【特別編・短編】私が愛でたいのは、悪徳令嬢の彼女だけ!
私は馬を走らせ、帝都に急いだ。
今ならまだ処刑が止められるかもしれない。そう思った──いや願った。
生まれて初めて三女神ブリードに祈った。彼女を、「私の聖女」を救ってほしいと。
だが、現実は残酷だ。願っても時は止まらないのだから。
溢れかえる人込みで、馬を走らせることが出来ない。私は、馬を飛び降りて中央広場へと急ぐ。遠目で木々に吊るされた者たちが見える。処刑台のギロチンの刃も、既に赤黒かった。
すでに何人かは処刑されたのだろう。
吊るされたか、首を落とされたか。人が何人死のうが関係ない。
ただ一人。彼女、私の聖女アイシャ=キャベンディッシュだけが無事であればいい。
ふと顔を上げると、若草色の髪の男が、灰色の髪を掴んだ。抵抗する灰色の髪の女性は歯噛みし、男を睨んでいた。
「また……悪役を押し付けられたのね。学園では悪役令嬢、そしてここでは《裏切りの大魔女》……ッツ! どれだけ私を貶めて、大事なものを奪えば気が済むの!」
「お前がそういう立ち位置に居たのが悪い」
私の聖女は、処刑台に押し付けられてしまう。
駄目だ。この距離では、間に合わない。私はその場を跳躍した。
もう姿を偽る必要はない。なによりここで一度は処刑された身なのだ。それこそ今更だ。
私は外套を脱ぎ捨て、装備していた魔導具を砕く。次の瞬間、周囲に取り巻く光が砕け、本体に姿とへと戻った。
魔人族特有の黒い鹿の角、褐色の肌に、宝石のような紫の瞳。淡い金髪は片目を隠すように左前髪が長く、後ろ髪は一つに結っている。
身体強化による跳躍。それでも彼女を救うことは、守ることは出来なかった。
鈍色に煌めくギロチンが振り下ろされ、彼女の首が胴体から離れた。私は処刑台に佇む。
突然の魔人族の登場に中央広場は一瞬にして、恐怖に染まった。
「うるさい」
私は影に潜ませていた魔物を帝都中に解き放つ。
勝手に死ね。彼女を魔女と断罪したお前たちに、ふさわしい末路だ。
この世界の希望は、彼女が去ったことで死んだ。
「アイシャ。私の聖女……迎えに上がりました。一緒にこの世界を絶望に染め上げましょう」
灰色の髪の女人を抱き上げる。影は包帯のように、首と胴体を繋ぎ固定させた。漆黒の影は帝都中に広がり、漆黒の枝を生やしていく。それは死の大樹であり、この地を死へと導くだろう。
唐突に現れた魔人族に、若草色の髪の男は剣を抜いた。周囲の避難に尽力するとは、冷静な分析力だ。だからこそ私はこの男が許せなかった。
この男が真実に、辿り着かないはずがないのだ。その上で、アイシャを見殺しにした。
「彼女を離せ。人として埋葬する」
静かに男は告げた。
怒りでもなく、悲しみでもない。それが責務だからこの男はそう告げたのだ。
「離せだ? この世界で誰よりも平和を願い、戦ってきた者に対して、死を与えたお前たちが──彼女に触れることは許さない」
「…………」
「魔物討伐大連合軍総督、ルーク=グレイ・イグレシアス。お前なら彼女を救えたというのに」
「……貴公は何者だ?」
「名はレオンハルト=サンチェス……。ここで一度は処刑された──何ただの亡霊ですよ」
彼女を抱き上げると、私は笑った。
さあ、復讐劇を始めよう。全てを終わらせるため、彼女の為に帝都を滅ぼしつくそう。
彼女がいらないといった世界を。
彼女を悪役として押し付けた人々を。
***
「だああああーーーー。切ない! ……っていうか、やっぱりアイシャは死んじゃうのか」
私こと三原唯奈は、ベンチから立ち上がった。読み終わった小説を閉じて公園を出る。会社は目と鼻の先だ。珍しく定時に上がったのだが、本の続きが気になってしまって、近くの公園で一気読みしてしまった。
「はぁ……。帰ろう」
バス停までは、長い階段を降りなければならい。
いつもは会社を出る時にパンプスに履き替えるのだが、今日はヒールの高い靴を履いてきてしまった。それぐらい小説の続きが気になったのだから、しょうがない。
次巻はいったいどうなるのか、今から楽しみなのだけれど、飲み込めない気持ちもある。
「アイシャがすごく好きだったのに……。幸せにならないなんて……っ」
大切な人たちが次々亡くなる中で、それでも運命に抗おうとして──勝てなかったヒロイン。彼女の歩いた道が茨だったからこそ、幸せになって欲しかった。
だが、その希望は打ち砕かれた。
(なんでなのよーーー! 私がいたらそんな未来にはさせないのに!)
