37.輝く星は
その後もほどほどに小学生の手伝いをして、劇当日に。
保護者の多くが子供の勇姿を見にきている。
高学年の子も保護者とは別に席を用意して劇を見ている。
雰囲気は上々、悪くない空間だ。
そして、一番後ろで見ているはずなのに隣に陽悟がいる。
何故なんだ……。
陽悟だから前に行くと思ったんだけど……。
あ、あれは……。
劇では、宇佐美が喧嘩を止めた二人が出てきた。
犬と猿の役か。
なるほど………犬猿の仲、ね。
まぁ、偶然そうなったんだろうな。
あの子たちはまだこのことわざ知らないだろうなぁ。
キジの人頑張ってね。可哀想だけど。
ん?あ、大智くんだ。
幕の後ろでここからだと見えにくいけれどたしかにいた。
劇の配役を決めた時期は夏休みが始まる前だったから、裏方なのは仕方ないか。
それでも陽悟のおかげで人間関係はそこそこ改善したようだ。
会話もつつがなくできているみたいだし、円滑に劇は進んでいる。
久米と櫛芭は保護者の邪魔にならないよう席を並べてあるその更にはじで子供達を見守っている。
二人とも真剣に劇を見ている。
あいつらのことだから、きっと仲良くなった子とかいるんだろうな。
宇佐美はというと、一人の男の子と話している。
あいつの弟だろうか。
その男の子は宇佐美に背中を押されて歩き出した。
おそらく、自分の席に戻れ、とかそんな感じだろう。
宇佐美は一人になった。
まぁおかしなことじゃない。
ここは小学校だから。
自分たち高校生はもともとここにいなかった存在だ。
宇佐美は一人で来てるし、陽悟と俺たちは特殊だろうからこちらの方が例外的なタイプだろう。
当然そうなる。
不思議なことじゃない。
………。
………意識している自分が嫌いになりそうだ。
考えれば考えるほど、どつぼにはまる。
勝手に見て、勝手に重ねて、何をやってんだ俺は。
………勝手に憧れて、ほんと救えない。
…自分の中で、日に日にそれが心を占めていくのを感じている。
きっといつになっても、忘れることは出来ないだろう。
変えてしまったことを、いつまでも後悔している。
過去は変えられない。
だから、人を変えてしまった、その過去を悔いている。
過去に戻れるなら、喜んで戻るだろう。
その憧れは間違っている、そう自分に伝えたい。
できないから悔いている。
いつまでも。
「どうした?笠真?」
「………あ。いや、なんでもない」
隣に陽悟がいたこと忘れてた………。
「宇佐美さんを見てたのか?」
ぐっ…やっぱこいつ俺のことになると急に察し良いな…。
考え事をするときは、陽悟が周りにいないことを確認してからの方が良い……。
陽悟は興味ありげに俺を見ている。
「もしかして、笠真って宇佐美さんと……」
「ちげぇよ。……そんな時期はない、と言えば嘘になるけど」
こいつに嘘を言っても多分無駄だな。
話したくない話題から逸らしていく方がいいだろう。
脳死で喋れないな、これ。
「そっか」
陽悟は深くは聞かなかった。
一言呟き、また小学生の劇を見始めた。
もともとそんな聞かれないとは思ってはいたが、想像よりも会話が早く終わったので不完全燃焼な感じがして、つい口が動いてしまう。
「結果だけを見る人と、全てを知ってる人で、感想って変わるよな」
陽悟に言ったのか、自分に言い聞かせたのか分からない。
ただその言葉が口から出ていた。
どんな人にだって、これは当てはまるだろう。
今、子供達の劇を見ている親だって。
俺から見た陽悟のことだって。
陽悟から見た俺のことだって。
結果だけしか見れないんだ。
ある一点を、隣で見ることしかできない。
その人の積み上げてきたものを、ほんの片鱗だけしか感じ取ることはできない。
全て、なんて知れるわけがない。
1つの出来事をとっても、様々な感覚器官を通してある1人の中に情報として完結する。
それで終わりだ。
だから人に伝えるときに誇張されることがあるし、不要だと思われたことが抜け落ちることもある。
もうしょうがないことなんだ。
許容するしかない。
そういうものなんだと、言い聞かせることしかできない。
人は、都合の良いようにしか物事を考えられない。
人を一番知ってるのは、その人自身だけだ。
今まで行ってきたことを、成功を、失敗を、全てを過去として知っている。
立場が変われば、考え方が変わる。
一つの出来事に、様々な考えが飛び交う。
人に人は語れない。
述べられるのは事実だけ。
憶測は、妄想は、そこに生きている人を蔑ろにし、何も生まない。何も与えない。何も得られない。
陽悟もそれを知っていたのだろう。
だから深く聞こうとしなかった。
ここで俺が適当なことを言って濁しても、それは酷く意味がないことだ。
陽悟の中学までの暗い話だって。
陽悟の高校に向けた血が滲むような努力だって。
陽悟のことは陽悟だけが知っている、それが全てだ。
それは、きっと俺も同じ。
知れるのは事実だけで、そこに生じた感情は窺い知ることはできない。
俺には俺の、陽悟には陽悟の、人には人の人生がある。
……だから変えたくなかった。
一人になんて、させたくなかった。
今頃になって、必死に一人の意味を探している。
一人であることに、意味を持たせようとしている。
見つけないといけない。
見つけなければならない。
これは、俺の責任だ。
責任から、逃げてはいけない。
分かっている。
でも、俺は逃げた。
あの日、俺は逃げたんだ。だから、今の俺がいる。
……だからずっと、許さないでいて欲しい。
響く子供達の元気な声を聞きながら、そんなことを考えていた。
