55.自分は
桜吹雪。
………いつの記憶だろう。
階段を上り、廊下に出ると、窓に桜の花弁が貼り付いている。
そこに手を重ねるが、花には触れられずまた外で風が吹き飛んでいく。
………学ラン…?
伸ばした手から腕へ、そして意識がはっきりしていくと首が絞まる感覚がした。
やっぱり学ランだ、ブレザーじゃない。
自分の着ている服に気付き、中学生の頃の記憶だと分かる。
「今年は笠真と美穂ともひとまず一緒だったな。来年も一緒だといいよなぁ」
「もう来年の話かよ…」
俺の隣に来て少し気が抜けることを言ってくれるやつは隼真だと相場は決まっている。
「その美穂は?」
「流石にいくら幼なじみとはいえ初日から男子2人とは歩けないってさ。笹ヶ谷と来るらしいよ」
「あぁそういう」
言葉が迷いなく、淀みなく出てくる。
記憶通りの景色、そして会話。
多分記憶が作り出した夢のようなものだろう。
たしかこの後すぐ隼真は……。
「おーい野谷ー。可愛い子探そうぜー!」
そうそう、島田がここで話しかけてきて。
「あ、雨芽もいた。なぁ雨芽も一緒に来てくれよー。そんでいつも通りフォロー頼みます!」
「お前はもう少し言葉を多くしろ。だからチャラ男とか言われんだよ」
小学校ではそれでキャラが定着した。
そんでそのまま卒業して中学生になった。
本人も気にしてないようだし言及しなくてもいいかもしれないが……まぁ個性ということで。
「あとついでに言うと隼真。お前はもっと言葉を選べ」
「笠真がついてきてくれたら問題なし!」
「だよなー!」
こいつら2人揃ったらほんと明るすぎんだよなー。
俺も中学と高校を比べたらたしかに中学の時の方が明るいけど、うん。
まぁこいつらと比べたらそうだよね。
だから面白いってのもあるけど。
「だってさー雨芽来てくれたら女子受け良いんだもんなー」
「初耳なんだけど」
「えー、知らなかったのか。最近の女子は奥手だなこんないい男をほっとくなんて」
「やっぱお前イメージとかじゃなくて根っからのチャラ男だろそうなんだろ」
すぐに隼真が俺の肩をポンポンと叩く。
「ま、俺も笠真はもう少し自信持ってもいいと思うけどな」
「あ?なに。どうしたいきなり」
こいつはほんとに自分の思ったことをそのまま伝えてくるな…。
しばらく迷う素振りを見せて、
「……荷物置いてくる」
まだ背負ったままのリュックの肩紐に触れながらそう断ると、
「じゃあ先行ってるよ!」
隼真と島田が手を振る。
俺も手を張り返し、教室に向かう。
……一緒に行くとは言ってないってやつか、結果的に。
俺はこの日隼真たちについて行かなかった。
珍しく、そして俺に似合わず、その行動を選んだ。
その場のノリの交友関係は、あとほんの少し後の話だ。
窓付きの扉をガラガラと開け、出席番号と座席表から自分の席を探す。
廊下側の一番後ろ。
そこが俺の席だった。
……今の高校の席もそうだけど俺って席がこの場所なことが多いな。
教室を見渡す行為が高校生の俺だと一苦労になってしまうためそこそこ助かってはいるが、どこか因縁めいたものを感じる。
所詮運だけど。
隣にもうすでに座っている子がいる。
これから…まぁ次の席替えまでの間は隣で過ごすことになる女子。
2年生、3年生と、クラス替えを経ても一緒でその上さらに席も隣になるが、今日が初対面ってことになるんだよなぁ。
そんなこと…今思い出してもって感じだけど…。
今……今…?
…今って俺、何してたんだっけ………?
どのくらいそうしたか具体的な秒数は分からないが、思考がまとまらず体が動かなかった。
慌てて記憶を遡り言葉を紡ぎだす。
さっきと変わらず座っているその子に、やはり記憶通りに、そして努めて明るく声を掛ける。
「今日からよろしく!」
「…………うん!…よろしく!」
………………。
………止まった思考がまた動き出したのは、久米に関したことではなかった。
何故か宇佐美の、それも初めて出会った日のことだった。
意味が分からなかった。
何故、今なのか。
今までだってこんなに明晰に思い出したことがあっただろうか。
こんな思い出し方すら初めてだった。
たしかに覚えている。
出会いの日だ、忘れるわけがない。
だけど今この状況にそぐわない。
今考えるべきことじゃないと答えを出す時間さえ惜しい。
そうだ……そんなことを考える時間はない。
目前で立ち尽くしている久米に声を掛ける。
この沈黙が、俺には耐えられなかった。
「櫛芭にまだプレゼント渡せてないし、早く合流しないと…」
帰りの電車も混むだろうし、何本か見送れる時間帯には駅に着くべきだろう。
そんなもっともらしい理由でも、今この場面だと安直な言い訳のようで、続きの言葉は話せなかった。
「うん。そうだね」
満面の笑みとはいかないが、それでもひとまず笑って返事をしてくれた久米に安心する。
考える力も湧かず、一歩引いてくれたことに甘え、特に意味を込めない笑みを返す。
混濁した思考の中でどこか納得のいかない、明瞭でない現状維持といった風な、やりきれない思いを抱えたまま歩き出した。
何を考え、何を思ったか。
その顔は、その目は、その手は。
どうしても忘れられず振り向こうとした瞬間、全てを隠すように地面を蹴って久米が前に出る。
隣り合ったのは一瞬で、そこから何かを得られるわけもなく、ただ置いて行かれないようにその背から目を離さなかった。
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どうして止まれたんだろう。
胸が高ぶっていた。
高揚していた。
抑えられたことが本当に不思議でならない。
熱に浮かされるような、息ができないほど溺れるような。
今までに感じたことのない緊張、もしかしたらそれをとうに通り越し恐怖さえ感じる時間。
予兆も前兆もなくいきなり、胸の鼓動は襲い掛かってきた。
きっと見抜いただろう、雨芽くんは。
何を考えただろう。
何を思っただろう。
どちらにしても扶助部には身を置きにくくなってしまった。
関係が変わる。
振る舞いが変わる。
距離が変わる。
そんな、すぐそこまで迫っているであろう未来に思いを馳せる。
あぁ、嫌だなぁって、すごく幼稚な言葉が口から洩れそうになる。
好きだから離れたくないのか。
離れたくないから好きなのか。
答えの出ない問いが頭の中をぐるぐると回る。
…今は歩かないと…進まないといけない。
どうせなら先に立って、待ってあげられるくらい差をつけてやろう。
そう思えたなら行動は早く、地面を蹴って追い抜かす。
先のことは後に考える。
もっと良い選択があったかもしれない。
これから一生、今日を悔やむかもしれない。
だけど、それでいいと思ってしまえ。
大事だから。
大切だから。
………。
……きっと見つかる、私の本当に好きな人。
答えはやっぱり出ないけど、止まれた私を誇らしく思う。
今までと変わらないから。
このままだと変われないから。
矛盾しているようだけど。
つじつまが合わないかもしれないけれど。
………ただその人が、雨芽くんだったらいいなって思うんだ。
後ろから、あなたの目から、私はどんな風に見えるのだろう。