第10話 エリス王太子妃のための森の香り
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では材料が揃ったので、依頼の品を作ろうかな。
調合の心構え。
余談なんだけど『調香』と『調合』で意味合いを私は分けてるの。
『調香』は好みの香りを作り出す作業過程のこと。依頼の香りのレシピを作るため、どの精油や香草を混ぜるか、その比率はどれくらいか、試行錯誤する一番時間がかかる所ね。
『調合』は、できあがったレシピにしたがって、実際にお香や香水を作る作業のこと。今回は『エリス王太子妃のための森の香り』というお香を作ります。
レシピがあるから『調合』作業です。
以上、余談終わり。
私は材料の香草を三階の部屋に持って上がった。
王女様の工房で初めて作るお香……うまくできるかしら。
三階の南側には窓があって、大きめの紫檀の机には、安眠花の香りを混ぜた琥珀色の蝋燭を四隅に灯します。この蝋燭は何を使ってもいいんだけど、王女様の工房に丁度あったので使わせてもらうことにしました。安眠花のふわっとした柔らかな香りが、気持ちをリラックスさせてくれて私も好きだから。
私は竹で編んだ平たいザルに、マロウ銀葉樹のハート型をした乾燥葉を並べた。銀葉樹の名の通り、白い産毛が表面にびっしりと生えており、それが銀色に輝いて見える所から名付けられた植物だ。
生の葉の香りは、山の上のひんやりとした清浄な空気を感じさせる。でも乾燥させると、意外にも深い森に立ちこめる霧のような香りへ変化するの。
マロウ銀葉樹は常緑樹であり、オルラーグ国に自生しているので年中入手しやすい。多分、この島にも生えていると思う。南の森にはまだ行ってないけど、そっちから香ってくるのよね。
地獄鼻のルシリカ――そんなあだ名を母につけられたけど、結構役に立つのよ。
香草を探すにはね。
さて。香炉で燃やす「お香」は、香り成分の香草と着火剤。それらを固める天然素材の糊が必要になる。
重要なのは着火剤。いろいろあるけど木炭を選ぶと燃やした時、煤が出て、木材特有の臭いと煙でお香の匂いを損ねてしまうの。
だけど今回の『エリス王太子妃のための森の香り』は、香りのイメージが木と森なので、燃やしても良い香りがする薫竹を炭にしたものを使います。
ほんのちょっぴりね。
香料商ギルドの長レンシャルが、裁判の時に嫌味たっぷりに言ってくれたのを思い出すなあ。免状持っていない私だって、生の薫竹は燃やすと有毒性のある煙が出るって知ってるわよ。私が使っているのはカラッカラの炭になったものだというのに。
私は作業用の薄紙の上に薫竹の木炭を置いて、ゴミや不純物の塊を取り除いた。それから大理石の乳鉢へ手で割り入れる。木炭は小指ぐらいの細さで実はすごく脆い。問屋から買ってきて家に持ち帰るだけで粉々に砕けてる場合がある。今回は粉にしてしまうので、砕ければ手間が省ける。
では木炭を乳棒で押し付けるようにして潰し、粉にしていきます。調合は単に材料を混ぜて作るものと思われがちだけど、実は一番集中力を使う所だったりする。
『どうかこの香りで、エリス姉様の心が、穏やかに癒やされますように』
香の使用目的以外を考えないように。
ただそれだけを一心に願って、作り上げていくの。
乳棒で潰していた木炭がサラサラとした粉になった。息がかかれば空気中に舞い上がるほどの細かさまで仕上げます。
次に、別の乳鉢を準備して、今度は乾燥させたマロウ銀葉樹の葉を三枚入れます。
「どうか、森の生命力をこの香りで感じられますように」
今度は願いを口に出して、黙々と葉を乳棒で細かくしていきます。
ここでのポイントはあまり葉を強く押しつぶさないこと。一番時間がかかる工程だけど、私はたっぷり三十分かけてすり潰しました。
木炭と銀葉樹の葉をすり潰したらふるいにかけて細かい粉にします。
――ちょっと、疲れちゃった。小休憩をとります!
