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雨上がりを待つ君とひとつ屋根の下で  作者: 秋日和
第十二章 文化祭編二日目
92/106

90.分からない

 扉の前に立った瞬間。

 ほっと安堵したかのような、息が詰まったかのような、きっと正しくない感情が胸の中を渦巻いた。

 求めているものは、ずっと前から誰かではなくなっていて。

 どうしようもなく欲張りだ。

 辛い目にあったから助けてもらうのは当たり前?

 返すものもなく貰うだけの自分に嫌気が差さないのは何故?

 施してもらうのは、新たな生活を見つけるための時間を作るためであるはずだ。

 それが健全で、まだ両者の立場は理解の下に成り立たせることが出来て。


 換気用に開いた窓から風が流れ込む。

 廊下の大気が乱され、文化祭の為にこの部室が何のためにあるかを示す紙と壁の隙間に空気が入り乾いた音を立てる。

 私は、いつも通り扉を開いて窓側の席に座る彼を見つけたかった。

 この紙を、このポスターを三人で描いたあのいつも通りに、また戻れるだろうか。

 私はそれに入れるだろうか、入れてもらえるだろうか。

 私が欲したいつも通りは、それをいつも通りに変えてくれたのは……。

 乱れた髪をそのままに、扉に手をかける。


笠真(りゅうま)……って?』

『あぁ。雨芽(うめ)だよ雨芽。雨芽笠真!』


 あぁ、そうだ……。

 待っているから、行きたかったんだよ。


 一人でここに来て、一人の私と接してくれて。

 私はあなたの特別じゃない。

 でも、この関係性は特別だった。

 未白(みしろ)ちゃんも、きっとそうだよね。

 だから二番目も三番目も、私たちには関係ないんだよね。

 変わらず待ってくれているってことが、こんなに心を温かくさせてくれるなんて知らなかった。


 知れるはずないか、こんな人いないよ。

 出会ったことも聞いたこともない。

 悩みを持つ私はありふれていて、ここに来る私は特別じゃないから何を持ってしてもあなたを、雨芽くんを変えることはできない。

 あなたは私の特別なんだ。


 ……辛い、辛いよ。

 未白ちゃんは強いね。

 この部室、一人だときっと……。


 ……この関係が、大好きだ。


「……ん?久米(くめ)か」

 扉を開くと私の名前を誰かが言う。

「まさか君が来るとは思わなかったな」

 私も、菊瀬(きくせ)先生がいるとは。

「劇見てたよ。素晴らしかった。あ、もちろんその時は代わりの先生にいてもらったよ。心配するな」

 見てくれてたんだ。

 素直に嬉しい気持ちが心を満たす。

 と、安心してしまったのか、私の中の糸がプツリと切れてしまった。

「………ゴシゴシするな、腫れてしまうだろう」

 ボロボロと涙を溢し、それを拭って、拭って、何度も止まることを知らない涙を抑えようとする。

「ほら、これで目を拭いて」

 渡されたハンカチに目を塞ぎ、しゃがみ込もうとする所を菊瀬先生が胸を貸して支えてくれた。

 人の温もりは今の私には優しすぎて、また涙が新しく流れる。

「……大丈夫だからな」

 ここに来た理由を知らない菊瀬先生は、それでも私に大丈夫、大丈夫と繰り返し、頭を優しく撫でる。

 涙が、止まらない。


 一度目の放送が鳴った頃、私はようやく顔を上げて菊瀬先生に礼を言い姿勢を正した。

 先生はゆっくりと口を開き、語るように言葉を紡いだ。

「ここはそもそも人が多く来る場所じゃないからな。忘れ物も、取りに来る人がいないと置いている意味がない。全部まとめて今は職員室に保管してある」

 がらんとした扶助部部室はいつもとは少し違った間取りで、忘れ物が置いてあったのだろう机が中央に置いてある。

「私は、そうだな。その忘れ物の忘れ物がないか、確認していたところだ」

 ……だから鍵が開いていたのか。

 鍵を開けるという動作を自分がしていないことを思い出し、また同時に雨芽くんがここにいると無意識に考えていたことを思い知ってしまった。


 気持ちも大分落ち着いて、自分のことを話すことにした。

 立場の違う、先生という人が相手なら私に深くは入り込んで来ないだろうという甘えだ。

