57.嬉しいと
電車が私たち姉妹を乗せて揺れる。
京王多摩川駅から一駅、川を越えたと思えばすぐに降りて南武線に乗り換える。
横浜駅まではあと乗り換えが一本。
帰りはお父さんが運転する車に乗ることになるけど、正直お姉ちゃんと2人でいたいから帰りも電車でいい、いや電車がいい。
なんて注文をすればお姉ちゃんに呆れ顔で距離を取られてしまうのでなかなかどうして難しい。
私はただお姉ちゃんと一緒に居たいだけなのになぁ。
「縁、今日は楽しかった?」
「お姉ちゃんこそ今日は楽しめたの?」
私がすぐに答えずに質問を返すのがお姉ちゃんにとっては意外だったようで、首をかしげる。
でもその時間は少しだけで、すぐに答えをお姉ちゃんは言った。
「……えぇ。楽しかった。やりたいことが全部できて、ちゃんと祝えて、祝えてもらえて、すごく嬉しかった」
言葉を噛み締めるように、ゆっくりと私に話す。
それから少し表情を崩して、お姉ちゃんは得意げな顔をする。
「だから言ったでしょう?雨芽くんならもうある程度のことはあの電話の時点で察してるって」
「……買い被りすぎだと思うけどなぁ」
さすがに電車の中でりんご飴を食べるのは如何なものかと思ったため手早く食べて、棒はすでに捨ててある。
さっきまでその棒を持っていた手を見つめて開いたり握ったりを数回繰り返す。
「まぁ、強く否定する気持ちは湧かないけど」
……たしかにちょっとはそういう面もあるかもしれない。
合唱祭の時、席から見たお姉ちゃんの姿。
私がずっと望んでいた、成ってほしかったあの姿に、それに貢献してくれた点に関してはしっかりと考慮しなければならない。
抱えているものに気づいて、手を差し伸べる才能……。
そんな関わらないと分からないような力を、雨芽先輩は持っている……かもしれない。
持ち前の記憶力と合わさって、雨芽先輩には隠し事は通用しなさそうだ。
……うん。うん。分かってる分かってる。
はぁ……いつ謝ろう…。
…表向きにやったのは新聞部だけど、ちょっと一年の間で話題にしちゃったっていうのが……。
いやぁ、舞い上がってたというか……合唱祭の後やることなかったというか…。
謝った方がいいんだろうけど……確実に仕事増やしたよねそうだよね。
雨芽先輩が気付く前に…謝る……まぁタイミングが合えばってことで。
お姉ちゃんがカバンをさすりながら口をゆっくりと開く。
「……あなたも意味を知っていたのね」
………ははーん。
まぁそういうことだろう。
「お姉ちゃんの字でもあるし私の字でもあるから当然!……というか、小学校の時にそういう課題が出たんだよね自分の氏名の意味は、とか」
「まぁ私もきっかけは確かにそうね。氏名の意味、とは少しずれているのだけれど」
「まぁ検索してそういうページあったら見ちゃうよね」
「………はぁ…」
どうやら見透かされているのが相当堪えるらしい。
「違うわよ」
「え、違うの?」
ナチュラルに心を読んできたことについては触れないでおこう。
会話の流れ的に読みやすかったと思うし。
というかもしかしたら無意識に、お姉ちゃんがカバンをさすったあたりからニヤニヤしていた可能性もある。
私ったら妹失格!
お姉ちゃんをお姉ちゃんの恋路へ精一杯背中を押さなければ!
「確認しといて良かった。勘違いするところだったわ」
勘違い上等!
しちゃいなよ勘違い!
なんて言ったらこの先一生向き合わないことになるのでここは真面目モードで……。
コホン、と一つ咳払いをして一旦間を空ける。
「…私的にはありだと思うけど?」
「ありなしとかの話じゃないの」
やけに怒っている風な口調でお姉ちゃんが私に目を向ける。
怒った顔も素敵。
「いい?縁。感謝する気持ちと好意は違うの。たとえ相手が恩人でも、履き違えてはいけない」
「お姉ちゃん堅いなぁ……」
そんな言葉がつい漏れた。
だって私は知っているから。
こんな私だって昔とは違うことも。
昔はもっと………うぅん…違うよね。
昔からきっと…変わらないところはある。
変えちゃっただけじゃない、残して変えなかったところ。
お姉ちゃんが大事に守ってくれた、選んで捨てずにいてくれた大切なもの。
たったそれだけだけど、でも。
「……縁」
私の名前を呼ぶ声が、確かに私の隣で聞こえる。
名前を呼ばれるだけで嬉しい、心がポカポカして気持ちいい。
その温もりのある声が、明るく朗らかな時も。
その温もりのある声が、凛々しく強い時も。
「ちょっと…強く握りすぎ」
「え?」
……あれ?いつの間に手を握ってた?
言われて初めて自分がやらかしたことに気付く。
慌てて離そうとした手を……ではなく浴衣の裾のあたりをキュッとお姉ちゃんは掴んだ。
「別に……嫌では無かったのだけれど」
…………!
「……お姉ちゃんかわいい」
「は?あ、いや、やめて。ちょっと、恥ずかしいじゃない…!」
「いいや今のお姉ちゃん、お姉ちゃん史でも1、2を争うかわいさだったよ!なるほどこういうかわいさの形もあったんだね!」
「ちょっと…抑えて…!静かに…静かに…!」
電車の中なのにヒートアップしすぎた。
まぁまだここら辺の駅なら花火の余韻に浸っている人も多そうだし、これくらいの声ならきっと温かい目で見守ってくれるだろう。
深呼吸をして興奮した脈拍を整える。
そして今度は意識してその手を掴む。
ピアニストの命でもある手を、私が握っている。
もう離れていた日を数えるのはやめよう。
涙だっていらない、お姉ちゃんの顔がよく見えなくなってしまう。
それを許してくれたお姉ちゃんとの距離は、今も昔も変わらないのだから。
……私の自慢のお姉ちゃん。
やっぱり、まだ誰にも渡したくないという気持ちが湧いてくる。
だから、もしもその時が来たとしたら。
もしもその人が現れたとしたら。
雨芽先輩なら、考えてあげなくもないですよ…?