一度二階に降りて、外で咲いていたカミツレの花と、鍋のお湯をティーポットに注いでハーブティーを作っちゃいました。
リンゼイに頼んで持って来てもらった蜂蜜を勿論、一匙加えてね。
「……蜂蜜入りのお茶、やっぱり最高……」
体を温めて疲れを癒やしたら、再び三階の作業場へ戻ります。
材料はできたから、後はそれらを混ぜて『お香』の形にするだけです。
・エリス王子妃のための森の香り(ルシリカ・オリジナルレシピ)
【香1個の分量】
・薫竹の木炭(粉)
・マロウ銀葉樹の葉(乾燥葉)3枚
・レモニールの精油 3滴
・蜂蜜(少々)
お香の肝となる香りの調整――『調香』は香職人のセンスにかかっている。
エリス姉様は清涼さを感じられる香りを好んだ。だからこの香を焚くと最初に香るのは、ちょっと甘やかさを醸しつつもみずみずしい柑橘の匂いが立つようにレモニール草の精油を入れます。
私は三個目の新しい乳鉢を用意した。まず最初にマロウ銀葉樹の粉を木匙二杯分すくって入れる。
次に薫竹の木炭の粉末を木匙の四分の一ぐらい入れる。その上にレモニールの精油が入った小瓶をかざして、透き通った香りのエッセンスを三滴垂らす。これは多すぎても少なすぎても駄目なのよ。
まずはこの三種類の材料を乳棒でかき混ぜていく。香を焚いた時、エリス姉様が穏やかに微笑むような顔をしている。
そう、心に思い浮かべながら――。
材料が均等に混ざったら、形を整えるために繋ぎの蜂蜜を加えます。
最初は木匙の半分くらい。粉がだまにならないように乳棒で混ぜ合わせる。
そのうち材料にてかてかとした艶が出てくる。乳棒に暗緑色の粉の塊がついてしまうので、それを落としながら根気良く混ぜ合わせます。
すると乳鉢にくっつかなくて、ころんとした塊になっていく。
「そろそろいいかな……」
クッキー生地より少し硬めぐらい。ボロボロにならない耳たぶぐらいの手触りまで練ったら、手で材料を捏ねます。
木型があったら、星やハートなんかにしても可愛いと思う。
今回は型がないので、手で形を整え三角錐にしてみました。
「久しぶりに調合したから疲れたけど、楽しかった~」
私はできあがった十個の小さな三角錐の塊を平たい板の上に載せた。
一週間乾燥させたらお香のできあがり。
お香は直接燃やすタイプと、香炉に火の着いた炭を置いて、その隣に並べた香が温められて、香りが広がるものがある。
私のは直接燃やすタイプ。リンゼイに使い方を言わないとね。
仕事をやりきった私は、水で指先を湿らせて蝋燭の芯をつまみ炎を消した。
息で消すと不浄な気を周囲に撒き散らしてしまうから、調合中は禁忌とされているんですって。よくわからないけど。
「はあ……これで毒殺容疑が晴れたらいいなあ……」
だって、有毒物質なんて元々入ってないもの。
レモニールの精油を加えたのは私のオリジナルなんだけどね。
この精油はちょっとだけ注意が必要で、原液を皮膚につけたら駄目なの。
エッセンスが濃いので、精油がついた肌を日光にさらしてしまうと、光との化学反応で肌が黒くなる病気を発症しちゃうの。
あくまでも原液の状態が駄目で、化粧水や蒸留水、練り香水なんかにして薄めた場合は人体に影響がないんだけどね。
用具を片付けていると外がいつもより暗くなってきた。
あ、雨が降ってきたわ。
そういえばここにきて初めての雨かも。
風も強まってきた。窓がガタガタ音を立てて鳴っているし、外から見える湖も水上に白い波がいくつも立っているわ。
リンゼイ達、監視塔の見張りに変更になってよかったわよね。でないとこんなひどい天気の時も、屋外で私の見張りをしなくてはいけなかったのかしら。
うーん。ちょっと寒い。二階に降りて暖炉の火で暖まろう。
お腹もすいたし、小麦粉と蜂蜜があるから、エリス姉様の作る林檎のパイには及ばないけど、それっぽいパンなら作れるかな。
ドンドン。
え? 誰か今扉を叩いた?
リンゼイ――じゃないわよね。次に来るのは来週だもの。
扉を凝視していると、まるでノックするようにまた戸を叩く音が聞こえた。
やっぱり誰か来たのかな?
「はいはい、ちょっと待ってね」
私が扉を開けると、何か白くて大きな塊が、部屋の中に向かって転がってきた!