力いっぱいヒールの高い靴で踏みしめたせいか、私はバランスを崩し──階段を転げ落ちた。
夕暮れの日差しが、小説の映像とダブって見えた。
アイシャも死の間際、こんなふうに世界が見えたのだろうか?
暗転。
***
「ジュリア、ジュリア=クラーク!」
「──ッ、ハイ!?」
ふと次に私が意識を取り戻したのは、見知らぬ教室だった。大学の教室に似ており、教壇が低い位置にある。私は自分の状況が分からず、周囲を見回す。だが、馴染みのない場所なうえ、皆の服装が可笑しかった。まるでハロウィンの恰好かと言わんばかりに、白か黒の外套を羽織っている。
(……何コレ!?)
あまりの急展開に、私は目眩を覚え──そのまま気が遠くなった。意識が途切れる瞬間、灰色の髪が視界にチラつく。「ジュリア」という声が、あまりにも必死に聞こえる。その声だけが耳から離れなかった。
次に目を覚ました時は、医務室だった。私はベッドに寝かされ、その傍の椅子に座っていたのは、灰色の長い髪の少女だった。瑠璃色の瞳、あどけなさが残る幼い顔立ち、白い肌──窓から差し込む日差しが眩しい。
私は自分の見ている光景に、固まった。イヤだってそうでしょう。目が覚めたら自分が好きな小説の世界にいるだなんて、夢としか思えない。私は頬をつねったが、痛かった。うん、ただただ痛いだけだった。
「ええっと、大丈夫?」
「あ、はい! これはその……お気になさらず!」
「そう? 頬が赤くなっているわ。治癒」
彼女の指先から淡い光が生じると、頬に感じていた痛みが一瞬で引いた。
ま、ま、ま──!
「魔法!」
驚く私に、彼女──アイシャは微笑んだ。え、なにこの子。実物は、百倍可愛いんですけど!
「魔法学院だもの、魔法ぐらい珍しくないわ。あ、それともジュリアにとっては、治癒魔法は珍しかった?」
「それはもう! 魔法文化なんてなかったですから、感動で──」
いつもの感覚で答え──私は一瞬で自分の発言に冷や汗が吹き出した。
(ヤバイ……! この状況って、転生とかしたってことよね? じゃあ元の世界じゃ、私は死んでいるの!?)
「ローワンの親戚だけれど、もしかして共和国の出身? あそこの領土は魔力が拡散されてしまうから、魔法が珍しいのかもね」
(ああああああ! もう自分の転生とかどうでもいい。あのアイシャがすぐ傍で喋っている。生きてる……! それだけで十分よ!)
私は思わず泣きそうになった。彼女の学院生活は、けして良いものではなかった。義理の妹リリーによる根も歯もない噂。婚約者のヴィンセントによる嫌がらせや、横柄な態度の数々。思い出しただけでも腹が煮えたぎりそうになる。
(こうして転生?した以上。私がアイシャを守って見せるわ!)
