乙女の唇泥棒
不慮の事故とは言え、乙女な先輩の唇(っていうか口の端だし、ハプニングなんだからキスでは無いと思うんだけど)を奪ってしまった謝罪を誠心誠意したいのだが。
───乙女な先輩は、私を避けている。
いやいや、待ってほしい。
これではなんだか私がハプニングにかこつけて、わざとキスをしたような感じではないか。
私だって、そりゃあドキドキしてどんな顔で謝ればいいのかベッドの上で転がり考えたのに。
朝、部室で待っていても来ない。放課後も来ない。
一体、あの幻の動物(先輩)はどこに隠れてしまったのだろうか。
我々(私一人)はその謎を解明するため、ジャングル(二年の階)へ足を踏み入れることにした。
「そうだ、先輩の名前も知らないんだった」
二年の教室をサラッと流し見てもどこにいるのかわからない。
探そうにも名前も知らなければ、大声で呼びかける訳にもいかない。
ここは危険なジャングル。探検隊(私一人。いたいけな一年生)が縄張りをウロウロしているのを良く思わない野生動物(二年)もいるのだ。
早速こちらをジロジロと見てくる野生動物(二年)の視線から逃げるように、教室前を過ぎ、渡り廊下を過ぎ、北校舎の図書室まで逃げて来た。
危ないところだった。
図書館の前に来てふと思う。
うむ。部室の次に居そうなのは図書館である。
なぜ先に危険なジャングルを選んでしまったのか。
こういうちょっとした判断ミスが命取りとなるのだ。
図書館の扉を静かに開けると、本と紙の香りがする。日当たりが悪い北校舎ならではの空気にちょっと癒やされる。
やっぱり先輩はここにいた。
大胆にも座りながら器用に腕を組んで寝ていた。
先輩の他には図書委員も不在で、静かな空間だった。
ふむ。中々の穴場スポットである。
先輩を起こさないよう、そっと近づき横に座る。
ついに冒険隊は幻の動物(先輩)と接触することに成功したのである。
先輩の体は座っても大きい。普段、真向かいに座っているからわからなかったが脚も長く、遠くの方へと投げ出されている。余っているならわけてくれてもいい。
黒染めした不自然に長い髪の間から見える、先輩の横顔はやっぱり整っている。
あ、首に黒子がある。
爪が少し深爪気味だな。
ふふふ。こういうのを発見すると、先輩のことに少し詳しくなったような楽しさがある。
まぁ、名前も知らないんだけど。
眼鏡がずり落ちていて、高い鼻がかろうじて眼鏡を落とさないよう支えている。
割れたらいけないのでね。善意でね。眼鏡の弦を両手で持ち上げ、救出する。
起こさないように、そっと、そっと
幻の動物が逃げてしまわないように……そっと……
「……あ」
先輩の目が完全にこちらを見ていた。
寝ぼけているのか、逃げる様子はない。
眼鏡を机の上に、そっと置く。
「先輩、私の事避けてますか?」
先輩はまだ寝ぼけているのか、聞こえていないのか、私の目をまっすぐ見てぼーっとしている。
ぼーっと気の抜けた表情の先輩は少し……いや、大分かわいい。
よし。謝罪を畳みかけるなら今なのかもしれない。
「この間のことは事故です。乙女の唇を奪ってしまってすみませんでした。……先輩と部室でお話しするの楽しかったのに、あんなことで先輩と気まずくなるのはイヤです」
乙女の唇は私の方なのだが、乙女なのは先輩なのでここはひとまず謝罪の意を表明する。
社会人になって学んだのだ。悪くないと思っていても先に謝った方が勝ちになる場合があると。
今がその時だ。たぶん。
そして、流れるように自分の気持ちと落としどころを提示。
私は今までの関係に戻りたくて、先輩を探したんですよ。
「たのしかった……?」
寝起きの先輩の声は掠れていて、大変色っぽい。
「はい。先輩と話すのは楽しくて……楽です。ほっとします。先輩は違いますか?もう話しかけないほうがいいですか?」
うん、なんて言われたら泣いてしまう。
「……俺も……たのしいよ」
先輩は少し、瞳をウロウロさせた後、ふーっとため息をついたのち軽く笑んだ。呆れた顔とも言う。
「よかった」
言わせた感はあるけれど、これは嬉しい。
これには乙女の唇泥棒ハルコもニッコリだ。
先輩は私が笑ったところを見て、もう一度『しょうがないなぁ』とでも言うように軽く笑った。そして用は済んだとばかりにまた腕を組んで目をつぶってしまった。
また寝るつもりなのか。
「また、ハルコの大作戦で新展開があったんですよ」
部室で眠ればいいのに。
そう思いながら、私も先輩の隣に座りながら背伸びをする。
「はは、それは楽しみだね」
「はい」
このまま、図書室に誰も来なければいいのに。