「私は、一人になるためにここに来たんじゃありません。誰かと居たかったから。ここが私の居場所だったから。私はここに来ました」

 黙ってこっちを見て聞いてくれている。

 続けてくれ、という感じだ。

「私のくだらない話も、バカみたいな話も、聞いてくれる。そういう人がここにはいるんです。私が来る時、いつも先にここにいて私よりも前にいる。そういう人なんです」

 菊瀬先生は私とは違った面持ちで、意味合いがあるように呟いた。

「彼は、部長だからな……」

 呟いてしまったのか、それとも私に聞かせたかったのか。

 でも、今の私にとっては部長という役職は思い出したかのようにまた甘える口実になってしまいそうだった。

「私は、私たちは、今の、この関係が好きです。大好きです」

 一貫性がない。

 それが彼を狂わせてしまったんだと思う。

 悩みを持ちながら、また新しいものを欲しがる私はとても意地汚く、強欲で罪深い。

「………でも、私は………自分で好きだと言いながら、また揺れてしまったんです!もう、こんなことする必要ないのに!こちらこそよろしくお願いしますって!そう言おうとしたんです!私は……!」

 ここに来ることは、来ることだけは簡単だった。

 理由もこれからもぐしゃぐしゃで、何一つ想像できないけれど、ここに来ることだけはあの場を離れた時に一番に思いついた。


 雨芽くんは私の特別で、でも私は雨芽くんの特別じゃないから……

「………私はちゃんと、自分で決めてここに来たはずなのに」

 彼はいつも通り理由を考えて、あの人ならどうするだろうかと記憶の中で推理をしただろう。

 ここには、来れない……私が見てきた雨芽くんは、どうしようもなく優しいから。

 だからこそここには来れない。


『一緒に行こうか?なんなら俺の紹介で』

『……いや、いいかな。一人で行くよ』


 扉の前で思い出した。

 私がどうしてここに来たのか。


「もう……分からなくなってしまいました、自分が………」

 未白ちゃんが助けられたのを見て、羨ましくなった。

 見つけて貰うのがどれだけ幸せな事か、想像に難くない。

 悩みを持つ者にとって、手を差し伸べてくれる人に縋りたいのは世の理だ。


 ……違う。

 今私は雨芽くんに探されている、そう思ってしまっている事自体がまず幸せな事だ。

 私の中で希望になっている、温かい熱を持ってそこに在り続けている事自体に感謝すべきなのに、私はそれを当たり前だと思ってしまっている。

 見捨てられ、分からないと切り捨てられる事だってあるはずなのに、私は雨芽くんを信じ切っている。

 もし探さないという選択を取ったなら、それはきっと……私が悪いんだ。


 私は彼の優しさを信じて何をした?

 ここまでなら話せる、ここまでなら許せる、なんて烏滸がましい。

 自分の領域に立ち入らせず、少し踏み入られれば気が乗ってきた所で引き返させる。

 見つけて貰えると信じていたのか、難易度を上げれば嬉しいと?

 我ながら酷い女だ、寒気すら覚える。

 泣いている自分が本当に自分の感情から発露した涙なのかすら、これでは疑わしくなってきてしまう。

 どれが本当の私で、どれが私の願いなのか。


 私は、だから雨芽くんの瞳に映る私になりたいんだと思う。

 私が決めると、歪んでしまうから。

 自分も、そして周りも。

「大丈夫。彼はきっと君を見つけてくれる」

 菊瀬先生は私のことを見抜いたように、最適な言葉を選んで俯いた私の顔を上げさせてくれた。

 欲しかった言葉が、こんなにすんなり貰えるなんて……。

 ふと頭を過ぎる可能性に考えを集中させると、ややあって二度目のアナウンスが鳴った。

「さぁ、行こうか」

 乱れた髪は気付けば直されていて、菊瀬先生の手際の良さに大人と子供の違いというものに感服する。

 思いも吐き出して気持ちは軽くなり、これならギリギリいつもの私らしくあれそうだった。


 さっきの可能性は、やっぱり私の思い違いだったのかな。

 こんな完璧で気遣いのできる人が、そんなわけあるはずないか。

 私と同じように、見つけてもらいたいのかな……なんて。

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