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第18話 ◆執務室は人生相談所(リンゼイ視点)

 午前中の報告会議が終了して、リンゼイは執務室に戻った。今日はいつもの会議内容に加えて、先月亡くなったエリス王太子妃の服喪期間が開けたことを、宰相のファーデン公爵が宣言した。


 カランサス王子の精神状態は、エリス王太子妃が寝室で亡くなったことにより、若干の不安定さが見受けられた。一週間ほど王子は自室に閉じこもり、好きな絵を描くことでその不安を拭い去ろうとしていた。


 見た目どおり、少し繊細な方なのだ。かくいう王子の母――ローリエ王妃も体があまりご健勝ではなく、彼が五才の頃に亡くなられている。国王陛下はまだ四十五才で再婚もどうかと側近がすすめているようだが、王妃様のことを忍ばれて花の庭園を建立されるほどだった。


 その庭園でカランサス王子はある令嬢に心を奪われた。ローリエ王妃が愛した赤い薔薇が咲き誇る庭で、紅茶色の髪を結い上げた湖水の色を瞳に宿す女性――カルミア・スフォルツオ伯爵令嬢に出会われたのだった。


 王子がまだ十五才の時。私も彼の側近としてお仕えするように任じられて半年が過ぎた頃だった。王子が彼女に恋心を抱いている。何となくは察していた。キャンバスに彼女の横顔がスケッチされているのを見た途端、恐ろしい剣幕で部屋を退出するよう命じられたこともある。

 けれど、王子の初恋は実らなかった。

 国王陛下と宰相ファーデン公爵は、国の先を見据えてカランサス王子の妃には、エリス・ファーデン公爵令嬢をお選びになったからだ。王太子である彼には逆らえない決定事項であった。


 結婚したカランサス王子とエリス王太子妃の仲については、お互いがお互いの役割を演じている様子が否めなかった。あくまでもそれを察しているのは、王子に近い側近の私と、きっとエリス王太子妃の侍女だったカルミアだけだろう。

 それぐらい、お二人は王国の次代を担う者として公務に励んでいたのだ。

 自ら願う真の幸福よりも。



 ◆



「リンゼイ殿」

「あ、これは失礼いたしました……」


 書類から顔を上げると、エリス王太子妃と異母妹ルシリカの父親――ファーデン公爵が私の執務室を訪れていた。席を立って机の前にある応接椅子を案内する。


 ファーデン公爵は五十代半ばに差しかかっているが、青みがかった黒髪にはまださほど白いものは目立たず、彼の家系の特徴であるラベンダー色の瞳は温かな光を宿していた。国王陛下と面会していたのか、筆頭貴族の証である赤と金の肩掛けを上着に着用している。


 ファーデン公爵は現国王が十六才の時から宰相として仕えていた。国王陛下が成人する二年間、みっちりと帝王学を叩き込んだと言われる。


「ファーデン公爵殿、何かご用でしょうか」

「いや……仕事中邪魔して申し訳ない。しがない中年の独り言を……誰かにきいてもらいたくなってな」


「私のような若輩者に貴方のお相手が務まりますでしょうか?」

「そんな堅苦しい話をするつもりはない。あなたには我が娘エリスとルシリカの事で世話になっておりますから」


 私は席を立ち、部屋の飾り棚からワインとグラスを二つ手にした。

 酒をグラスに注いでファーデンに勧める。

 いつになく覇気がないようだ。無理もない。愛娘のエリスを亡くしたばかりなのだ。

 そして庶子だが実子と認知したルシリカが、エリスを毒殺した罪で幽閉されてしまった。

 二人をどれくらい愛しているのかは知らないが、気落ちしているということは、親の情はあったということか。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ファーデンは口を湿らす程度にワインを飲んだ。そのあとふうとため息をつく。

