第12話 ◆香の検証(リンゼイ視点)
一方その頃、オルラーグ国のお城では……。
リンゼイはルシリカからエリス王太子妃に頼まれて作成したという香――正式名称は『エリス王太子妃のための森の香り』というそうだ――を持ち帰った。最もこれは再現だが。
彼女いわく、日光に当てないように気をつけてと言われたので、ルシリカの母の店に寄った所、防湿を施した箱がいいと勧められて購入した。
ついでに彼女の様子も忘れずに伝えておいた。着替えの服が入った布カバンを、まるでぬいぐるみのように両腕に抱えていたことを話すと、母ラーナは、ルシリカと同じ少しクセのある瑠璃色の髪を揺らして『あれはあの子のお気に入りなの』と微笑んでいた。
ルシリカが弧島に幽閉されてそろそろ一ヶ月が経つ。リンゼイは毎週彼女の様子を見に行く仕事が、ルーティンのようになっていた。
最初は食料に関して一切持ち込むことができなかったから、万一の事がないだろうかと気になっていた。
その不安は的中してしまったが、ルシリカが『過失』でエリス王太子妃を殺めてしまったというのが国王陛下の認識だ。よって、僅かだが食料の持ち込みが可能になったのは良かったと思う。
ルシリカが栄養失調で倒れていた姿を見た時。いつになく心がざわついたのを覚えている。見つけるのがあと数時間遅かったら。彼女は自力で食事を摂ることができなかったかもしれない。
呼びかけて目を開けてくれて本当に良かった。母親のラーナからキノコシチューが好物だと聞いていたので作ってもらったが、あれが消えゆく彼女の意識を必死に繋ぎ止めてくれたのだと思う。
リンゼイは無意識のうちにため息をついた。
最近、やけにルシリカのことを考えるようになってしまった。
毎週あの島を訪れるせいなのか。
いや。ルシリカの変化が気になるというか。
先週訪れた時とその前に訪れた時と。訪問を重ねるごとに、あの島の生活に順応していく彼女の変化を見るのが楽しみになっているなんて。こんなこと誰にも言えない。
すごいと感じたのは、誰も開けることができなかった『絶叫の三階』の扉を開いたことだ。どんな手を使ったのだろう。また話ができたら聞いてみたいと思う。
さて。そろそろ時間だ。
今日はルシリカが作った香の検証が行われる。
リンゼイは香が入った青い保管箱を手にして王太子妃の寝所へ向かった。
これは香の有毒性を判定する検証だ。
よって、あまり好ましくはないのだが、国王陛下、カランサス王子、王太子妃の元侍女カルミア伯爵令嬢が立ち会う。
そして香の専門的な分析は、香料商ギルド長レンシャルが持ち帰って実施する。
エリス王太子妃が亡くなった寝所は、当時のままを維持されていた。天蓋付きベッドを囲むように、国王陛下、カランサス王子、侍女カルミアが椅子に腰掛けた。
部屋の東側の窓は庭に面しており、念の為、少し開けて換気が保たれた状態だ。
リンゼイは近衛騎士として、出入口の扉に近い所で待機する。
「これよりルシリカが作成した香の検分を実施いたします。なお、ご気分が悪くなられた方は速やかにおっしゃって下さい」
赤髪のレンシャルがぴんと伸びた口ひげを一度しごいて、それぞれの顔を確認するように見回した。
「うむ。わかった」
重々しい声で国王が返事をする。カランサス王子とカルミアも、不安そうに視線を交わして頷いた。
リンゼイはふと気になった。侍女のカルミアはいつも肘まである白い長手袋をはめている。エリスが輿入れしてきた時はしていなかったような覚えがあるのだが。
それからカランサス王子は、エリスが亡くなってから急激にカルミアと接する時間が増えた。いや、エリスが体調を崩すことが多くなった三ヶ月前から、王太子妃代行としてカルミアが王子の公務を手伝っていたので、二人はとても親密になっていた。
リンゼイはカランサスの側近である。主君の振る舞いにいちいち口を挟む立場ではない。落ち込む王子に気を遣うカルミアが、徐々に傷ついた王子の心を解していったとも噂で聞く。
カルミアの手袋を嵌めた手を、カランサスがぎゅっと握りしめている。彼の不安を確かめるように、カラミアは何度も頷いている。
そうこうするうちに、レンシャルが暗緑色をした三角錐の香を香炉の上に置いた。
