悩める心とベランダの影
あれから結局、徹夜する羽目になった。
なにをするでもなく、ただ不安で寝つけず、そのまま夜を明かしただけなのだが。
そもそも、俺は夜型の人間なのである。
本来なら自堕落に夜のひと時を過ごすのだが、あんなことがあってはなにも手につかない。
昨夜の一件について調べ始めたのは、翌日の昼過ぎ、徹夜明けのテンションが落ち込み出したころだった。
《ルーン•カミニ》
それが件のオンラインゲームの名前だった。
内容も女神の説明どおり。
『世界を愛で包む物語ーー』
と、そんな煽り文句がある。
オープンワールドのアクションRPGである。
俺自身、このゲームにそこまでの思い入れはない。このゲームに熱心だったのは、幼なじみの佐城愛佳である。
俺に勧めてきたのも愛佳だ。
そして、なかば強制的に登録させたのだった。
「これ、ぜったい面白くなるから!」
これが愛佳のお言葉である。
とはいえ、悲しいかな。
この愛佳という幼なじみ、なんとも不運な星に生まれついているのだ。
というのも、
「えっ⁉︎ これ次で最終巻なの……?」
こんな言葉を、何度聞いたことか。
愛佳が惚れ込んだ作品は、大抵が短命で終わる。
では、つまらないのかというと、そうではない。面白いのだが伸び悩むのだ。
(あいつはマイナーな作品を発掘する天才だな)
そんな風に、俺は考えている。
発掘もなにも、現在進行形で読み続け、打ち切りをくらっているのだが。
閑話休題。
とにかく、《ルーン•カミニ》もその例に漏れなかった、ということだ。
別に愛佳のせいではないのだが。
《ルーン•カミニ》が伸び悩んだ理由。
それはおそらく、競争心を駆り立てない、内向的な作りのせいだろう。
このゲームの一番の売りは、作り込まれたシナリオだ。四つの世界と二つの異界ーーそれぞれの世界に女神がおり、その世界の歴史や住人たちに触れ合い、謎を解き明かしていく。
そのメインシナリオを軸に、様々な依頼をこなしたり、あるいはゆったりとしたーーそれこそ、本筋に関わることなくエンジョイする。そんな自由度も売りだった。
だが、やはり競争心を煽らなければ、プレイヤーはのめり込めないものだ。
課金というものがそうで、このゲームにもそういった制度はあるが、比較的早くに頭打ちになる。
個人的な感想を言えば、いっそコンシューマーで出せばよかったのではないか。
そう思わないではいられない。
そんなわけで、《ルーン•カミニ》は今年の初めにサービスが終了。隠された謎も隠されたまま、不完全燃焼に終わった。
「終わっちゃったあぁ……」
サービス終了の翌日、なにを落ち込んでいるのかと愛佳に聞いたら、そんな呻きがあがった。
そこまで気落ちすることだろうか。
とは、本人には言わなかった。そんなことを言ったら、なにをされるか分かったものではない。
ところで、その程度の付き合いの俺が、なんの縁があってこんなことになったのか。
「女神クレーネ、ね」
ディスプレイに映る女神の姿を見て、なんとなく呼びかけてみた。
もちろん、返事はない。
(……愛、か)
このゲームの主題である、愛。
当然クレーネも無関係ではない。彼女は水の国の女神ーー女王のようなものだ。
水のように渾々と湧き出してやまない慈愛と、とんでもなく引くい笑いの沸点の持ち主。
どれぐらい低いかといえば、布団が吹っ飛んだレベルの親父ギャグで笑う。
笑うといっても、下品に大笑いするわけではない。せいぜい、紅茶を思わず吹き出してむせる程度の笑いである。
(だからあんな反応をしたのか……)
クレーネからしたら、なにもない空間からいきなり顔だけ出てきたのだ。
しかも開口一番「ど、どうも……」ときた。
(いやいや、それにしたって失礼だろ)
その上どうやら周囲の目もあまり気にしないたちらしい。女神としてどうかと思う。
だが、女神らしいところもある。
愛について語ったことは、真剣そのものだった。あれらの言葉に嘘偽りはなさそうだ。
(とはいってもーー)
この、ペンダント。
感触は本物だ。あまりいじくり回すとバチが当たりそうなので、眺めてばかりいる。
(選ばれた者の証って言われても、意味が分かんねぇよ)
その上不可解なのは、原作にはこんなイベントも、アイテムもないことだ。色々な掲示板を巡ってみたが、成果は上がらない。
ますます意味が分からなかった。
俺は慎重に、机の上にペンダントを置く。
もう考えるのも疲れてしまった。
(眠くなってきたな……)
さすがに昼日中に幽霊など出ないだろう。
俺はベッドに横になろうと、デスクから離れる。パソコンを切り忘れたことに気がつくが、億劫で戻る気がしない。
突然、スマホが震えた。
画面には佐城愛佳の名前が出る。
「………」
俺は無視してベッドに横たわる。
すると今度は、
ピンポーン……
と、呼び鈴が家に響き渡る。
一階から母親と愛佳の話す声が聞こえる。
休日なのに殊勝なことだとひと事に考えていると、母親が部屋の前までやってきた。
「マナちゃんが、暁の顔が見たいって」
「……そんな気分じゃない」
たまらなく眠かった。
それ以上の言葉は聞きたくないと、俺は寝返りをうつ。
「マナちゃん、玄関で待ってるわよ」
「……いいから、もう」
ドアの向こうから、ため息が聞こえてくる。
それから、階段を下りていく音。
(……まだ、会えない)
昨日の今日だ。
いくら自殺を回避して、多少とも前向きに生きようとしても、一日二日で変わるわけがない。
いや、
(……これも思い込みだな)
変わろうとしなければ、変われない。
分かっているのだ。
ただ、その一歩がなかなか踏み出せないでいる。
俺は、臆病者だ。
愛などとはほど遠い。
「……ん?」
やっと静かになったと思ったら、なにやら庭の方が騒がしい。
なにかをガシャガシャと動かす音が聞こえる。
それから、ベランダから大きな物音がした。
「………」
ギシギシと軋む音が、規則正しく響く。
嫌な予感がひしひしとする。
そして、
コン、コン、コン
と、誰かが窓をノックした。
「……嘘だろ」
認めたくなくて、俺は独りごちる。
だが、窓を叩く音は途絶えない。
おまけに、無言。
(ホラー映画かよ……)
カーテンにはうっすらと人影が映っている。
離れる気配はない。
俺はベランダに近寄って、恐る恐る、身を屈めつつカーテンを開けた。
「うおっーー」
俺は声を上げ、その場でのけぞった。
ばっちりと目が合ってしまった。
「あーきーらーくん、あーそびーましょ♪」
そこには、ガラスに額と鼻を押しつけ、不気味に微笑む愛佳がいた。