79.上手く
「だから、俺は別にお腹が減っていたわけじゃなくてだな…」
「え?でも私と一緒にお昼食べたいって」
「言ってないから……ギリギリ」
うわぁ話せば話すほど誤解が生じそう。
「でも陽悟くんいなかったんでしょ?」
「そもそもそこから勘違いなんだって」
「陽悟くんはいたってこと?」
「ん?陽悟はいなかっただろ」
「じゃあやっぱり雨芽くん一人だったんじゃん」
「別に一人でもご飯は食べられる」
「私とお昼食べたことと辻褄合わなくない?」
「お昼はそんな大事じゃないんだって」
「そしたら私と一緒にいたかったんだ」
だぁぁぁああ!!!!!
さっきからずっとこんな調子なんだけど!!!
というかこいつ自分で今何言ってんのか分かってんのか!?
なに能天気に一緒にいたかったって結論に至ってんだよ!
だめだなんかクラクラしてきた………。
同じこと何回も話してる気がするし……。
なによりなんだか久米の様子…上の空って感じするし、会話に集中していないような……。
古森が俺に頼んで久米のことを任されたことを話していいのか微妙なため黙ってはいるが、正直これがないと久米と一緒にお昼を食べた罪状を弁護することができない。
久米が私の勘違いだったよー、みたいな感じで話が落ち着いてくれたら楽なんだけどなぁ。
「だから現に俺が久米と一緒にいるのは」
「からあげ?」
「なんだって?」
「なんて言った?」
……この調子だからなぁ。
もう全然分からない。
校舎から体育館へと続く渡り廊下に足を踏み入れる。
渡り廊下は他に人の気配はなく、逆に先にある体育館からは誰かの声や靴が床と擦れる時の音、ボールの弾む音が入り混じって聞こえてくる。
この音で体育館って……久米は一体何故俺をここに……。
そりゃ他人のことだし全てを理解できていると傲慢に宣うつもりもないが、いくらなんでも記憶から外れた行動というか言動というか。
そりゃ俺は人並みよりも記憶力があるからそれが顕著に分かるというか、そういうのもあると思うけどさ……。
「……今日の久米…ちょっと変だ」
はぁ……どうすりゃいいってんだよ……。
………。
……………っは!?
っやば声に……出てた……?
自分の不注意さが嫌になる。
それもこれも頭の弱い会話してたせいだ、なんも考えてなかった。
慌てて表情を見るために逸らしていた視線を戻すと、
「そう見える?」
「は?」
そんな言葉と共に、久米は静かな微笑みを湛えていた。
「え、いや……。……それってどういう?」
そう見える……って口を滑らしたにせよ、そう見えたから言葉にしてしまったんだし、久米は自分の様子よりも久米をそう見た俺の理由の方が気になるのか……?
俺の問いかけには答えてくれず、体育館の入り口に先に着いた久米は笑みを絶やすことなく手招きをしてから先に入っていった。
……教えてはくれない………か。
体育館は外部の人が靴の履き替えをせずとも見学を可能にするためにシートが入口から広げられており、それを境にコートの中でバスケ部員たちが練習している。
「こっちこっち」
そう呼ばれるまま久米の後に続きコート全体を俯瞰できる場所まで移動し終える。
「結構人多いんだな」
体育館の外、つまり渡り廊下までの情報だけだとこんなに人がいるとは予想外だった。
ここにいる人はみな時間通りに、公開練習を見るために熱心に集まった人たちだということになる。
「うん。今年は大会で成績残してるし、話題になってるみたい」
そう言われて夏休みが明けてすぐの始業式を思い出す。
「へぇ、だからこんな人が多いのか」
というか、成績を毎年安定して残しているから公開練習なんてものをやってるんだろうなぁ。
人が集まらなくてもプログラムでは一日目は練習を、となっているからやりたくなくてもやるんだろうが、まぁそれはいいか。
「一応前で空いてるところもあるけど行かないのか?そっちの方が見やすいだろ?」
指差した方はここと比べると人は多いがまだ空いていて、二人分は余裕でありそうだ。
「いいの。ここでいい」
