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雨上がりを待つ君とひとつ屋根の下で  作者: 秋日和
第七章 夏期講習編
43/106

41.今に届ける

雨芽(うめ)くん……」

 俺の言葉に、相葉(あいば)先生は悲しそうな表情になる。


 だけどすぐに相葉先生は今までよりも力強く、

「きっと君なら、雨芽さんと同じくらいその優しさで沢山の人を助けられる……って菊瀬(きくせ)先生は言うんだよ。…私はその時、話を聞いていただけだったけれどね」

 最後の方は少し勢いが控えめで自嘲気味になったが、それでもたしかに言葉には芯のようなものがあった。

 相葉先生は目を合わせるのを止め、少し目線を下す。

「菊瀬先生はきっと、君に、お姉さんと同じくらい沢山の人を助けて、同じくらい沢山の人に感謝されて、同じくらい沢山の人と繋がって……」

 そこまで言って、相葉先生は止まる。

 やがて、覚悟したように俺の手を握る。

 少し硬い感じもするが、温かみのある優しい手だ。

「……この手で、お姉さん。…いや雨芽さんとは違う答えを見つけて欲しいと願っているんだと思うんだ」


 相葉先生の言うかなりの無茶にふっ、と笑ってしまう。

「同じ、同じ、同じ、と来て…違う答えですか」

 相葉先生も自分で分かっているようで、俺よりも分かりやすく笑っている。

「すまないねぇ。たしかに無理難題かもなぁ」

 俺の手を離し、腰に手を当て困ったように笑い続ける。

「だけど、彼女はやっぱり、君たちを信じているから」

 相葉先生は先生たちが集まっているところを見ている。

 PowerPointを画面に繋げて写したり、配線を確認したりで忙しそうだ。

「ごめんねー。実は僕あそこから抜け出してこっちに来てたんだ」

 相葉先生は申し訳なさそうに白状する。

「えぇ…そうだったんすか」

「だからそろそろ…」


「すいませーん!相葉先生!少しマイクの確認お願いしますー!」

 あちゃーという顔で悪戯がバレた子供のような笑顔をこちらに向ける。

 まだまだ若いなぁ……。

「僕も、なんだかんだ言っといてあれだけど、結局君と会って話してみたくてね。もう僕が思っていたことは全部言ったよ」

 ぐっと伸びをしてこちらを見ずに話す。

「次にこうやって話すときは、雨芽くんが僕の話を受けて、色々知って、色々経験して、色々学んだ後が良いなぁ」


「……あ、日本史の質問はいつでも良いんだよ!」

 付け加えるように振り向き、先生らしいことを言った。

 俺は少しふざけた調子で、

「先生、いつも生徒に囲まれてるんで話しかけるのさえ大変そうっすね」

 ぼっちの俺にはそんなことは恐れ多いっす。みたいな。

 あとさすがに申し訳ないので、現在D組の授業を担当している石田(いしだ)先生に日本史の質問はすることになるだろう。

 俺の言葉に、にっこりと笑って相葉先生は返す。

「君のタイミングで良いんだよ。……いや、君のタイミングが良い、かな」

 相葉先生は少し恥ずかしそうに言葉を続ける。

「……そうだなぁ。これは扶助部への依頼とかじゃなくて、僕のわがままだなぁ。……菊瀬先生も、きっとこんな気持ちだったんだろうなぁ」


「やっぱり僕も、どうしようもなく君たちを信じてるみたい」

 歳に似合わず、子供のような無邪気な笑顔で彼はそう言った。

「まぁ、努力はしますよ」

 相も変わらず、俺はそう言った。

 満足気に相葉先生は歩いて行く。


 きっと誰にも、俺はそう言う。

 誰にもそう言っている。

 きっと、自信のない俺が、自信を持って言えるのがこれだけだからだろう。

 期待させず、信じさせず、ただ決定的な何かをいつも変えないように……。


 手持ち無沙汰になり、周りを見る。

 準備はあらかた終わったようで、各々が荷物を持ちながら談笑している。


 うーん……もうこれ帰って良いですかね……?