 場の空気が重いな……どんな話を聞かされることやら。


「ルシリカの様子をお話しましょうか」

「ああ……教えてくれるか。彼女の母親が気にしているのでな」


 私はルシリカの近況をファーデンに語った。塞ぎ込んでいた彼の顔が、ふっと破顔した。彼女が暖炉の前に、とっても居心地の良いクッションをあつらえたという話をした時だ。


「あの子は母親に似て手先が器用なのだ。大人しいエリスがルシリカの真似をして、普段菓子など作りはしないのに、どうしても彼女に食べさせるのだとパイの作り方を料理長に教えてもらったりしていた。リンゼイ殿……私は今、後悔している。エリスのことだ」


「どうされたのでしょうか?」


「エリスには好きな男性がいた。隣国の貴族だがな。私の妻の弟の息子で、エリスと趣味が合うらしく、ずっと文通を重ねていたそうだ。だがエリスは決してその事を私に言わなかった。彼女が成人した十八才の時、私はかねてよりカランサス王子との婚姻を勧めていて、お前は未来の王太子妃になるのだと、そう言い聞かせていたからだ」


 私は話しながらファーデンの空になったグラスにワインを注いだ。

 余程喉が乾いていたのか、ファーデンがそれを一気に飲み干して、再び重い溜息を吐く。


「エリス様は聡明な方でした。あなたのため、ファーデン家のために王太子妃となられたのです」

「ああ。そうだ。私はそれで娘が……幸せになると思っていたのだ。それなのに」


 ファーデンは両手で顔を覆いむせび泣き出した。


「ファーデン家の銀の薔薇とも言われたエリス。その死に顔ときたら……まさかあのようにやつれていたとは。きっと文通していた男性と結ばれないことを苦にして、カランサス王子と上手くいかなかったのだろう。それを察してやれなかった自分が、今頃になって……情けなくなってしまってな」


「公爵閣下のご心痛、お察しいたします」

「だから……リンゼイ殿」


 ファーデンは席を立った。


「私はルシリカも……失いたくない。エリスを姉と慕っていた彼女も私の愛すべき娘なのだ。彼女のために、できることはなんでもする。リンゼイ殿。どうか、ルシリカを……」


 私は頭を下げたファーデンの傍に行った。肩に手を置き、立ち上がらせる。


「ええ。彼女には我々近衛騎士団が傍について、身の安全に気を配っております。私も週に一回ルシリカの所を訪れています。またいつでもお越しください。彼女の近況をお話いたします」


 ファーデンは顔を上げて私の手をとった。


「感謝いたしますぞ。リンゼイ殿」


 ファーデンはようやく安心したのか、ほっとしたような笑みを浮かべて私の部屋を出ていった。

 彼の意外な……いや、父親とはああいうものだろう。

 私には縁がなかったが。


 コンコン。

 今日は客の多い日だな。


「どうぞ」

「失礼いたします」


「ああこれは……女官長」

「リンゼイ様、お疲れ様です」


 入ってきた女官長の顔色があまり良くない。彼女も何か悩みがあるのか?

 今日の近衛騎士団長の執務室は、人生相談所と化している。


「どうか、されましたか?」

「あの、先日女官達が申し込んだ『王太子妃エリス様の森の香り』の香の件なのですが」


「ああすまない。思っていたより注文数が多くて、今制作中なのだ。乾燥に一週間かかるときいているので、もう少し待ってはくれないだろうか」


「いえ、リンゼイ様すみません。実は、注文を全部取りやめにしたくて来たんです」

「全部取りやめだと? 何故? あれほど皆さん、香りを気に入って下さったじゃないですか!」

「それが……」


 コンコン、とまたノックの音がする。こちらが返事をするまもなく、戸口から見知った顔が私の部屋を覗き込んでいた。白いエプロン姿の料理主任だ。


「あ、リンゼイ様申し訳ありません。料理担当者で申し込んだ『王太子妃エリス様の森の香り』のお香、注文をやめることってできますか?」

「お前達もか? 一体どういうことだ?」



 ◆◆◆



 私は副騎士団長を部屋に呼び、城下町に行くことを伝えた。

 黒い騎士服では目立つので、上から深緑のマントを羽織っている。私が街に出かけることはあまりないが、今回だけは特別だ。どうしても確認したいことがある。


「ここだな」


 城から十五分ほど歩いた街の中心部。様々な商店の卸問屋が店を連ねている区画だ。

 穀物や酒。青果や香辛料。世界中でそれらを商う問屋の間に、青鈍色の屋根をした三階建ての建物が見えてきた。門扉は蔓草が巻き付くような意匠の凝ったデザインで、所々金箔で飾られている。


