85.ドキドキして
体育館へと足を運ぶ。
すれ違う人たちは文化祭を大いに楽しんでいるようで、笑顔に満ち溢れている。
京両高校の文化祭は二日目も大盛況なようだ。
だからなんだという話ではないが自分が文化祭を少しでも手伝っている手前、こういう景色には幾らか感動を覚えなくもない。
本職の文化祭実行委員はもっと感動するんだろうなぁ。
それともバイト中の客来るな案件なんだろうか。
どちらも心情を推し量るには想像に足る対象がいないので断言はできない。
思考中止、はっきり言ってどうでもいい。
どうでもいいからマカロン食べたい。
さて、はっきり言って無策だ。
移動中の暇な時間もこれからのことを思考する時間に充てたほうが良いのだろうが、いかんせん前提条件が変わっていない。
限界を超えた力だとか、都合の良い奇跡だとか、そんなものを現実に求めるのはお門違いだ。
尤も俺の場合負債が既に大きすぎて、今更何を注文しても現実からはブラックリスト入りの厄介客相手に何も与えてはくれないのだろうが。
だから結局のところ、俺は俺の出来ることをやるだけ。
それによって望む結果を得られなかったとしても、俺は所詮それまでの男だということだ。
昨日の通路にたどり着く。
周りを見る限り、D組の生徒は俺が最後みたいだ。
人の移動はなくここに一人。
みんななかなか気がはやっている。
それだけ本気なんだ、きっと。
何はともあれ頑張るしかないな。
体育館の扉を開くと、舞台に向けてパイプ椅子が並べられており照明の白い光を反射させている。
舞台の上では中央で一人の少女が背を向けて背景を眺めていた。
足元まであるドレスを揺らしながら、時折横顔を覗かせて舞台を歩く。
その表情は心を躍らせているのが明らかで、見え透いた中でそれでも彼女は魅力的なんだと脳が判断を下す。
まるで物語の登場人物のように描かれた背景の中に立つその子は、こちらが手を差し伸べている姿が想像できないほど隔絶された存在なんだとこの目に映った。
それを受け入れるか受け入れないかは、俺もその物語とやらに踏み込まない限り分からないだろう。
「どうー?雪羽ー」
「バッチリだよー!OK!」
視線を下ろすと舞台の手前にある席にも生徒がいて、声の主は柊木だ。
その他にも数人、舞台袖にも何人かいる。
「ドレス似合ってるよ。やっぱ雪羽だね」
「えー?やっぱって言っても……。ちょっとこれ、何度着ても落ち着かなくて。ふわふわって言うかドキドキって言うか」
その会話で一気に平素の状況を思い起こさせ、体を硬らせていた緊張が吐きだした息から抜けていく。
ヒラヒラとドレスの裾を持ちながら空気を含んでゆったりと揺れる布地を眺める久米は、ほんのりと頬を赤く染めている。
「お、笠真遅いってー!ほら、早くこれ着替えて着替えて!」
やはり俺を見つけるのが誰よりも早い陽悟は、誰の視線も気にすることなく大きな声で俺を呼んだ。
「いやぁ拓実と背丈そんな変わんなくて良かったよ!奇跡だね奇跡!」
その背丈、170cmいってるかいってないかでキツいものあるんだけど。
あと……1あれば……。
いやまだ伸びる、信じろ自分、自分自身を。
こちらに衣装を持ってきてくれた陽悟に礼を言って、それからふと気になったことを聞く。
「そういえば久米はなんで魔法にかかった後の衣装を着てるんだ?最初は質素な服装のはずだけど」
舞台に視線を戻すと既に久米はおらず、どこかへ行ってしまったようだ。
「久米だけ劇中で着替える必要があるだろ?その簡単なリハだな」
あぁそういう。
「あとあれ。本当に照明と音響任せていい?いやうん。他に任せられる人がいないから成り行きでそうなったんだけど」
「任せろ!笠真の動きも働きも一挙手一投足丸ごと全部覚えてるから!」
………。
「じゃあ着替えてくるわ」
「突っ込んでよ!」
もういいってそういうの。
俺の情緒が一周回ったら構ってもらえるかもな。
更衣室で衣装に着替えて、簡単に身じろぎして身体に馴染ませる。
………高校生じゃなきゃこれ着れないな。
彩色をこれでもかと服に詰め込み、あまりの見栄えに目が痛い。
白中心のいかにも清廉潔白王子様な衣装。
もはや記号だ、記号として成り立つ。
服そのものだけが歩いていても王子様って認識できるまである。
若気の至りとか勢いとかそういうものを総動員して今回は乗り越えるしかない。
冷静になったら負け。
更衣室から出ると、外で待っていた陽悟が一言似合うよって言ってきた。
お前彼氏かよ。
サンキューな、と調子よく返しておく。
自分テンション上げてく方針なんで。
「笠真は舞台と、それから舞台の上からの景色見なくていいのか?」
陽悟は俺と楽しく会話できると踏んだのか、話題を展開していく。
この男はほんともう……。
「いや、いいよ。俺は変わらず覚えてることをやるだけだから」
いっけねなんか疲れてきちゃった!