 ここに俺を引き入れた張本人の菊瀬先生の所に移動し、帰る旨を伝えたいと思う。

 席に座り、資料を読んでいる菊瀬先生に声をかける。

「先生ー。もう帰ってもよろしいでしょうか?」

 しばらく返事がなく、やがて顔を上げ、

「…あれ?あ、あぁ。悪いな。こんな遅くまで手伝わせてしまって」

 どうやら明日配られる予定の紙を見ていたようだ。

 寝起きでびっくりした、という感じではなさそう。

 もちろん見ていたのは進路の紙。

「うん。そうだなもう良いよ」

 辺りをぐるっと見渡し、それから俺に伝える。


 ……見ていただけで、読んではなさそうだな。

 今なら菊瀬先生の考えていることを当てられる気がする。

「……成華(せいか)は誰でも助けますから」

 どうせこの人のことだ。

 俺と相葉先生がさっき話していたのも知っているだろう。

 菊瀬先生は俺の言葉を不思議がる事なく、

「年下も年上も関係なく、か?」

 と、そう答えた。

 まるで用意していたかのような受け答えの早さだ。


 ……まさか…。

「合唱祭のあと一年生の依頼が増えたのって菊瀬先生のせいですか?」

 鍵を落としたので一緒に探して、とか。

 軽音部の「一緒に演奏してくれる人募集」の張り紙を貼ったりとか。

 学校の施設を案内してほしいとか。

 まぁちょくちょくあった。

 そこまで気になるほどではなかったが、最初の頃と比べるとそんな風に思う時がある。


「え、知らない」

「え」

「……え?」


 ……。


「ま、まぁこの話は……なんでもないです」

 き、菊瀬先生じゃなかったのか…。

 仕事が増えるのは菊瀬先生のせいっていう考えは、もう少し慎重に結論付けた方が良いかも知れん。

 …とりあえずこの話は別にどうでも良いし、話を本筋に戻した方が良いかもしれない。

「……別に、相手が先生だったからとか、友達だからとかで助けないと思いますよ」

「……あぁさっきの話の続きか」

 さっきの、とは職員室での話のことだろう。

「誰でも助けて自分の容量を過ぎても助け続ける、お人好しみたいなところがあります」

 ほんと、損しかしないのに。

 こんな俺でさえ助けてしまうようなお人好しだ。


「成華は誰でも助けてしまうからな……それで?」

 菊瀬先生は俺の話が気になるみたいで、早く聞きたいと催促してくる。

 俺がこれから言うことは、菊瀬先生にとっては残酷かもしれない。


 いや、違う。

 聞いてほしいのだ。

 成華に助けられた人として。

 それから答えて欲しい。

 成華が成してきたことを。

「先生は、その沢山の助けられた人の1人です。成華は多分、恩を返して欲しいとかは思って無いと思いますよ」

 思えばいつも、成華はそうだった。

 子供の時から何も顧みず人を助け、俺を入れて隼真(はやま)美穂(みほ)も。

 小さい頃はよくお世話になったものだ。

 一緒に歩いている時もそうだった。

 幼児やお年寄りを見たらいつも心配そうで、誰に対しても手を差し伸べて。

 離れてからも、きっと成華は変わっていない。

 そうじゃなきゃ………。


 ……成華が倒れるはずがない。


「ふむ、君はそう思うのか」

 菊瀬先生の言葉で思考から引き戻された。

「じゃあ、菊瀬先生は?」

 俺に扶助部を始めさせたこの人は何を考え、何を思っているのだろう。

 紙を膝の上に置く。

 さらにその上で両手の指を絡ませて楽にしている。

「……私はね、助ける人も、助けられる人も、どちらも、どちらにも同じくらいの困難があると思うんだ」

「………?…それって」

「まぁ聞け」

「は、はい」

 黙って聞きます。


「助ける人はもちろん疲労がたまるし、厄介な物事にも巻き込まれるだろう?ちょうど君のように」

 巻き込んでいるっていう自覚はあったんですね。

 良かったです。

「最初に言っただろう。忙しいから手伝ってくれ、と。君がやっている仕事は本来、一般的な高校生が取り扱うことでは無いかもしれない」

 こ、この人、俺が考えていることを……。

「成華の場合は、扶助部のようなものに入っていなくても助けていたがな……」

「まぁそうですよね……あ」

 喋っちゃった。

「そんな厳格に守んなくてもいいぞ…?」


 気を取り直すように大きく深呼吸をし、菊瀬先生は話を再開する。

「だがここからだ。問題は助けられる人にある」

 真剣さが増し、重たい空気になっていく。

 声に集中するように周りの音が聞こえなくなっていく。

「助けられる人は、助けられる前の状態から1人では来れなかった場所にたどり着いてしまう。本来の実力と違う立場は、その人をもっと苦しめてしまうかもしれない」

 助けることが苦しめることに、か。

「今も、いろんな人に迷惑をかけながら課外活動は成功している………はぁ……情けは人の為にならず、か。昔の人はこの言葉をよく考えたな」

 苦笑いの上自嘲気味な声を出す。

 きっと良い思い出だけじゃないんだろう。

「……助ける、助けられるは美徳だ。様々な分野を1人で履修するのは不可能だからな。補い合って、支え合って、正しい形があるはずなんだ。それは共存であるべきで、依存であってはならない」

