43.眩い光
ま、移動は電車なんですけどね。
「いやぁ免許持ってても車持ってないとどうしてもペーパードライバーになっちゃうよね」
電車の中というのもあり、成華は声を控えめに話す。
「まぁまだ若いし、気にしなくていいんじゃない?」
車って貯金が溜まってから考える物だと思ってたわ俺。
成華の声の調子が少し落ちる。
「若いかぁ。…… 職場で後輩ができてね。新卒の子。もう私は先輩なんだよ…」
そうなのか。
「そんなに気にすること?」
やはり成華は落ち込んでいるように見える。
「気にするよそりゃ。まだ若いからっていうのが通じなくなってくるからね」
「そ、そう」
やはりどこの世界でも年齢という物は幅を利かせているらしい、怖いね。
多分成華の歳が一番面倒な時期だろうし……頑張れ。
「あ、もう着くよ。この駅利用する人多いし、みんなが出てから降りよっか」
開くドアとは反対側のドアに寄り、先に降りるのであろう人々に道を作る。
「……ん、あの人…?」
ドアが開き、人が雪崩れ込む。
「あ……!」
成華が小さく声を漏らす。
中年くらいの男性が急いで降りて、前にいた女性が倒れてしまった。
男性は舌打ちをし、その場を去っていく。
周りにいる人も関わらないように素早く去っていく。
まぁ人なんてそんなもんだよな……。
隣にいる成華はまっすぐと倒れた女性を見ている。
「時間あるし、好きなようにしたら?」
まぁ俺もこのままほっとくのは少し気が引ける。
「うん、分かった。荷物持ってて」
財布とか携帯とかが入った鞄を渡してくる。
女性の手を取り、それから体を支え一緒に歩く。
その隣に俺が立つ。
…すぐ立てなかったのは何か理由があるんじゃないか?
電車から離れ、人が空いている場所に移動する。
女性の身の回りの物を確認する。
……これは、ヘルプマークか。
伝えた方が良いな。
「成華、これ」
「……見させてもらいますね」
成華が尋ね、女性が頷く。
「…妊娠中……。…妊娠初期、ですね?」
「はい。今は、吐き気が少し。その、こうしてじっとしていれば落ち着くので、もう、大丈夫です」
大丈夫な顔じゃないんだよなぁ。
とりあえずできることを探さないと……。
それと……
「成華……妊娠初期って…?」
どんな感じなのか教えてもらって良いですか?
「あー、笠真は男の子だし知らないか」
無知ですいません……。
成華は女性を気遣って小声で教えてくれる。
「まぁすごく簡単に言うとまだお腹が膨らんでない状態だね。なんも言われないと、健康な人に見えるでしょ?」
少し顔が青ざめて見えるが、それももしかしたら相手が辛い状況だという先入観から生じるものかもしれない。
「母親の中ではこの頃が1番辛かったって言う人がいるくらいでね。常に吐き気がしたり、熱っぽかったり、酷いと立てなくなったりするんだよ」
「そうなのか……」
お腹が重たくなる後半の方が辛いと思ってた……。
「悲しいのは周りの人が理解してくれないってことだね。席も譲られないし、配慮もされないし、今みたいなことも起こる」
たしかにこの状態だと優先席も座りにくいかもな…。
「私としては、こういうことは一般常識になって欲しいけどね。笠真も話は聞いてるはずだよ?」
え、習ったっけ……?
「お腹の中にいる時に」
「いや覚えてるわけないだろ」
胎児の頃の記憶まであったらさすがに怖いわ。
妊娠中の話を聞けるのは姉のあんただけだ…。
「じゃあはい、笠真、駅員さんを呼んできて」
努めて明るい声で、成華はそう言う。
だけど……
「いや…ここは男性がこの場に残った方がいいんじゃないかな」
「いえ!いけません!そんなにお世話になるわけには……」
「それは………少し……ここでほっとくわけにも……」
周りを見る。
席でもないこの駅のホームに一人で座らせるのは少し酷だと思う。
一度助けに入ったならば、中途半端なことはできない。
「駅員さんに任せられたら私たちも安心できますので、そこまではやらせてください!」
成華のお願いに女性は了承した。
どちらが良いかと聞かれたら、
やはり今の状況は自分1人の手には負えないんだろう。
成華はこちらを見て、
「で、さっきの根拠は?」
さっきの、とはどちらが駅員を呼ぶべきかの話か。
「俺の記憶」
成華にはそれだけで伝わるだろうな。
「なるほどね。じゃあ行ってくるから」
細かくは聞かず、成華は分かってくれた。
まぁ記憶力に関しては成華も一枚噛んでるからな…。
……記憶にあるのは三年前の夏。
「雨芽ー。これこっちで合ってるのー?」
「あー。うん。乗り換えこっちで合ってるはず」
拓本と一緒に有名なラノベ作家のサイン会に行く途中。
ここではないもっと都会の駅だった。
まぁ今では通学路だが。
「……拓本、少し待っててくれないか」
「え?どうしたの?」
今と同じように倒れている女性がいて、その隣には制服の女の子がいた。
軽い熱中症のようだ。
京両高校の制服だった。
彼女の対処は完璧だった。
人が少ない場所に移動し、買った水でタオルを濡らし首元や額などを拭き、際限なく不安にさせないよう励まし続けた。
