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人魚の家

 Iの話


 A町のYという集落に、早乙女池と呼ばれるため池がある。そのほとりにあるのが、人魚の家だ。気になって一度見に行ったことがある。なんてことない。ただの古びた一軒家だった。昭和の中頃に建てられたというから、家屋は日本風の平屋造りでとても趣きがあった。しかし、あそこは周りの家も似たようなものだから、別段あの家が目立って古いということもなかった。前の住民が居なくなって一年も経っていないから、空き家という感じもしない。

 分かっている。君はあの家のことを知りたくて来たんだろう。僕の知っている範囲ではあるが、話しておこうと思う。

 僕が学生の頃のことだから、五年くらい前になるだろう。夏休みに、大学の仲間たちと集まった飲み会でのことだ。いくつかのゼミのメンバーを集めての、合同の飲み会であり、初めて顔を合わせる者もいた。

 そんな中で、たまたま隣に座った男がいた。別のゼミの者で、顔は見知っていたが、さほど親しくはなかった。田山という男だ。何となく言葉を交わしているうちに、彼の家族が、最近、K県のA町というところに移住したということを知った。偶然にも、その場に、A町の出身者が二人いた。僕と同じゼミの友人で、一人を中野、もう一人を荒川といい、彼らは従兄弟同士だった。

 僕の隣で話を聞いていた荒川は、田山に関心を持った。離れた土地で地元の話がでると、相手に親しみを覚えるものだ。荒川は僕を押しのけて田山の隣に座り、家族が移り住んだ家を尋ねた。

「もしかして、それは早乙女池の畔にある大きな屋敷じゃないか?」

 そう言って、荒川は僕の向かいに座っていた中野に顔を向けた。一方の中野は、荒川にちらりと視線をなげただけで、興味がなさげに酒を飲んでいる。

 そこは中野の実家がある集落であり、荒川の母の郷里でもあるらしい。

 田山は「そうだ」と頷いた。

 すると、荒川は険しい顔をした。好奇心が旺盛で、人懐こい荒川は、言いたいことは何でも、脳を通す前に口から零れ落ちるところがある。しかし、この時は妙に口が重く、おどおどとして、普段の彼らしくなかった。やがて、

「気を悪くしないでほしいんだが……」

 という断りをいれると、ある昔話を語った。

 昔、といっても、いつの頃だかはっきりとしたことは分からない。あるところに、漁師がいた。着るにも食うにも困るような貧しい生活だったが、ある時、漁師が仕掛けた網を引くと、僅かな魚の中に、妙なものがかかっていた。それは人の姿をしているが、下半身は魚の形をしている生き物、人魚であった。

 人魚は人の言葉を話し、どうか海へ返してくれと泣いて頼んだ。しかし、その肉が不老不死の妙薬になると聞いていた男は、それを地主の元へと運んだ。地主は大変喜んで、男を自分の娘の婿にすることを約束した。屋敷を去る男の背に向け、人魚は低くうなるように言った。

「この先、お前の子孫は水によって災いを受けるだろう」

 その後、男は漁師を辞め、地主の婿養子となり、義父の後ろ盾を得て事業を立ち上げ、家は栄えた。

 人魚の言葉を恐れたのだろう。水に関する生業はことごとく避け、子孫たちにも、それを言い聞かせていたそうである。

 しかし、それから何代か後の当主が、海運業を始めた。当初は羽振りが良かったが、些細な失策からほころびが生じ、やがて事業は立ち行かなくなっていく。社運をかけた最後の船は、当主の息子、弟やその息子たち、親族の者を乗せ、海に沈んだ。再起に奮闘した当主もすぐに体を壊して亡くなり、家の者たちが次々と倒れ、地主の家系は遂に途絶えた。地元では、あの家の者は皆、水に関わることで亡くなると言われているそうだ。

