52.離れない
そして、8月30日。
前日に適当に櫛芭におめでとうとメッセージを送ったが、何故か縁さんが反応してきた。
誠意が足りないってなに。
言葉でどう表現すればいいのそれ。
……適当にって言ってるところから直さないとまず誠意なんて込められないかそうだよな。
バスを1回、2回と乗り、調布駅に近づくほど人は増える。
景色が見慣れたものから少しずつ変わっていく。
そしていつの間にか調布駅のアナウンスがバスの中に響く。
駅前のロータリーに降り立ち、人の流れを見てみると、やはり目的はみんな花火のようだ。
3人は電車で来るって言ってたし、まぁ駅の中で待ってればいいか。
と、考えていたら人の多さを甘く見ていた。
え、まじかこんなにいるのかってくらい、いる。
見渡す限りに人がいるってこういうことを言うんだなぁ…。
普段のこの駅は全く知らないけど多分いつもこうでないことはなんとなく分かる。
だってスマホ見て立ち止まってる人がほとんどだし。
かく言う俺もその中の1人である。
もうすぐ着くよー、と久米からLINEを通して連絡が来る。
なるべく通る人の邪魔にならないようにと端の方に移動してスマホをポケットにしまい、バッグの中を見る。
よしよし、忘れ物はなし、と。
まぁ家出る前に確認したけど。
ここで忘れ物に気付いたとしてもなんともなんないし。
まぁ、今日忘れたら一体何のためにここに居るんだってものがバッグの中に入っているわけで……。
お…。
久米と櫛芭と縁さん、3人で歩いてる姿が目に入る。
って、全員浴衣なのか気合入ってんな。
久米と縁さんは性格から予想できるようにそれぞれ明るい水色やピンクを基調とした浴衣を着ていた。
久米に至ってはいつもの髪留めを外し、髪を下ろしてのイメチェンだ、大人っぽい。
意外なのは櫛芭も2人に負けないくらい白がメインの華やかな浴衣だったことだ。
まぁ今日は櫛芭が主役だし、好みと性格は切り分けて考えるべきか。
それにこれイメージの、というかそれ俺が考えてたんじゃあてになんないか。
改札を3人は抜け、久米がいち早く俺に駆け寄ってくる。
「ねぇ雨芽くん、今日の未白ちゃんさぁ」
へぇ、久米もやっぱり意外に思ってるんだ。
「いつもと違うっていうか。…違いすぎるっていうか……」
え、そんなに気になる…?
久米の中に何か理想像的なものが出来上がってるんだろうか。
という俺の考えは、久米の少し後に来る櫛芭の発言によって見当はずれなことを思い知る。
「ねぇ縁、何かしたいことはない?何でも言っていいの」
「雨芽くんどうしよう。未白ちゃんさっきからずっとあんな感じで……」
…どうしようって…どうにもできなくね?
とりあえずそんな状態の櫛芭は知らないふりをするとして、人の流れに逆らわず、駅を出る。
開会式まであと一時間と少し。
屋台を回るにはまぁ十分な時間がある。
すでに夕暮れ時を少し過ぎ、黒色が空を染め始めている。
雲も少なく、花火を打ち上げるとしたら絶好の日なのではないだろうか。
いつもとは逆で櫛芭は縁さんの傍に居ようとして付きっ切りだ。
その様子を俺と久米が後ろから眺めているという時間は…なんかちょっと変な気分だった。
姉妹で身長差も少ししかないから、なんだかこういう姉妹の形も尊いなって…だめだなんか尊い使うと一気にオタクっぽくなるな。
まぁオタクであることは否定しない。
隣でわたあめをほおばっている久米は、目が慣れてきたのかそんな姉妹の様子を微笑ましそうに見ていた。
振り回されるように前の2人に付いていき、今度はかき氷にお熱である。
氷だけど熱。
久米と櫛芭が。
「わぁすごいふわふわぁ!氷なのこれ?」
「なんだか雪みたい…!」
こういうお祭りとか普通に好きなんだろうなぁっていうのが分かってきた。
いつもの櫛芭なら久米とか縁さんの一歩後ろにいるんだけど今日は一緒になって楽しんでいる。
興奮しているのか久米の手をぎゅっと握っているし、なんか自分で気づいてなさそうな感じだ。
久米も久米で握り返してるし、櫛芭もそれを許してるから眼福…じゃなくて見てるのって役得…違ういけない気がしてくるのは何故。
これがあれか、百合か。
神聖不可侵にして邪魔しようものなら謎の勢力によって存在を消されるという例のアレ。
……いやまぁ人間関係の考察は自由だからね。
当人にさえ言わなければ決して失礼じゃない失礼じゃないよな?