「……そう」
しばらく練習を見て、バスケの知識や経験は不足しているが試合形式の練習だったので楽しめることができた。
サッカーと違って試合展開が早いねんな……。
空いているスペースに積極的に走り込む姿勢や、ボールを持っていない人で何度もコートの上と下をスクリーンで入れ替わり、ディフェンスの隙を突いて攻め込んでいる。
ディフェンス側もカバーが早く、マークを外されても瞬時にそのマークを切り替える柔軟さや目のやり方に優れていた。
「へぇ、すごいなぁ……」
思わず声が出る。
春に男子バスケ部の練習を見たこともあるが男子と女子で遜色がない、いや、女子の方が連携を取れているかもしれない。
田中は頑張っていたさ、あいつは悪くないうんうん。
「うん。すごい。今はこうなってるんだね」
「久米の目から見てもそっか。本当にすごいんだな」
それからまた静かな時間が流れる。
コート上では変わらず声と音が絶え間なく響いているが、久米も集中しているのでおいそれと話すわけにはいかない。
俺もせっかく連れられたのだからと、コートで行われている試合に集中することにした。
そんな調子でバスケ部員達のプレー見ていてどれくらいの時間が経ったか、
「……じゃあ、そろそろ行こうか」
不意にそう言ってコートから目を切り、久米は歩き出そうとする。
「え?最後まで見ないのか?」
突然のことすぎて多少びっくりしたが、まぁもうすぐ終わりの時間か。
意外と集中して見れた自分に驚きだ。
スポーツ観戦が趣味って言っちゃおうかな、アニメ鑑賞だと人受け悪そうだし。
「うん。もうあとは別に」
「あぁじゃあ、行くか」
久米は俺を急かすように足早に体育館から去り、俺も後をついていく。
そんな急がんでも……。
「この後どうする?」
体育館から出た矢先に久米が俺に尋ねる。
特に行く当てもなく、行きたいところもなく。
何も考えていないけれど、考えているふりをして久米が続きを話してくれるのを無責任に待ってみる。
「私は…別にもう行きたいところないんだよね。何か食べるのも良いし、出し物見たり、そうじゃなくても自由に校内歩いてみたり、ほんとにどうしよっか」
言い終えてから久米は体育館のある方向に振り向き、それから今度は辺りを見渡した。
校舎には教室の窓もクラスの出し物に使おうと考えている生徒たちの張り紙や垂れ幕などが取り付けられている。
そんな体育館と校舎の間にいる現在、またこの通路は校庭と園芸部の活動場所である庭を遮る境界線でもある。
明日はここで山内が久米に告白か……果たして上手くいくかどうか。
体育館から出て離れたからか、バスケットシューズと床が擦れる音と、ボールの跳ねる音は少しずつ小さくなり、やがて聞こえなくなった。
静かになった空間で、思考はゆっくりと加速していく。
相手である久米の様子を確認しようと庭から視線を戻すと、久米の目はどこか一点で止まっていた。
久米に合わせてその方向を見れば、校庭が視界に入りついでに人だかりも見える。
なんだろうと思って目を凝らしてみると、小瀬が話していた文実企画であるカラオケ大会のようだった。
ステージ上では自身も本企画に出場する小瀬がマイクを握り、高らかに宣誓している真っ最中。
「始まりましたー!文化祭実行委員主催企画、京両歌うま王並びに女王争奪戦ー!!!」
小瀬の叫びに高校生を中心とした観客たちは湧き、歓声を飛ばす。
「出場者は皆今日この日のために厳しい特訓を乗り越え、そして厳選をくぐり抜けた猛者ばかり!出場者各々が文化祭に合う曲というテーマで選曲!みんなの投票で一位が決まる!あなたのその一票で推しを一番にしちゃって下さい!」
なるほど、そういうシステムにしたのか。
「後夜祭にて結果発表いたしますのでそちらにも、是非!是非!是非お越しください!」
あいつノリノリだな……というか後夜祭ってPVも発表するじゃんきっついなー。
うーん引き立て役くらいにはなってほしいけどなPV、どのくらいウケいいんだろうあれ。
文化祭に合う曲だろー?