「それにしても本当に平気? なんだか雰囲気が変わったような?」
(さすがにアイシャ。鋭いわ)
私が転生?した人物の名前は、ジュリア=クラーク。十六歳。
伯爵家の一人娘で、幻狼騎士団団長ローワンとは親戚関係だ。もっともクラーク家は大家族なので、勢力もそれなりにある。どうやらジュリアの記憶を除く限りだと、異世界に興味があったらしく、転生の研究をしていた。その結果、異世界の人間に転生するには同等の魂を入れ替える必要があったのだろう。同じく異世界転生を望む者──。
いろいろ思う所はあるけれど、私は切り替えが早いようだ。なにせ自分の好きなキャラが目の前に居るのだから。
「あー、えっと。ごめんなさいアイシャ。実はその、目が覚めてから頭を打ったせいか、どうにも記憶が曖昧なの」
「え!? そうだったの? じゃあ親戚のローワンやイリーナも?」
「ええ……。記憶が朧気なのだけれど……団長と副長は……」
アイシャにとっては辛い記憶を思い出させてしまう。彼女が十二歳の時に幻狼騎士団団長のローワンと、その妹の副長イリーナは国家転覆を謀った実行犯として処刑されるのだ。もちろん、彼らは無実であり、教会上層による陰謀である。
当時のアイシャは牢獄に居た為、騎士団を助けることが出来なかった。
(あの時のアイシャは、本当に可愛そうだったわ……)
そう思って彼女を見つめたのだが、ケロッとした顔をしていた。予想外だ。
(あれ?)
「ローワンは今、南の領土に魔物討伐の総大将として遠征に出ているわ」
「え?」
「あとイリーナは、魔人族の彼と結婚したのよ」
「ええええ!?」
思わず叫んでしまった。それをみてアイシャはキョトンとした顔で私を見返す。
「本当にジュリアらしくない反応ね。……入学時と雰囲気が違うようだし、記憶喪失というか人が丸っと変わったような……」
(うん、正解。さすがアイシャだわ。勘がいいもの。でも私が転生者だって知られるのはあんまりよくないわね。うん、ここは記憶喪失で貫かせてもらいましょう。それにその方が今後のアイシャの未来を変える手伝いができるし!)
帝国暦二〇七七年八月三一日に、アイシャは二十一歳の若さで処刑される。
キャベンディッシュ公爵の長女。しかし魔法学院卒業の際、キャベンディッシュ家から追い出され平民となる。そののち、辺境の地で生きるも聖女の力を失った彼女は《裏切りの大魔女》として生涯を終える。
それが私の知っている小説『白薔薇の革命戦記』なのだが──。
「アイシャ。鞄を持ってきたぞ」
ひょっこり医務室に入ってきたのは、アイシャを処刑台に立たせた張本人、男ルーク=グレイ・イグレシアスだ。悪役の登場に私はルークを睨んだ。
若草色の髪、彫刻のような整った顔立ちに、騎士と思えるような背丈も高く、ガタイもいい偉丈夫だった。現在は十六歳だが、すでに近寄りがたい雰囲気があった。
(私のアイシャに何をする気? ……って、ン? 鞄?)
「あ。ルーク、ありがとう」
(は?)
「今日はどうする?」
「んー。《女神の木漏れ日》で食事もいいけれど、材料を買って作るのもいいかな」
「そうか。途中で医療ギルドにも顔を出すか」
「うん」
(え)
アイシャは頬を赤く染めて、幸せな笑みをルークに返す。彼も彼で、恋人を想うかのような甘い眼差しがヒシヒシと伝わってくる。
(ええええええええ!? なにこの二人の会話! まるで恋人同士のよう!? え、小説だとこの時二人の接点って無かったわよね?)
小説の世界とは異なる展開に、私は困惑しつつも、二人の関係を尋ねた。
「えっと……、つかぬ事を伺いますが、お二人の御関係は?」
「婚約者の一人で、その……恋人です」
「恋人で、婚約者の一人だ」
(どういうことぉおおおおお!? ヴィンセント皇子は? ……いやあんなクソ皇子よりもなんでレオンハルトが居ないのよぉおおおお!)
私は頭を抱えて叫びそうになった。ここは小説と似て非なる世界なのかもしれない。ならなんでレオンハルトがいないのか。私の中では結構推しだったのに!
