乙女
高校を卒業して就職した会社が借り上げているマンションの一室を使わせてもらっていた。
慣れ親しんだ部屋に入ると、記憶のままの部屋の中にあの時買った姿見が置いてあった。
そこに映った自分は、記憶にある通りの自分……のはずが。
「スタイル良い!!??」
急いで着ていた洋服を脱ぎ捨て、身体を確認する。
記憶にある自分はチビで、ボヤッとした体型だったのに。今、姿見に映る自分は腹筋に筋が入りメリハリのある体型になっている。なんといってもお尻と太ももの境目がくっきり!そして丸く上を向いている!
「これが筋トレの効果……!!」
イズミ様の教えは正しかったのである。そして、私はあれからイズミ様の教えに従い筋トレに励んでいたんだ。
部屋の壁には、筋トレを始めた時に部室に貼りつけた「毎日のトレーニングメニュー」が貼られていた。
随分と色あせたり、書き足されたりしている。
「そうだ……ウミカは?アカネは?」
スマホを取り出し、メッセージアプリを開く。
イズミ『浅田君なんだって?殴る?遠藤呼ぶ?』
アカネ『暴力はだめだよ!春ちゃん本当に大丈夫??心配だよーーー!』
ウミカ『肉食お!肉!焼肉!』
「夢、じゃない……?」
この三人だけじゃない。見覚えのないメッセージがあふれている。
どうやら、今の私は友達が増えたようだ
企業アカウントからのメッセージが並んでいたはずのメッセージアプリには、色々な人とのやり取りがあふれている。
画像フォルダを見てみても、ほとんどデフォルトの画像か仕事のメモばっかりだったのに
色々な景色の写真がある。旅行でもしたのか、CGみたいな風景や食べ物の写真もたくさんある。あと猫。
まだら模様のふてぶてしい顔の猫だ。
動画もあった。石畳に転がる猫をなでる手が映り込んでいた。
意外と綺麗な手。
骨ばっていて、指も長くて、大きな手。
───この手は。
メッセージアプリを開き、先輩の名前を探す
「ていうか先輩の名前ってなんだっけ」
画面に並ぶアイコンを見ていくと、あのふてぶてしい顔の猫のアイコンがあった。
ドキドキする心臓を抑え、アイコンをタッチすると
名前は「K」とだけ表記されていて、電話の履歴と猫の動画と画像のやり取りがあった。
最新のメッセージは文字だった。
『大丈夫だった?』
一言、それだけだった。
そのメッセージが来たのは斗真と待ち合わせの時間の10分後。
自然な動作で電話のアイコンを押すと、3回ほどコールが鳴った後、確かに私のスマホから先輩の声が聞こえてきた。
『もしもし。大丈…』
「先輩ですか!?」
『先輩って懐かし……ふざけてるの?』
「先輩だぁ……」
『変な子……まぁ、大丈……そうで安心し……よ』
「あ、待ってください。電波が悪いのかな」
窓を開きベランダに出る。
肌寒い風を受け、自分が薄着だったことを思い出した。
いけない。これじゃ不審者じゃないか
『も…すぐ…るか…』
「え?なんですか?」
寒いし電波悪いし、一回かけ直そう……
いつの間にか外は暗くなっていた。空を見ると星がいくつか瞬いていた。
「先輩。ちょっと待ってください。上着をとりに戻らないと」
その星たちを見ながら、先輩に話しかけたはずだったのに。
先輩から返事は無かった。
急に目の前が暗くなり、貧血の立ちくらみかと思いベランダでしゃがみ込む。
めまいに目を開けていられなくて、ギュッと強く瞼を閉じる。
急にふらついて倒れてケガをしたら大変だ。
それに、こんな格好でベランダに倒れたら凍死か変質者扱いだ。
*
ゆっくりと目を開けると、ものすごく近いところに先輩の紺色の瞳があった。
「あれ?」
肌寒さは無くなり、ホカホカと暖かい。
目の前の先輩は、私を見ながら目を丸くして固まっている。
あれ?これって……
「ごめん」
先輩がぐわっとものすごい勢いで立ち上がり、バタバタと部室から走り去ってしまった。
取り残された私の視界に入ったのは、もう見慣れた高校の制服と短く切りそろえられた爪の自分の手が握るペンだった。
「戻った……?」
私の心臓がやたらとうるさいのは、この超常現象のせいなのか。
先輩と急接近してしまったからなのか。
「ていうか、突然のキスに戸惑って逃げるのは私の方でしょう」
先輩の反応が乙女すぎる……!