だって櫛芭はともかく普段の扶助部の様子から考えると久米はやはりそっちの可能性が…。
なんて毒にも薬にもならないことを考えながら辺りを見渡すと、縁さんはちょっとぐったりした様子で佇んでいる、疲れたのかな。
声を掛けるために近づくと、縁さんの方から話を始めてきた。
「もう、今日はお姉ちゃんが主役なのに…絶対私の分まで買ってきますよきっと」
「それは別に悪いことではないのでは…」
少し怒ったような口調で櫛芭が主役だと主張する縁さんは不服そうだ。
「まぁ、櫛芭のやりたいようにやらせてやれよ。主役なんだからさ」
尚も縁さんは不満そうな表情を変えない。
だったら…いや、だからこそか。
近くの屋台に射的があった。
お金を払い、コルクが付いた銃を受け取る。
「縁さんも、楽しまないとだめだぜ」
少し恥ずかしいけどかっこつけて笑顔を作る。
多分タメの奴だと今のかっこつけはアウトなラインでめっちゃ痛いやつだけどまぁ今は寛大な心で許してくれ。
櫛芭はきっと、縁さんの笑顔が誕生日に欲しいんだろうって思ったから。
…あとついでに言うと弾は見事に外れた。
めっちゃ笑われた。
多分この笑顔ではない気がする。
「駄目ですねぇ雨芽先輩、そんなんじゃお姉ちゃんのハートはスナイプ出来ませんよ?」
縁さんも俺と同じようにかっこつけ、お金を払い、銃を撃つ。
弾は命中し手始めに猫のぬいぐるみをゲットした。
…この天才がよぉ……。
そして銃を持つ手を見てあることに気付く。
「縁さんって左利きだったんだな」
「あ、これですか。何にも考えてないと左手出ちゃうんですよね」
「え?」
予想外の返答に手元が狂いまた外してしまった。
言っとくけど言い訳じゃないからな。
「あと急いでる時とか、こっちで済ましちゃうことが多いです」
縁さんは銃を持ち替え、今度は右手で引き金を引く。
弾は今度は違う種類の猫のぬいぐるみに命中。
見事撃ち落とした。
店員さんがおぉ、と息を漏らす。
「くっ、天才が…」
今度は声に出た。
こんなん嫉妬するに決まってんじゃん…割り切れてるの改めてすごいなあいつ。
もう櫛芭さんってさん付けにしたいほど尊敬できる。
「お姉ちゃんと違うのが嫌で、それで真似したら出来るようになって」
「まじかよ…」
この正確な射的が後天的な両利きに依るものって…まじかよ……。
ついでに弾はまた外れた。
もう言い訳って認める。
俺、射的超が付くほど下手だわ。
残りは消化試合のように弾を撃ち、情けないため息が出る。
もうなんか縁さん1人であのまま続ければ店の商品を独占できるレベルのセンスだった。
「わぁ。すごいねぇ!」
「これを2人で?」
「いや全部縁さん」
…情けねぇなぁ……うん。
合流した2人に感心される対象の縁さんは櫛芭から手渡されたかき氷を嬉しそうに食べている。
まぁいつもの縁さんに戻って安心だよ射的の件は置いておくとして。
「これ、みんなで分けましょう!」
「え、いいの!?」
「はい!何のために猫4匹にしたと思ってるんですか!」
「え、狙ってたの?」
猫ばっかり撃ってたしもしかしたらとは思ってたけど…。
「はいお姉ちゃん!久米先輩!雨芽先輩も!」
「あ、あぁ。じゃあうん。ありがとう」
「ありがとー!すっごい可愛いよこれ!」
「ありがとう。縁」
「えへへ」
照れを誤魔化すようにかき氷を掻き込む縁さんはすごく幸せそうだ。
「…縁さんって難関コースじゃないよな?」
さっきの天才っぷりを目の当たりにして、思い出したように質問する。
まぁそうじゃないと標準コースの生徒しか教えてない菊瀬先生と縁さんが面識を持っているわけないし、合唱祭の時の仲介もかなり面倒なことになっていただろう。
というか難関コースに行っていれば標準コースの子とテストの問題が違う教科もあるし、もしかしたら比べられることに櫛芭はここまで敏感になっていないんじゃ…というのは禁句ですか、はい。
まぁ合唱祭云々がなくてもいずれはぶつかっていただろうし、早い方がいい…のか?
「あ、確かに。頭いいのに」
「……そういえば私も理由は聞いていなかっわね。どうして?」
2人も俺と同じように気になるみたい。
というか櫛芭も知らなかったのか…まぁ複雑な時期だったんだろうなぁ。
「そんなのお姉ちゃんと一緒のやつがいいからに決まってるじゃん!」
……もう縁さんの愛があれば全部なんとかなる気がしてきた…。
……そういえば陽悟も難関コース辞退組だっけ。
あいつも難関コース行ってりゃ俺と関わることなんてなかったのに……。
とんだ災難だな、主に俺の方が。
少し時間が経って、久米はラムネが飲みたいと、そしてついでに櫛芭と縁さんの飲み物を買いに行くことになった。
現在2人でいるが人が多すぎて回線が安定しないので合流できるかめっちゃ不安。
有料席はもちろん取れなかった、というか取らなかった。
なので、そこら辺花火大会に慣れてる久米に任せてるってことにしてるけどそこら辺大丈夫なんでしょうか。
うん……まぁ責任持てないから聞かないけど。
その為に2人ずつっていう人数分けにしたっていう側面もある気がする、あるのかな?
全く分からん。
動作の遅いスマホに頼るのが煩わしく、顔を上げる。
なんかさっきよりも人が減ってる…?
久米はさっき買ったラムネを片手に持ち、花火が打ち上がる方向とは逆方向に歩いていく。
まぁ人混みから離れていくのに不満などひとつもないので黙って後に続く。
まばらな人混み、ブルーシートを引いている人が少なくなって、立ち見の人が増えてきた。
鉄道橋の下を通り抜け、グラウンドに降りる。
少年野球とかに本来は使われるところなのかな。
突然、さっきまでは聞こえなかった風の音のような、甲高い音が響く。
咄嗟に音の正体を確かめようと歩くのをやめて振り向くと、橋の上、小さな光が尾を引いて打ち上がり、その光は大輪の花を描いてみせた。
それは夜空に、綺麗に咲いていた。