彼女は今できる最善の、最適なやり方で惜しまず女性を助けていた。
だけど………。
同じだな。
周りは……周りの目は。
視界に入っている。声だって聞こえている。
それでも何もしない。
ある人は聞こえるように舌打ちをし、ある人は睨みつけるような目で見ている。
いや、あの時一人で助けていた女性には今よりも多く非難がましい目線が飛んでいたかもしれない。
それは、やはり女性だからだろう。
反撃してこない、弱いと決めつけて関わる。
醜く最低な価値観だ。
あそこで俺が入らなかったら……
「優しい方ですね」
「え?」
ポツリと、呟いたため危うく聞き逃すところだった。
「こんなに親切な人がいるんだなぁ、と思いまして」
「今時珍しいって感じですか?」
「えぇ。……助けられておいてなんですが……あはは」
「まぁ、姉は昔からあんな感じなんで」
特に俺が小学校に入ってからはその傾向が強くなっていったと思う。
俺の記憶力が安定し始めて、印象が強いだけなのかもしれないが。
俺は、そんな姉に影響を受けて育った。
「行くのか?助けに?」
「まぁまだ時間余裕だろ?」
不安げに尋ねる拓本に当然だと言わんばかりに答えた。
すでに俺の足はその場所に向いている。
4、5本遅らせても充分間に合う時間だ。
拓本は面食らったような顔になるが、すぐに
「やっぱ雨芽ってすげーな…いやほんとすげーわ…!」
「なんだよ」
「学校の中とか外とか関係なくてやっぱ雨芽だなーって!」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
よく分からん。
「まぁいいっていいって!行こうぜ!」
ニパっと笑うだけでなんかのドラマかと思ってしまう。
やっぱこいつイケメンだな。
結局、拓本っていつも乗り気なんだよなぁ。
それがこいつの憎めないところでもあるんだけど。
オタクに目を瞑ればやっぱこいつモテるのでは。
いや、人の意見に合わせてるだけで
影で本当は拓本を好きな奴がいたり?
謎は深まるばかりである。
些細な謎です。
刺されないように背後に気を付けよう。
京両高校に入学後、その制服の子とは会えなかった。
探したけど見つからなかった。
出会った時には二年生か、三年生か。
会えなかったということは一年生ではなかったのだろう。
別に会って何か話したいことがあった訳でもないが。
あの時、俺が割って入るまで一人で勇気を振り絞って助けていた姿がどこか姉に似ていて、懐かしかったんだと思う。
成華はもう一人暮らしの準備を始めていて、家を出るという話を何回も聞いていたから。
あの日……すぐそこにいたような気がしたんだ。
「笠真、駅員さん連れてきたよ!」
成華が手を振りながら走ってくる。
「大丈夫ですか?救護室が空いていますのでご案内します」
駅員さんは折り畳み式の車椅子を開きながら女性と同じ目線までしゃがむ。
女性は恐る恐るという感じで駅員さんの手を取り、
「はい。お願いします」
と小さく言った。
「お二人も、ここまで本当にありがとうございました」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
駅員さんと女性から感謝される。
成華はというと恥ずかしそうに手を振り、いえいえ、と答えるので俺もお大事にとだけ伝えといた。
女性を見送る成華の横顔をチラリと見る。
とても嬉しそうで、眩しい笑顔だった。
助けることができた人間は、助けなかった場合を忘れられない。
都合の悪いことに目を瞑り、忘れた振りが上手くなる。
持論だし、俺の記憶力が良いだけって可能性もあるが、これで一点の曇りなくここを離れられるだろう。
今度は成華がこちらに目線を向けてきた。
不思議そうに眉をひそめている。
「笠真、今、私たちが助けたんだよ」
「え、なに、どしたの」
やれやれ、という風に首を振る。
「はぁ……べつにー」
がっかりした様子だ。
なんなんだ一体。
「…扶助部もこんな感じ?」
「いや、扶助部は頼まれたら動くって感じ。それにやってることもなんか……なんていうか…俺もよく分からんし」
雑用係ってのがふさわしいな。
名称変えるべきだなこれ。
扶助部も……か。
「……成華、余裕がある時しか助けちゃダメだからな」
このお人好しは、そういうところがある。
最近ようやく自覚したと思ってたが、自重してくれなきゃ何も変わらない。
「助けるってのは、自分を削る行為だ。自分を削って行うんだよ。体力も、時間も、心も、削って捧げて、それでようやく成り立つものなんだ」
「もう、分かってるだろ?」
成華は知ってるはずだ。
身をもってそれを。
「分かってるって。じゃあ行こ!」
変わらず明るく、成華はそう言う。
ほんと、変わらない。
だから甘えたくなる。
支えてもらいたくなる。
まっすぐな人に寄りかかるのは、楽だから。
これまで、どれだけの人を助けてきたんだろう。
成華は、それで何を得たんだろう。
俺のこれからを成華が示しているような気がして、良いのか、悪いのか、判断できない自分がいる。
いつか……分かるんだろうか…。