舞台裏に到着。
そこではD組の生徒が各々に喋り合い、はたまた少し大きめの独り言のように落ち着かない現状を吐露していた。
そろそろお客さん入ってくるって!とか。
みんな頑張ったし絶対上手くいくよ!だとか。
励まし合うことが良い結果を生むのだろうか、みたいな捻くれてる考えを持っている俺は青春向いてない。
まぁ多分生むんだろうなって風に最近は考えるようになってきたけど。
なんだかそんな気がする、経験上。
「雨芽くん?雨芽くんだ、うん。王子様だね」
「あぁうん。なんだ久米か」
見たところ一般的な庶民の出の町娘風な、そういう話によく出てきそうな衣装を纏った久米が立っていた。
余裕な感じで着替えの心配は無さそう。
「結構な勢いで人入ってきてるよ。想像以上に。雨芽くんを見にきたのかな?」
「流石にその線は薄いだろ」
一般客が入る理由にならないし、うん。
「単に物珍しいだけじゃないか。この高校の枠組みで」
他に劇やってるクラスないし。
舞台裏から体育館に繋がる扉の窓から外を見る。
せ、席埋まってないかこれ……。
うわ後ろで立って見てる人もいるのかやばいな。
考えてみたら恒常的にやる出し物を除いたとして、時間が決まっていて内容も予告されている出し物は京両高校の文化祭でこれが最後なんだよな。
生徒の移動が少ないみたいな理由で最後に回されたけど、文化祭じゃあもう何してもしょうがないって結局これ。
「はぁー。でもやっぱり王子様が雨芽くんでよかったよ」
「それ絶対に古名に聞かせちゃダメなやつだな」
気を抜いてベラベラ喋りそうで怖いよこいつ。
「あはは。まぁねぇ。そういう雨芽くんは苦手な人いないの?」
「陽悟」
「ほ、本人に聞かれないようにね?」
いやもう察した上で、上等だー!だろあいつ。
一年生の頃からほんと変わらん。
「うん。まぁ、そうだねぇ。………本当は苦手って言うか、これ以上関わるのもなんかなぁって。あ、ごめんね私の話に戻しちゃって」
「いや、別にいいよ気にしなくて」
ここにいるみんな今意味のある話なんてしてないだろ……っていうのは失礼ですか、はい。
「好きでもないならけじめはつけないとっていう気持ちだったんだよ」
……なんだよそれ。
「別れる時に何かあったのか?」
「私の都合だったから」
それ以上は話せないと首を振り、久米は何かについては教えてくれないみたいだ。
元々こんな質問、答えてくれる方がおかしいか。
何を踏み込んだこと聞いてんだ俺は。
「あとね」
そう言って何歩か進んで久米はくるりと振り返る。
「付き合う前から、もう終わってたんだよ」
その表情は、他に例えようがないほど作られた笑顔だった。
久米の、久米がよく見せる笑顔で、他の誰の笑顔でもない。
だから、きっとそこには……。
彼女だけの事情があったんだ。
「なーんか心が軽くなった!これならもう行ける!よし!」
その足で階段を登り、舞台袖のカーテンを掴んで客席を見る久米はそれきりこちらには戻ってこなかった。
久米が待機したのを見て、D組の生徒はそれを合図のようにして動き始める。
「それじゃあ劇を始めよう!」
文化祭実行委員の古森の声。
スイッチを押し照明が点く。
本来の彼の仕事である舞台装置の設定も併せて幕を上げる陽悟。
仕事ぶりを確認できるのも劇の序盤だけなので、ふらっと近づくと、
「笠真は今日は久米さんだけを見ときなよ」
なんて粋な事を言われた。
……うーん、言うほど粋か?
まぁ、王子様ねぇ。
役作りというか、感情移入というか。
上手くできるか分からないけど、やってみるしかない。
光差す方に目をやると、これから先シンデレラになる女の子が歩き始めるところだった。
その歩みは既に魔法にかかったかのような軽い足取りで、王子様との出会いがなくても幸せなんじゃないかと思えてしまうほどだ。
光の中に消えるその姿に、俺は何故か記憶にある別の一人と面影を重ねてしまう。
『付き合う前から、もう終わってたんだよ』
その言葉の意味を推し量ろうとすると、どうしても過去の記憶がちらついてしまう。
この謎は俺の過去とは違う。
であるならば、これは俺が俺であるほど解くのは難しい。
彼女が救いを求めるならば、今の俺では…きっと……。