太鼓とホシハクビシン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの地元には、星まつりを行うお寺ってあるかしら?
私の実家周りだと、節分の前後に行うところが多いわね。一年の星の巡りを見て、良い年なら更に良く、悪い年にはその禍が重くならないことを願う。
お寺の前に、立札のような形で置かれていることない? 「当年星早見表」ってやつ。
ああいうの見て、自分が厄年なり大凶なりと分かると、不安でたまらなくなるのよねえ、私の場合。大人ならいいけど、生まれてまだ数年しか経っていないのに、不運の宣告とかされたら、親御さんも心配すると思うわ。
この当年星の供養を行うことが、星まつりの大きな目的だと聞いたことがあるわね。
時代をさかのぼると、星をまつる行事はメジャーからマイナーまで、多く存在している。たとえ些細なものであっても、それを怠ったがために大変なことが起こったケースも少なくないみたい。
私の地元に伝わる昔話なんだけど、聞いてみない?
私の地元は、大昔から太鼓をよく作っていたと伝わっている。
実際、ちらほら発見される集落跡からは、皮を張って作ったとされる太鼓の残骸が見つかっているとか。
特に「うちわ太鼓」らしきものを、かなり早くから作成していたと見られている。
知っているかもしれないけど、30センチくらいの長さの柄の先に、丸い枠を取り付けて皮を張ったものよ。仏教の法具としても現代では知られているけれど、その伝来前にはすでに似たような道具が作られていたようね。
このうちわ太鼓、叩いてみるとサイズに対してドーン、ドーンとよく音が響く。
太鼓は残響こそが命と語る人が、地元にはたくさんいるわ。太鼓は昔、カミナリ様の音を模倣して響かせるものであるから、その震えを長く続けることで、神通力が強まると信じられていたの。
その強さを保つため、私たちの地元で行われていた独自の工夫があったわ。
それは皮の素材。
多くの太鼓の革の素材は、馬・豚・牛などの動物とされているわ。ゆえに、人間が身近に飼う相手に選ばれた理由でもある。
ただ私たちのご先祖が使っていたのは、「ホシハクビシン」という生き物だったらしいの。
ハクビシンはイタチに似た姿を持つけれど、おでこから鼻まで白い線が入っていることが多い生き物。
中でも「ホシハクビシン」に関しては、いずれの個体もおでこの部分に、星型の白い毛並みをそろえていて、少し慣れた者ならひと目で判断がついたわ。
けれどホシハクビシンは、警戒心の強い生き物。棲むとされる山中へ分け入っても、姿をとらえるのは非常にまれ。そして特に敵意への反応は鳥並みで、飛び道具はおろか、視線に少々、邪なものを混じらせただけで、こちらに背を向けて逃げ出してしまう。
そのホシハクビシンをとらえるには、同じハクビシンの皮を用いたうちわ太鼓が、おおいに役立つ。
イタチを追い払うのに、人には聞こえない超音波を使う方法があるというけど、ホシハクビシンの場合も同じような形。
ポイントを定めて、住民が包囲網を張ると、手に手に持ったうちわ太鼓を、さするように軽くなでる。一方のみを残し、他の方面を担当するものは、太鼓をなでながら網を狭めていくのね。
すると、ホシハクビシンは太鼓を鳴らさない一方へ、ひた走ってくる。
自らの仲間の皮を使って、奏でられた音だと彼らは敏感に察することができるみたい。つまりは、彼らにとっての濃密な「死」の調べが、本能的に逃げを打たせるのだと伝わっているわ。
そして彼らが逃げる先に、ウサギ用の罠を仕掛けておく。三方から迫る死の臭いに酔わされた彼らは、たとえ丸見えのものであっても、すすんでかかりに行くほどの盲目具合を見せるそうなの。
その彼らが太鼓への加工へ使われる時期は、星まつりの開催に合わせられる。
私たちの祭りにも、かのうちわ太鼓が使われるけれど、護摩やお札やお経の用意をするわけじゃないのよね。
祭りの日は太陽が傾き出すと、村中で一切の火元を隠し、夜の闇が忍び寄ってくるのに任せる。出かけていた者も、それまでには帰宅するように促され、家にこもることが推奨されているの。
そして空で星が瞬き出すと、村人たちはそれぞれうちわ太鼓とバチを手に持って、中央の広場へ集まっていく。
彼らは全員で、夜空の四方へ目を向ける。
そうして星々の中、特に色や光の強さをしきりに変えるものを見つけると、その方角を担当する面々が、ドーン、ドーンとうちわ太鼓を鳴らしていくの。
いわく、そのように落ち着きのない星々は、天からいびられ、追い出されようとされているのだとか。
私たちが大いにへこまされたとき、天の神々へ願掛けすることがあるように、天もまた地上にいる者たちへ願をかけたくなるときがある。
それに私たちは応えてあげるのだと。地上へ響き渡るうちわ太鼓の音は、神通力のあらわれ。「自分たちが、しっかり支えてやるから、お前も天で頑張れよ」という、大きなエール。
それを持って、星々を守ってあげるのだとか。
実際、この風習は数百年前まで続いたらしいのだけどね。
戦国時代に入って、私たちの地元は一度、焼け野原になった経験があるんだって。
そのとき、ホシハクビシンもその皮のうちわ太鼓も、ほとんどが失われてしまった。その年の星まつりは間に合わせのうちわ太鼓を用意してのぞんだけれど、偽りの響きに天を支えられる道理はない。
一方の、瑠璃色に何度も光を放っていた星。それが太鼓たちの音が満ちる中で、墜ちたわ。
流星のように斜めではなく、まっすぐに。垂直な軌跡を残してね。
「あっ」と村人たちが思わず手を止めたときには、星の真下あたりの地平線が、こうこうと明かりを放っていたわ。その明かりは夜が更け、再び朝日が昇ってくるまでの間、やむことはなかったらしいの。
当時が戦の世であれば、火に包まれる街も城も珍しくない。あの星がいかなる被害をもたらしたかは、分からない。
けれども、のちの江戸の火事の多さを知ったご先祖様たちは、自分たちにもその原因の一端があったのではないかと、悩んでいたと伝わっているわ。