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雨上がりを待つ君とひとつ屋根の下で  作者: 秋日和
第十三章 後夜祭編
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95.君と別れ

 場所は変わらずミスドの中。

 藤澤(ふじさわ)との近況の報告から会話が始まり、内容はどんどん濃くなっていく。

 手にしたドーナツは一つ二つと口に放り込まれ、無くなるにつれて話はどんどん弾んでいった。

「しかしまさかこんな所で会えるとは思わなかったなぁ」

「僕もびっくりしたよー。だーれも来ないよここ?」

 よく目にするお店がこんな事言われるの複雑だな……。

「ん?藤澤はよく来てるのかこのミスド?」

 そう聞くとなかなか意味を読み取れば不安になりそうな言葉と笑顔で、

「うんうん。集中できるんだここね」

 客足が少ないこのお店に対する皮肉じゃないよな?


 目の前の机に置かれているiPadには、変わらず将棋の検討局面がAIの候補手付きで表示されている。

「………角換わり……ではないかこれ」

「うん相掛かり。この局面だけ見ると確かにね」

 藤澤に教えてもらった手順は確かに相掛かりの進行で……進行だったのだが…。

「はぇー……」

 って感じ。

「相掛かりは昔は力戦上等な作戦って理解されて、最近ではAIの登場でちょっとずつ定跡が整備されたりはしてきてるけど、やっぱりまだ自由な所が多いんだ」

「角換わりと違って戦型別に分類しても全く別の形に見えることがなかなか多いよな」

 かなり大雑把に言うと角道を開けないで飛車先の歩を伸ばし2五、8五まで突いた後に駒組みが始まる将棋の戦法だ。

「角を持ち合うと角換わりの前例に合流したり、序盤から三、四十手でいきなり終盤に突入したりね。変化が多いから勉強し甲斐があるよ」

 進行を教えてもらってから記憶を働かせ、色々と前例を思い出してみてようやく、

「その将棋ってたしか竜王戦の……?」

「あ分かるんだ流石だよ雨芽!その能力冗談抜きで喉から手が出るほど欲しい」

 おう……やっぱ勝負の世界で生きてる奴は違ぇな…。


 藤澤は現在、プロ棋士になる為の通過が必要となる奨励会に身を置いている。

 段位は二段であり、藤澤が奨励会に通い始めたのは中学三年生からだ。

 ここで言う段位はアマチュアのものとは違い、アマ三段から五段の棋力でやっと奨励会の段位のまた下である級位の六級に相当すると言われている。

「というか、序盤の知識なら雨芽(うめ)も相当深い変化まで知ってそうだけど?」

「もう二、三年も前の知識だけどな。今の時代だとこれだけ期間空くと致命的だろ?」

 現代は一つの作戦の寿命が短いと言われている。

 水面下で長く研究されていた作戦も、一度公式戦に出されてしまえば棋士たちはAIを駆使して指し手を数値化し検討できてしまう。

「たまたま見たことがあったから今回は運が良かったけど……今はもうタイトル戦とA級と、まぁ話題になった棋譜くらいしか見ないよ」

「充分充分!人の棋譜見ないなんて言ってる人もいるくらいだし!」

 この場合の人の棋譜ってのは他人の棋譜という事ではなく、人類の棋譜って事なんだろうな。

「本当にこの世界はどうにも天才が多くて苦労するよ。だから楽しいんだけどね」

 藤澤は言葉通り、心底楽しそうな声でそれを言う。

「序盤は研究で中盤以降は…特に終盤はもう二度と同じ局面は現れないとは言われるけどさ、でも僕人の棋譜見るの好きなんだ」

 趣味は将棋観戦、特技は将棋ですみたいな。

 強くなるためには本当に比喩なく将棋に身を捧げなければならないのか。

「いやいやそんな深刻そうな顔しないで!考えてること分かるよ!僕高校行ってるからね知ってるでしょ!?」

「あぁそういう。隼真(はやま)美穂(みほ)からもよく聞くから大丈夫だって」

 その人が幸せならそれでいいのじゃっておじいちゃんみたいな事を言いそうになる。


「ほら見てよこの将棋も!作戦が上手く行って先手ペースで将棋は進んでいったんだよ。桂を飛んで飛車に歩を叩かれて逃げるんだけどさ、そっから先手は全然不自然な手は指してないんだよ」