そう思っていた刹那。
「お嬢様──ではなく、アイシャ。先日の一件で、報告書を提出するようにと連絡があったのですが……」
「レオンハルぅ──レオン。わかったわ」
「!?」
アイシャが言いかけた名前に驚愕した。それと同時に医務室に入ってきた金髪の男性へと視線を向ける。黒の軍服に、陶器のように白い肌、目鼻立ちが整っており、瞳は黒、髪は淡い金髪、首の後ろで三つ編みに括っている。外見は二十過ぎだろうか。
魔人族ではない。だが──私には確信姪なものがあった。
(ま、まさか!? レオンハルト!?)
唐突に現れた彼は、自然な流れでアイシャの傍に歩み寄る──だが、その行く手を遮るのはルークだった。
「ルーク君。私はアイシャに用事があるんだ。そこをどいてもらえないか?」
「レオン先生。陛下からの言付けが済んだのなら、さっさとお帰りください」
(うわああぁ。こんなところでライバルの二人が出会っていたなんて……!)
もう小説の件よりも現状がだいぶ楽しいことになっている。ローワンもイリーナも生きていた。その上、ルークは恋人で、レオンハルトは絶賛片思い中。そんでもって、アイシャの伯父である皇帝陛下も健在。
この世界ではすべてのフラグを叩き潰したのだろう。
私はこの転生を存分に楽しむことにした。アイシャがアワアワしている姿を間近で見られるのでそれだけで満足だ。
「ジュリア、本当に大丈夫? さっきから顔色が悪いのだけれど……」
「大丈夫よ、アイシャたん」
「たん?」
「そうだわ。アイシャが帝都を案内してくれないかしら?」
「私が? いいけど、私は普通の子が行くような、お洒落なお見せなんて知らないのだけれど」
(うんうん。知ってる、知ってる。寮暮らしになったとはいえ、アイシャには後ろ盾もお金を稼ぐ方法もなかった。キャベンディッシュ家からの援助は望めないし、皇帝陛下は当時、床に臥せっていたから楽しい学生生活なんてなかったものね)
私はアイシャの魔法学院生活の事をしみじみと思い出す。
「クラスメイトとしてお願い」
「ふふ、いいわよ」
気前よくアイシャは首肯する。
レオンハルトとルークのいがみ合いも終了したようだ。二人はアイシャに熱い視線を向ける。二人とも本当にアイシャの事を大事に想っているのだろう。
甘く蕩けそうな笑顔を見れば、恋愛経験の少ない私でも気づく。
「友人と遊ぶのならオレは医療ギルドに顔を出していく。夕飯はまた後で話すか」
「うん、ありがとう。ルーク」
「では私は職務に戻ります。アイシャ、門限までには帰るようにしてくださいね。護衛には、ナナシ殿がつくと思うので安心だと思いますが……」
「はい。レオン──先生」
「別にいつものように呼んでしまってもいいのですよ、貴女は私の婚約者でもあるのですから」
(え。えええええええええ!???)
なにこのシチュエーション。
溺愛ぶりは前からだったけれど、レオンハルトがヤンデレになって無いし、王子様みたいにかっこいい。あと紳士的な姿勢も花マルだ。
あの復讐に燃え滾る狂人はどこにいった。いや、こっちの方が断然いいのだけれど。
(それにしてもあのルークが、アイシャの恋人なんて……。レオンハルトは片思いだけれど、婚約者でもある。……まさか他に婚約者なんていないわよね? 逆ハー!? まさかの!)
私が好きだった小説の女の子は、私が想像していた以上にいい子だった。
そして、自分の手で幸せをつかみ取っていた。
(アイシャとの学院生活。すごくいいわ。うん!)
私は悪役令嬢だったアイシャを愛でる。彼女が幸せになれるように、影ながら応援しよう。
そう誓い──そして私はふと疑問符が頭に浮かんだ。
(それにしても、ナナシって…………誰?)
お読みいただきありがとうございます。
【完結】死に戻り聖女様は、悪役令嬢にはなりません! 〜死亡フラグを折るたびに溺愛されてます〜の番外編
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