 椅子から立ち、菊瀬先生は腰に手を当てて伸びをする。

 元の姿勢に戻り、ふっ、と息を吐き目を閉じた。

 数秒間、その状態が続きやがて目を開いた。

「あの時私は、君の姉、成華に助けられた。君の言うように成華は困っている人がいたら誰でも助けてしまうだろう。その誰でもの中に、私はいる」


「……それでも、あの場にいたのは他の誰でもない私で、成華なんだ」

 顔をこちらに向けられ、目が合う。

 少しも逸らすことなく向けられる。

「私はね、見せたいんだ。君が助けた私は、今はこうして過ごしていると。君が成功に導いた活動は今もこうして続いていると」


 ……成華がそうなら、俺も同じなんだろうか。

 俺はちゃんと助けられてるのだろうか。

 人の役に立っているのだろうか。

 俺と関わった人は、自分の望む自分に成れたのだろうか。

 答えが出るのは、まだきっと全然先だ。

 考えだすと際限が無い。

 誰かが教えてくれるのなら楽だが、それも難しいだろう。


「これは多分恩返しじゃなくて、義務だろうな」

 その笑顔は、まるで子供だった。

 白い歯を見せ、口角の上がったそれは、俺には明るすぎるくらいだ。

 まっすぐで純真で純粋な笑顔。

 きっと成華がこの高校の生徒の時、……あいつが、積み上げたものがそうさせるんだろう。

 不意に、俺がこの笑顔を見るのはずるい気がして、目線を下げ顔が視界に入らないようにした。


 ふふっと柔らかく笑い、

「君にも、私の言っていることが分かる日が来るよ」

 菊瀬先生はそう言う。

 再び顔を上げると、もう落ち着いた大人の笑顔だった。

 手に持っていた紙を見て、

「…そういえば、君の進路は?」

「あぁ、言ってませんでしたよね」

 希西(けにし)先生に紙で書いてそれで終わりだった気がする。

 それも学年みんなでやるやつ。

 個別で誰かに話すってのは初めてだな。

「文系です。大学は…親はどっちでも良いよって言ってますけど、多分国公立に行くんじゃないですかね」

 併願校のことも調べなきゃなぁ、と最近は思ってる。


 というか、

「なんで今それ聞いたんですか?」

 話の脈絡とか、なんか、色々あった気がするんだけど…。

「いや、教師らしいことできてないなぁって」

「今頃そんなこと気にしませんよ」

「それはそれで悲しいな…」

 むすっとした顔でこちらを見る。

 怒っているようだ、ごめんなさい。


 すぐに表情を戻し、つまらなそうに話す。

「君は1人でなんでも器用にこなすからなぁまったく」

 ふてくされたぶっきらぼうな声だ。

 まぁ一人になっちゃったし、器用にやんなきゃ俺が困るし……。

「…まぁ、生徒を信じるのも教師の役目だしな」

 菊瀬先生はゆっくりと歩き出した。

 見えた背中はまっすぐで、しゃんとしている。


「どこに行くんですか?」

「上司が先に帰らないと部下は帰りにくいだろ?」

「それ、菊瀬先生の話じゃないですよね?誰か上の人恨んでたり憎んでたりしませんよね?」

「ご想像にお任せする」

 じゃあいないってことで。

 いないいない。

 多分そう部分的にそう。


 振り返り、菊瀬先生は横顔をこちらに覗かせる。

 輪郭の整った、大人の顔だ。

 口元は柔らかくほころんでいる。


「雨芽、君を信じている」


 こちらから目を切り、歩を運んでいく。

 手だけを持ち上げ振る。

 別れの挨拶はそれだけだった。


 かっこいいなあの人……。

 様になってるのがまたすごい。


 はぁ……。

 まぁとりあえず……成華を文化祭に誘うことから、だな。

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