でられる。
これは完全に愚痴なんだけど、いいじゃない。今は言わせて。
「私が受注した『王太子妃エリスの森の香り』は全部で百個近くあったのよ? 香一個に使うマロウ銀葉樹の葉は約三枚。三枚かける百個でも、三百枚近い葉っぱをひたすら乳鉢で粉にし続ける重労働……。その対価が、注文取り消しなの……?」
自分で言うのもなんだけど、なんか、どっと疲れが出てきた。
調合作業は苦にならないんだけど、これは流石にがくっときたわ。
「ルシリカ、本当にすまない」
耳元で囁かれる重々しいリンゼイの声を聞くまでもないわね……。
「……ほええ」
頭がなんだか働かない。体が重い。まぶたも重い。
あれ……? 不意に体が持ち上げられた?
ふわふわとした感覚を覚えながら、私は暖炉の横にあるポヨン鳥クッションに座らされた。
はあ……本物のポヨン鳥ちゃんの羽毛に包まれたい……。そしてこの衝撃を受けた心を癒やして欲しい……。
「ちょっとそこで休んでいてくれ。今からお詫びをするから」
「お詫び?」
リンゼイ、あなたさっきから何言ってるの?
自分で採ってきた注文が全部取り消しになっただとか。
お詫びだとか?
一気にここ数日の疲れが出てきてしまったみたいで、私はもう何も考えられない。
「……」
うん? リンゼイが白い前掛けをつけてる。料理人みたいなやつ。
がさがさと木箱の中を漁って食材みたいなものを取り出す。
暫くして。
クンクン。
「ハッ……こっ、この匂いは!」
私の鼻腔を肉が焼ける甘いそれがかすめていった。
お肉……お肉を最後に食べたのはいつだっけ? 確か母のキノコシチューの中に入っていた鳥肉だったっけ。
暖炉の火がすごく大きくなってて、リンゼイが鉄のフライパンでお肉を焼いている。ああ……じゅわじゅわと肉汁の垂れる音。
漂うローズマリーのスパイシーな香りの共演……これは食欲をそそるじゃない。
「ルシリカ、できたぞ。起きれるか?」
私が寝そべるポヨン鳥クッションの隣に、机代わりにした木箱があり、白い布がテーブルクロスのように敷かれている。
その上で、白いお皿に分厚い切り身のお肉が載っている。ホカホカと湯気が上がっていてホントの焼き立て……。
「お肉……」
「そうだ。この間、たまには肉を食べたいと言っていただろう? 香の注文が取りやめになったのは私にも責任がある。ほら、食べられるか?」
目の前でリンゼイが肉をナイフで小さく切り分けている。
フォークに突き出されたので、私は黙って口を開けた。
ぱくり。
はあ~柔らかいお肉。油も舌の上で溶けてすんごく美味しい。
「リンゼイ、物凄く、ものすごーくおいしいよ……」
「そうか」
「もう一口頂戴」
「わかった」
そこからはもう食欲が抑えられなくなってしまった。
私はリンゼイが差し出してくれるお肉を瞬く間に平らげてしまった。
「……ふう。スープも香草の出汁がよく出ていて、とっても美味しかったわ。ありがとう」
「満足してくれてよかった。私にはこんなことしかできなかったからな」
「まさかここで料理を作ってくれるとは思わなかったわ」
「料理と言えるものじゃない。これらは騎士見習いの時に、野営のメニューとして最低作れないといけない食事なだけだ」
「ご謙遜を。スープには最低《《八》》種類の野菜と《《五》》種類の香辛料が使われていたわ」
「すごいな。どうしてわかった」
「私の嗅覚は人より優れているから。材料を入れてきたその木箱からも匂ってきたわ」
「なるほど……」
「香りの嗅ぎ分けは、香職人の基本。あらゆる香りを知って、お客様の望む香りを作り出す……」
「ルシリカ。君の受注分が全部取りやめになったわけだが……」
私はリンゼイから事情を聞いて、カッとお腹が熱くなるのを感じた。
「あっ……あのクソジジイ……!! 私の香りのレシピを『無断』で使って商売ですって!? どの面さげてギルド長なんかやってるのよ! そういう無断使用をさせないためにギルドはあるんでしょうが! 頭にくるわね」
私は一気にまくし立てて、頭をポヨン鳥クッションに再び埋めた。
怒りは力が出るっていうけど本当ね。まあ、反動ですごく消耗するけど。
「この島から出たら絶対に、あのギルド長のやったこと許さない! でも……当分出ることはできそうにないから……」
「ルシリカ、どうした?」
どこか私の顔を見て恐々としているリンゼイに笑いかける。
まあ。場の空気を凍らせるのが得意なリンゼイ様に、恐れられるってなんだか凄くない?
「リンゼイ。ちょっと『協力』して欲しいんだけど」
「君が島から出たいというのは無理だが」
「違うわ。私、あのクソジジイに反撃したいのよ。渡したいものがあるから、お城の女官――そうね、カルミア様がいいかもしれない。彼女に試してもらえないかな?」




