ここはどこ
目が覚めて一番初めに視界に移り込んだのは見たことのない和室だった。
どうやら今うつ伏せで寝て居るようで、頬には畳が直に当たっており、障子の隙間からは明るい日差しが部屋に入り込んでいた。
ここは一体どこなのだろう。
身体を動かすと長く伸びた黒髪が視界に移り込み、黒く長いワンピースの裾が次に見えた。
まるで自分の体とは思えない体の重さに驚きつつ、上体を上げれば見知らぬ少女が私と同じ様に倒れ込んでいた。
胸が上下に動いてはいるので、おそらく寝ているだけだと思われる。
こんな見知らぬ空間に一人だけではないことに安堵しつつ、その少女の肩を軽く揺すった。
「あの、起きてくださいませんこと?」
声かけと肩を揺すったり叩いたりを繰り返すこと数分、やっと少女は目を覚ました。
クリクリとした目を大きく広げ、内側に巻かれた黒髪を靡かせながら少女は勢いよく起き上がった。
「おぉ?!『恋よ、咲き誇れ』の龍ヶ崎あゆかじゃないですか!え?!本物?!」
見た目のお淑やかさなど微塵も感じさせない少女は目を輝かせながら私を見て訳の分からないことを言ってきた。
『恋よ、咲き誇れ』?
何だろうか、それは。
一度も聞いたことのないものだが。
名前だってそうだ、龍ヶ崎あゆかとは誰だ。
私はそんな名前ではなく、もっと違う、名前だったはずなのに。
名前が思い出せない。
それ以外の出身や過去にあったことなどは鮮明に思い出せるのに名前が。
「うわぁ、実物は美人だなぁ。羨ましい……ってあれ、ここどこ」
キョロキョロと部屋を見渡す少女に今更気付いたのかと頭を抱える。
今は名前を思い出せないことは置いておいて、ここがどこであるのか確認したい。
「貴女もここがどこなのかご存じないんですの?」
「うん、知らない!あ、あたしの名前はね、ってあれ。あたしの名前は宮崎奏音って…ん? それはあたしの名前じゃなくてゲームの主人公の名前ってえ?! あたし、奏音に成り代わったってこと?!どこかに鏡ないかな?!」
鏡?この部屋にあるだろうか。
近くの引き出しなどを勝手に開けて良いのか分からないが、とりあえず開けてみる。
そこには昔ながらの櫛や手鏡が入っていた。
それを勝手ながら拝借し、少女に手渡した。
「はい、ありましてよ」
「ありがとうございます、あゆかさん!」
鏡に映り込んだ顔を見た瞬間、少女――奏音は鏡を持っていない手で目を覆って天を仰ぎ始めた。
「おぉ、神よ。何ということだ……ただの乙女ゲームオタクがこんな美女に、しかもゲームの主人公に成り代わるとは…あぁ、なんという幸せ」
感動している奏音には悪いが、乙女ゲームとか、オタクとか、ゲームの主人公とか初めて聞く用語が多すぎてついて行けそうにない。
呆れながら奏音が落ち着くのを待っていると、何やら今度は悩み始めた。
「ん?待てよ。あたしって死んだの?死んで奏音になったってこと?え?だってさっきまでゲームして布団に入ったばっかりだったじゃん。長風呂サイコーとか叫びながら入って、ビール片手にスマホでゲームして……それから、それから?」
私もここに来る前、何をしていただろうか。
確か、いつものように布団に入ってそのまま寝ただけだった気がする。
その後何かあったのだろうか。
「ま、いっか!悩んでも分からないし!こんな美女に生まれ変わったんなら言うことなしってね!」
はっはっは、と腰に手を当てて笑い出す奏音に私も考えることを放棄することにした。
名前もそうだし、さっきまでの私がどうなってここに来たのか考えてもいつまで経っても分からないので、考えた所で時間がただ経過していくだけだ。
「にしてもこの和室どこなんだろうねぇ。ゲームの世界とも違いそうだけど。ゲームは普通に高校生活からスタートするのに……何故に和室?実は主人公和室で生活してた?いやそんな馬鹿な。洋風の部屋だったし。それじゃあ、あゆかさんの部屋?いやいや、豪邸でがっつり洋風だったし。うぅん…分からない」
胡坐をかきながら腕を組み、うんうん唸りながら考え事を続ける奏音に私は何も口を出さず、さっき手鏡を出した引き出しを再び開け元の位置へと戻した。
そこに何かここがどこなのか分かるものがないか探してみるも、あるのは櫛と手鏡とポケットテッシュだけ。
その下の引き出しには紫色の風呂敷と爪切り、カットバンが数枚入っているだけで場所を特定できるものは何一つない。
「スタート時点であゆかさんが登場してるのも可笑しな話だし、2人で平然といるのも可笑しい…ずばり!何もかもが可笑しいってことだわ!」
「そうですわね」
相槌を打ちながら部屋にあった襖をスライドさせると布団が4つ入っていた。
敷布団4つに掛布団4つ。
枕も4つずつある。
「……私たちの他にあと2人いるってことですの?」