それを後夜祭に…発表……で……。
「…………あ」
閃いたっていうか、仕事脳っていうか。
「ん?行きたいところ決まった?」
そう聞いてきた久米にとっては、あまり楽しくない話かもしれない。
「あぁいや、行きたいところって言うか……ちょっと思いついたことがあって……」
久米を連れて行くのは……関係ないしなぁ。
そこに居てもつまんないだろうし、別に俺と一緒じゃなきゃだめってわけでもないんだろうし。
なんで思いついちゃったかなぁ……。
「あ……あぁそっか。うん。そうだよね。私たち文化祭手伝ってるもんね」
ステージ上でマイクを持ち声高らかに話し倒している小瀬を見て、久米はうんうんと相槌を打つ。
俺が向けている視線で察してしまったらしい。
久米はさっきまでの上の空だった様子を微塵も感じさせない言葉の選び方で、そして次第に歩みを遅くしてその動きを止めた。
「今じゃなきゃだめなんでしょ?じゃあ、行ってきなよ」
そう言ってこちらを見上げる久米の笑顔を見た時、なぜか俺は足がすくんで動かなくなってしまった。
置いて行けない、置いて行っちゃだめなんだと心から分かった。
その理由は分からない……いや、言葉にできない。
ただ記憶の奥底でそこで止まれと叫ぶ俺の声が聞こえた気がしたんだ。
この違和感は………。
「いや、やっぱりいいよ。俺が不意に思いついたものだし詳細とかまだ考えられてないし」
翻ってここにいてもいい、行かなくていい理由を探し始める。
「諸々の許可とか、そういうの今は何も考えてない無責任な案だしさ」
言葉を捻れば捻るほど見苦しく、何を伝えたかったのか分からなくなる。
「何より小瀬も一緒になって作ってるから、あいつがウケなそうって否定したのならただの徒労だし」
眉を下げ困ったような表情になった久米はしばらく逡巡し、何度か話し出そうと口を開くがすぐに閉じてしまう。
やがて意を決したように息を吸い、話し始めた。
「行ってよ雨芽くん。PVでしょ?扶助部は文化祭を手伝ってるんだから。部長としてさ、かっこいいところ見せてよ。私もそんな部活に入ってたら鼻が高いから、なんてね」
ふふっと冗談含みに笑う久米は俺の見立てだけなら弱々しい。
世間一般なら女は愛嬌と、その様子を可愛らしいとでも呼ぶのだろうか。
久米には何故か無性にその笑みは似合わないと、俺の中で吐き気のような気持ち悪さが溜まっていく。
言語化できないのが煩わしい。
記憶は無作為に久米との出来事を吊り上げて頭が割れそうになる。
関連は、繋がりは、経緯は、それぞれを結び付けないとそれらはただの思い出になってしまう。
大事なのは時系列だけじゃない、順番通りなんてあり得るわけがない。
節々に感情が発露して漏れ出た言葉の数々は、自身を形作り構成していた小さな欠片、ほんの一部でしかないんだ。
関係のない記憶もあるだろう。
紛らわしく、正解も不正解も俺には判断できない。
当たり前だ。
人は生きている、それも多面的に。
良い悪いの二極化ができないから難しいんだ。
肯定否定だけじゃない、人は物語にさまざまな答えを導き出す。
目の前で起こった出来事に感情を爆発させないでやり過ごすこともできるし、嘘を交える事だってある。
相手を尊重して自分を押し殺し、本当の気持ちを伝えないで隠してしまうこともあるだろう。
今、目の前の久米がきっとそうしているように。
『私の依頼はね、告白のセッティングをして欲しいの!』
『これからお世話になります!雨芽部長!』
『私たち!この部活に入ったんです!』
『じゃあ協力してあげようよ!扶助部として!』
『いやぁ、良かったね。ほんと。未白ちゃん、上手くいったみたいで。美春ちゃんに聞いたよ』
『未白ちゃんのこと、よく分かったね』
『なんでも分かっちゃうみたい』
『うん。それでもすごい』
『うん。……そうだよ』
『その思い出し方……やっぱり付き合ってたのか』
『でも好きじゃないのに付き合ったの?』
『え?あ、いや、今は違いが分かるような気がするから……その。うん』
『適当に適当に。ふふ』
『道教えるからさ、隣にいてよ』
『こういう繋がり……大切にしたいじゃん?』
『……花…。今年は花火見なかったなぁ』
『あ、いや全然そんな意味じゃないよ!手伝い楽しかったし!』
『なんで?一緒に行こうよ。未白ちゃんとー、それから縁ちゃんも誘おう』
『ここだよ!すごくおいしいから期待しててね!』
『じゃあ私はいつもので!』
『え!…あ!いいじゃん!ぴったりだよ!』
『雨芽くんどうしよう。未白ちゃんさっきからずっとあんな感じで……』
『わぁすごいふわふわぁ!氷なのこれ?』
『じゃあはい!誕生日プレゼント!』
『私も……雨芽くんみたいに、しばらくはそういうの考えないでいよっかなぁ』
『今年こそいける!って。二学期始まったらすぐに文化祭だもんねー』
『じゃあ私電車だからさ。雨芽くんバスでしょ?』
『また学校でね』
『未白ちゃん腕時計付け始めだんだ!』
『あ、うん。そっかぁ。びっくりしたぁ』
『は、初めて聞いたよそんなの…。胡麻ちゃんは知ってるのかなぁ……』