「それでは香に火を着けます」
レンシャルは国王にお辞儀をし、小さな火箸でルシリカの香をつまんで蝋燭の炎にそれをかざした。炎に触れて徐々に香が燃焼を始める。
薄っすらとした細い煙が立ち昇り始めるのをみて、レンシャルはそれを香炉の上に置いた。部屋の中をしばし沈黙が訪れた。
外から入る風のせいか、煙は部屋の天井へ瞬く間に立ち昇り、くるりくるりと渦を巻いている。同時に爽やかな柑橘を思わせる香りをリンゼイは感じた。それから、朝霧が立ちこめる森の中で、独り静かに佇んでいるような匂いへと変化していくのを。
「ほう……これは……上品で清々しい香りだ……」
目を閉じて国王が呟いた。
「あの、陛下。私は……ちょっと席を外してもよろしいでしょう、か……コホン!」
カルミアが具合が悪そうに額に手を当てている。
「大丈夫かい? カルミア。顔が真っ青だ」
「だ、大丈夫です。私はあまり……エリス様がお好きな木や森の香りが苦手で。コホン、すみません!」
カルミアがたまらず離席して、リンゼイが佇む扉へと歩いてくる。
「女官が外におります。カルミア殿」
「ありがとうございます。私はすみませんが、部屋を出ます」
リンゼイがカルミアのために扉を開けてやると、それを気にするようにレンシャルが席を立った。
「国王陛下、カランサス王子殿下は……大丈夫ですか?」
「儂は大丈夫だ。むしろ……森林浴をしているようで心地よい。体から余計な力が抜けるようじゃ」
「私も……香を嗅いで気分が悪いということはありません。そういえば、エリスと一緒にいた時は彼女からこんな香りを感じていました……」
「レンシャルよ。お前の見解はどうだ?」
「はい。香りに関してですが、調香のセンスはいいみたいです。ただし人体に有害では意味がありませんが。材料と配分はレシピをリンゼイ様から頂いたので、それを元に成分を調べてみないことには、なんとも申し上げられません」
「リンゼイよ」
「はっ」
国王が不意にリンゼイを呼んだ。いそいそとそばに近づき膝をつく。
「誠に良き香りじゃ。儂は気に入った。しかしカルミアのようにこの香りが苦手だと感じる者もいるようだ。城の騎士と女官達を集めて香を焚き、皆の感想を聞いて欲しい。ひょっとしたら、男よりも女のほうが香りに違和感を覚えるかもしれぬから。明日までに儂に報告をしてくれ」
「……仰せのままに」
リンゼイは立ち上がり、香炉のそばにいるレンシャルを見た。
「レンシャルよ。陛下のご命令で城の騎士と女官達にも、この香を嗅いでもらうことにする。あなたには成分の調査のため、ルシリカの作った香を三個与える。これでいいか?」
「結構でございます」
「国王陛下、騎士と女官は各三十名ずつで試します。よろしいでしょうか」
「いいだろう。リンゼイ、そちに任せる」
「ありがとうございます。では残りの六個は私がいただきます」
「待てリンゼイ」
「は、何でしょうか、陛下」
「ルシリカに、この香を追加で作るように頼んではくれんか。もちろん報酬は出す。ちょっと気に入ってしまってな。寝る前に焚いたら、朝までぐっすり熟睡できそうな気がするのだ」
「陛下、それはまだこの香が安全だと確認できていないのですから、早急では」
「そうですとも父上! この香だってまだ焚き始めて五分ほどしか経っていません。もう少し様子をみないと」
慌てたようにカランサスが席を立った。
「申し訳ありません父上。私もちょっと気分が優れないので、下がって部屋で休みます。ひょっとしたら香のせいかもしれない……」
リンゼイは扉へ向かうカランサスの背中に呼びかけた。
「王子。私も部屋まで同行いたしましょうか」
「頼む」
「はっ」
返事をして退出の許可を国王に求めようとした時。
「リンゼイよ」
「はい、陛下」
「ファーデン公爵を呼んでくれ。香の検分はまだ終わってはいないのでな。そしてもしもルシリカの香が安全なら、後で追加注文の連絡をする」
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
リンゼイはカランサス王子の後を追って部屋から外へ出た。