「ははは」

 田山が笑った。

「おもしろい昔話だな。古い集落なら、そんな民話も一つ二つありそうだ」

「しかしね」

 荒川は険しい顔のまま言った。

「あの家が人手に渡った後も、あそこに住んだ家族の子供が、早乙女池で溺れているんだ。一人じゃない。兄弟二人が。それぞれ別の日に、池で溺れてるんだ。そのために、池の畔には遊泳禁止の立札が立っている。これは、ただの偶然だろうか」

「偶然だね」

 田山はきっぱりと言った。

「池で溺れる子供なんて、別に珍しいわけじゃないだろう。早乙女池のことは、僕も知っている。地蔵があるのも。もちろん、立札もね。子供は気の毒だ。でも、不幸な偶然さ」

 荒川は納得がゆかぬ顔で黙り込んだ。彼がこのようにムキになるのは珍しいことではなかったが、内容がいささか幼稚で、僕は少し白けた気持ちになった。田山も同じだったのだろう。

「じゃあ、ちょっと僕はあっちへ行こうかな」

 と言って、さっと席を立つと、気の合う仲間の元へと去ってしまった。

「らしくないじゃないか」

 僕は、しょんぼりとして見える荒川を元気づけるつもりで声をかけた。荒川は顔を上げると、こちらを見て、力なく笑った。

「バカな話をしたと思うけど、言わずにはおれなかった。あの家は、あまり良くないと思うんだよ。しかし、田山には悪いことを言った」

 見るからにしょげていた。困った僕は、黙々と料理を口に運んでいる中野に顔を向けた。

「中野の地元なら、荒川より詳しいんじゃないか? 人魚の呪いなんて、なかなか興味深い話だな」

 すると、中野は頷いて、

「信じる信じないは人の自由だ。確かに、あそこは僕の地元だから、荒川の知らない話も知っている」

「また怪談かい?」

「怪談と言えばそうだが、人魚は出てこないから、こちらの方がリアルだよ。昔、あそこはあの辺りの地主の家だったんだが、大変女好きで、人妻だろうが何だろうが、気に入った女は次々と自分のものにしていたらしい。早乙女池はその地主に無理やり連れてこられた女が何人か身投げした場所だそうだ。名前の由来もそれだと聞いている。さっき、地蔵があると田山が言ったが、あの地蔵は、その女たちを供養するためのものだ。池が何度か決壊して修復されているから、地蔵も新しいものに替えられている。こっちの方が、気を悪くすると思って言わなかったが」

 僕は驚いて目を見張った。

「地主は村人が差し入れる貢物と引き換えに、金や土地を与えたらしい。それ目当てに、女性を地主の元に送りこんだ村人もいたそうだ。これは僕の想像だが、その漁師とかいうのは、自分の妹か、妻か、または養女かを、地主に差し出したんじゃないか。欲しかったのは土地か、金か……。地主の娘が婿をとって後を継いだというのは史実だ。呪いだとしたら、こっちの方が、辻褄が合うじゃないか」

 僕は黙った。正直なところ、僕は呪いというものが本当にあるとは思えない。

「それこそ、信じる信じないだよ」

 三好は言った。

「自分の行動について、苦しむ苦しまないもまた、その人間次第だ。ある意味、呪いはあるとも言えるし、ないとも言える」

 田山の顔が思い出された。やはり彼は、偶然だと言うのだろうか。

 田山は去年の夏、早乙女池で釣りをしていて亡くなったそうだ。僕はちょっと寒気がしたね。信じてはいないが、気味が悪かった。あの家には何か、他の事実があるような気がしてならないのだ。

 今度、新しい住民があの家に越してくるらしいと荒川から聞いたが、君の知り合いらしいね。不思議なことだが、あの家の住人が絶えたことはないらしい。いなくなっても、二,三年のうちに、すぐ新しい買い手が決まる。君の知人が、こういう噂をあまり気にしないと良いが。黙っていても、いつかは耳に入るだろう。先入観とか、思い込みというものが、人の行動を左右することも、あるからね。


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