『雨芽くんが手伝うなら私たちも手伝います!いいよね!未白ちゃん!』
『そ…それでさ、私がシンデレラやるかもしれないんだよね』
『…あ……いや違うから!?馬鹿にしてるわけじゃないから!』
『で、でも。忙しそうだったし…』
『文字だけで良いよ良いよ!……あ!やっぱり絵描こ!落書きしたい!未白ちゃんもこっち来て!』
『いつも通り、がいいかな』
『いやぁ私を頼ってくれるなんて嬉しいなぁ』
『よし!じゃあお昼買いに行こう!』
『え?別に全然平気だよ。それにこうしていたら誰も寄ってこないしね』
『それに今は同じ扶助部の部員でしょ。一緒に居ても、なんの問題もないって』
………ここまで、か。
一緒にいていい理由が扶助部なら、行かなければならない理由もまた扶助部。
物覚えがいいって言っても、覚えるだけだ。
考える力が養われているわけじゃない。
この中に答えがあるのか、それともまた別の記憶にあるのか。
それに、考慮すべきは久米との記憶だけじゃない。
人はその人自身だけで形作られてはいない。
関係性の中に人は生きている。
誰かが誰かに影響を与える、誰かが誰かの為に動く、誰かが誰かを想う。
果てしない関係性の中から一つの事柄に結びつくものを抜き取り、考えなければならない。
……俺は優れているわけじゃない。
ただ記憶の中で答えを探し、それが結果的に、理想的に、奇跡的に相手に結びついているだけだ。
人並みの知能で、人並みよりも多いヒントでいつも考えている。
俺よりもきっと上手く立ち回れるやつはたくさんいるだろう。
俺がやっている事は、本当に誰かの為になっているのか。
俺が関わることで却って状況を悪くしているのではないか。
それさえ分からない。
ずっと……あの日からずっと…分かることができていない…………。
このままここにいたら、それこそ久米が悲しむ結末になってしまう。
答えを持ち合わせていない俺には、それよりもやるべきことが出来てしまった。
時間は刻一刻と過ぎている。
この膨大な記憶から真実を紐解くには時間があまりにも足りない。
今から移動しないといけないから、急いでも小瀬のところへ辿り着くのは開始か開始前かの瀬戸際だ。
久米が持つ何かしらの核心に触れられなかった俺の負け、とでもなるのか。
根負けだ、折れることにしよう。
これ以上話しても何か得られるとも思えない。
久米の心を大きく動かす何かを、俺には見つけられそうにない。
「じゃあ、行くよ」
その言葉を言うだけで震えてしまうし、今も必死に記憶を遡っている。
その違和感の正体を、俺は見つけたかった。
「うん。……教室にさ、愛ちゃんとかいるし、私もそっち手伝うよ。遊んでるのもなんだか悪いし」
「いや………そっか。うん」
言葉が上手く出てこない。
当たり前だ、向き合えていない。
今目の前にいる久米に。
俺はそれを理由に、久米と真っ直ぐ向き合う為に探すのを諦めた。
せめて今だけは久米に自分の言葉で話したい。
「靴履き替えなきゃだし急がなきゃね。始まっちゃうから。まぁ奏恵ちゃんのトーク力ならまだ大丈夫かもだけど」
想像したのが面白かったのかふふっと笑い、肩を揺らす。
「まぁ、なんか俺も想像できるけどさ」
俺もそれに釣られるように息をふっと吐いて笑顔を作り、軽く手を振る。
「絶対、良いものにするから。期待しといてくれよ」
ゆっくりと踵を返しながら歩く方向に首を動かす最中、明日使わせてもらう園芸部の主な活動場所である庭が視界に入り、すぐに消える。
先に述べた通り、体育館と校舎を繋ぐ通路でもあり、校庭と庭を区分するための通路でもある。
雨風や飛んでくるボールを遮るための心ばかりの屋根と壁。
地面はコンクリートで上履きはもちろん土足でも通り抜けが許されているため校庭と庭の間を校舎に入らずとも行き来することができる。
そんな通路も、通路は通路だ。
どこかへ目的がある人しか本来は使わないものだ。
そんな場所に一人、久米を放り出し取り残すようで後ろ髪を引かれる。
二、三歩足を運んで急に湧く振り返りたくなる衝動をぐっと押さえて足を前へ前へと進める。
久米の気持ちが分からない今、俺ができることといえばもう選択肢は残されていない。
胸の中でわだかまるこの違和感を、吐き出すことも抱えることも出来ず、ただそばに置いて眺めるくらいしか出来ない中途半端な自分が、本当に情けなかった。
……あの日と似てる………かもな。
『今日行けなくなった。成華が急に倒れて、すぐに病院に行かなきゃいけない』
あの日は……寒かったな。
『本当にごめんな』
俺が送った言葉を、君は間違いなく読んだ。
返事が送られてきたからだ。
言葉を受けて、言葉を返してきた。
お互いに、言葉だけを知っている。
言葉だけしか知らない。
……笑顔の君を知っている。
涙を流す君も、怒った顔の君も、無気力な時とか、真剣な時とか、驚いた時とか、全部、全部……。
でも、言葉だけしか届けることが出来なかったから。
俺も…君も……。
俺に返事を送る時、君は……宇佐美はあの日………。
……どんな表情をしていたのだろう…………。