【香料商ギルド会館】


 建物の入口の扉の横に真鍮の板で建物の名前が刻まれている。

 私は中に入ると、取次役にギルド長レンシャルとの面会を求めた。



「わざわざリンゼイ様がお越しくださるとは。今日は何のご用でしょうか」


 客間に案内された私は足を組みソファーに座ったまま、レンシャルを鋭く見つめた。

 くすんだ赤髪を濃い香りが漂う髪油で撫でつけ、口ひげのそれもぴんと立たせてある。暗緑色の上着は滑らかな光沢をたたえた上質の素材で、黒い革靴は照明の光が照り返るほど輝きに満ちていた。


「ルシリカが作った『エリス王太子妃の森の香り』について、お前に聞きたいことがある」


「ああ……申し訳ございません。まだ毒成分の抽出に時間がかかっておりまして。カランサス殿下と国王陛下には、文書で先に一報を送らせて頂いております」


「そちらの結果も気になるが。レンシャルよ。ギルドと契約している香職人に、『エリス王太子妃の森の香り』を作らせているという事を聞いた。しかも、お前から城の女官やその他の使用人達へ、こちらを購入しないかと話したそうではないか」


「リンゼイ様。お言葉ですが、私共は王太子妃代行のカルミア伯爵令嬢の要請を受け、城の方へ皆様がお使いになる石鹸や香水。清掃用の洗剤などを卸しております。おっしゃられた香のことは……ああ、最近ギルドで作った『マロウ銀葉樹の香り』として、お城で利用頂けないかとお持ちしたものを、皆様が気に入られたものです。それのことでございましょうか?」


「『マロウ銀葉樹の香り』……? 嘘をつくな。元はルシリカが調合した『エリス王太子妃の森の香り』ではないか! レンシャルよ、私はルシリカが作った香に有毒性が確認されるかどうか。調査のために、彼女の香のレシピを渡したのだ。お前は城内の『聞き香』の結果を見て、売れる商品だと判断し、ルシリカのレシピの使用許可を得ることなく勝手に香を作って販売したのだ!」


「め、滅相もございません! ルシリカのレシピなど、我々は使用しておりません。免状も持たぬ、素人のレシピなど恐ろしくて……」

「何だと?」


「材料も全く違うものでございます。ルシリカのレシピも拝見しましたが、とにかく薫竹の木炭なんて……火を着けると香りが煙でいぶされます。本物の香職人なら着火剤は無臭の素材を選ぶ。私共のようにね。レモニールの香りは良い発想だが、この精油はすぐに香り成分が飛んでしまって保管がきかない。だから代用品のレモンキンスの方が湿気に強く、柑橘の香りを長く楽しむことができる。と、このようにルシリカの作った香とは全く別物でございます。だからこそ、お城の皆様もギルドの作った香が欲しいとおっしゃられたのですよ」


「馬鹿なことを!」


 私は机を平手打ちにした。


「お怒りになられても、使用している材料、及び香草の配分もルシリカのレシピとは別物です」


「だが香りの元になったのは、ルシリカの作った香の方が先ではないか!」


「リンゼイ様。こう言ってはなんですが、ルシリカはエリス王太子妃を毒殺して幽閉中の身ですよ。彼女の商売の許可は一体どなたにもらっているのでしょうね? 我がギルドの商売について、もしも訴訟を起こすつもりでしたら、いつでもお相手いたしますよ」


「くっ……!」


 私は無言でソファーから立ち上がると部屋を後にした。

 背後でレンシャルの高笑いを聞きながら。


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