 指し手の説明を交えながら藤澤はiPadに表示されている局面を進めていく。

「見える!?この角打ちで両取りがかかって快調そうに見えるのに急な飛車切り!そっからの後手の切れ味は圧巻だよ!」

 作戦を参考にするなら序盤の数十手だけを見ればいい。

 それをしないで終局まで熱く心を躍らせているのは、本当に将棋が好きな事の証明だ。

 良い手に感動し、強い者に憧れる。

 俺だって例外じゃない。

 お前にそうして俺は惹かれたんだ。


 探究し尽くす事の出来ない将棋の奥深さ、人間同士だから出来る熱い思いをぶつけ合う勝負。

 それらが掛け合わさって、将棋には盤上でも盤外でもドラマが生まれる。

 それはプロとかアマチュアとか、ましてや子供も大人も関係ない。

 ……あの勝負の興奮は、今でも冷える事なく胸を燃やし続けている。

「なぁ!せっかくだし将棋指そうよ!」

 突然藤澤がそう言って身を乗り出してきた。


 藤澤の現在の立ち位置を考えるとそれは……。

「研究はいいのか?」

「雨芽と指す方が、僕にとっていい刺激になる!」

「嬉しい事言ってくれるな」

 二段の方にこんなこと言われたら断れるわけがない。

「それに今見てる5八玉型なんだけど…興味本位で調べたはいいけど相手の出方を待ちながら戦う手法を取るから、あまり自分は実戦で使いこなせないかなぁ」

 なるほど、初見で遅れを取らない為に知っておきたいくらいのものだったのか。

 藤澤は鞄から駒と盤を出して……え、iPadだけじゃなかったのか将棋関連の持ち物。

 視線から察して藤澤が問いは無いが答える。

「なんか持ってると安心できるんだ。iPadはチェスクロック代わりに使おう。記譜もとりたいし、指したのをこっちでもう一回指すって感じで」

「了解」

 お店の中で将棋、怒られないか心配である。


「………なぁ、もしかしてこの駒……それに盤も」

 折りたたみ式の盤を開いて駒を並べていくと、その手触りに覚えがある。

「うん。あの部室のやつ」

 嬉しいような寂しいような、そんな表情を覗かせて藤澤は続ける。

「後輩もいないし、高梨(たかなし)先生も定年だから。だから頂いたんだ」

 そっか、あの将棋部の顧問の先生…会った時にはもうかなり年取ってたからなぁ。

「先手はもらっていいか?平手でやるんだろ?」

「平手でやりたい。まぁ楽しくやろう」

「手加減してくれよ?」

 将棋では先手の方が勝率が高いとよく言われる。

 実際集計してみてもそういう結果が出る。

 奨励会員と平手なのだ、この将棋でバリバリの最先端の研究が展開されるとは思わないが…それくらいはしてもらわないと……。


「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 周りの声が聞こえなくなっていく

 静かな、あの小さい部室にいるような感覚になる。

 扶助部ではなく中学生だった頃の将棋部の部室だ

 盤だけ見たら、ここが何処か分からない。

 この五感は今全て将棋に注がれている。

 だから感じるのだ、あの部室を。

 懐かしい……そんな簡単な感想が口を漏れそうになる。

 久しぶりの将棋、言葉を借りるつもりではないが楽しくやろうと思う。


 奨励会の対局は基本的に記譜が作られない。

 藤澤の棋力は成長しているだろうし全くの未知数だ。

 プロのすごい将棋は頭の中で並べたりはしているが、流石に高校を除いた生活の大半を将棋に割いている人に勝てるとは思えない。

 ……だから、考える。

 考えて、考えて、考えて、藤澤と将棋を指す。


 何かを見落としているはずなんだ。

 迫ってくる取り返しのつかない未来の恐れに立ち向かい逆行するように、俺は飛車先の歩を真っ直ぐと突いた。

 こいつとの将棋で、それを見つけてみせる…!

作中の将棋は第35期竜王戦七番勝負第3局藤井聡太竜王対広瀬章人八段の棋譜を参考にしています。

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