しばらくして劇が終わり、体育館は拍手に包まれている。
舞台に列を作り、携わった人たちが順に挨拶をしていく。
挨拶のたびに拍手の音は大きくなり、全員の礼がおわってもしばらく拍手は続いていた。
陽悟は子供達に感想を伝える、と舞台の方に歩いて行き、一人、引き続き体育館の後ろにいる。
「あの!雨芽さん!」
人がまばらな舞台をぼーっと見ていると声がかけられた。
「お、大智くんか。……ん?」
隣に大人の女性がいる。
「お母さんです」
あぁそういう。
大智くんのお母さんは礼儀正しく、両手を前に重ね深々とお辞儀をした。
数秒ほどその姿勢を保ち、やがて顔を上げ、
「この節は本当にありがとうございました。大智から話を聞きまして、お礼を申し上げたいと思いまして」
しばらく思考がフリーズする。
「……あ、あぁ。そのことですか。いや、まぁ大したことじゃ」
たじたじになりながら、なんとか言葉を伝える。
大人の女性に感謝されるとかまじびびる。
だが勢いは収まらず、
「学校が楽しくないってよく言っていて。すごく心配で、雨芽さんのような人が助けてくれて良かったです!」
「は、はぁ……そうですか」
………あまり良くないな。
お母さんも善意で言葉を言ってるんだろうけど、この結果に貢献したのは陽悟だ。
何より、他の誰かのお陰で成功したと思ってしまうとまた自信を喪失することに繋がってしまうかもしれない。
少し考える素振りをしてから話す。
大人のように、そして真剣さが伝わるように。
「いえ、この子に勇気があったからですよ。この子が頑張った結果です」
「だから大智くんが凄いんだよ」
大智くんのお母さん、それから大智くんを見て言う。
大智くんはゆっくり頷いてくれた。
「そしてな、大智くん。目指すんなら俺じゃなくああいうキラキラした人を目指した方がいいぞ」
陽悟を見ながら言う。
指差したらまた気づいてこっち来そうだし。
…あいつさっきここから歩いて行ったばかりなのにもう子供に囲まれているな……。
「え、なんで?」
大智くんは疑問があるみたい。
なんで?
「あっちのお兄さんじゃだめなの?」
これにはすかさずお母さんも口を開く。
だよな普通に考えたらそうだよな。
分かってたけどやっぱり人に言われると普通に悲しいな…。
「陽悟さんもたしかにすごくかっこいいけど、僕も雨芽さんみたいに困ってる人がいたらすぐに気づいて助けられたらって思ったから」
「……そっか。…うん。頑張れよ!」
手を振って大智くんにさよならをする。
ありがとーう!と大きな声で伝えられて、あんな大きな声も出せるんだな、と安心した。
………俺はそんな大層な思いで助けてない。
きっと今も、あいつの言葉を忘れられないでいるから。
多分それだけだ。
櫛芭先生に聞かれたとき、答えたのはたしかに俺だがあれは俺の言葉じゃない。
あいつの言葉をだだ借りただけ、その程度だ。
でも、その言葉だけで俺の動く理由になってしまう。
あいつは……宇佐美は……。
「あぁいう娘がタイプなんだ」
「いや、ちょっと違うかもしれない。今はそう思う」
この感情は、好意じゃなかった。
宇佐美は輝いていて、眩しくて、近づけば分かるんじゃないか、そう思ってた。
実は気付いていないだけで、俺もそうなんじゃないかって思い上がって……。
宇佐美にはそんな時間を付き合わせてしまった。
きっと傷つけたし、悪いことをした。
………あれ?……今のは…?
「その思い出し方……やっぱり付き合ってたのか」
久米だった。やらかした。
「まぁ中学のときは友達沢山いたって聞いたし、もしかしたらと思ってたけど」
あぁ、隼真と美穂に会ったときに聞いたんだろうな。
「でも好きじゃないのに付き合ったの?」
「それお前が言うのかよ……」
最低一週間は付き合う。
とかいう目標を立てている人が言って良いのそれ?
「え?あ、いや、今は違いが分かるような気がするから……その。うん」
何故かめちゃくちゃ焦る久米。
話している内容が内容だしなんか恥ずかしくなってきた。
俺は無関係なはず。多分そう部分的にそう。
「そう……うん…」
気の利いたこと一つ言えない俺、情けねー!
「じゃあ私、未白ちゃんと帰るね!」
ブンブンと手を振って、それから小さな鞄を背負い直し、走り去って行ってしまった。
なんだか見てはいけないものを見た気持ちになりました。
………はぁ。
ため息をついているところに足音が近づいてくる。
「今の彼女?」
「違うな。全然違う」
すぐさま否定する。
暇なときにやってる早押しクイズで鍛えている俺の反射速度を舐めるでない。
てもあれって問題を記憶したらすぐに解けるんだよね……。
「へぇ。そう」
宇佐美だな、この声は間違いない。
俺の斜め後ろから声が聞こえる。
しかし一向に視界に入ってこなかった。
宇佐美はそれ以上前には歩いてこない。
話があるのかと振り返ろうとすると、
「あ、いいの!そのままでいて!」
「ん。……そうか」
止められてしまった。
宇佐美の表情は分からないままだ。
しばらく静かな時間が続く。
子供たちの声でうるさいはずなのに、何故かその音が聞こえなかった。
宇佐美の言葉しか分からないから、それを逃さまいと必死になっているんだろう。
「付き合ってくれない?」
「……へ?」
思わず振り向きそうになった。
いたずらが決まった幼子のような声が聞こえる。
「ほう。そういう反応か。いや、交際じゃなくて買い物にね。彼氏できたんだよね!」
「あぁそういう」
「その人の誕生日が近くてさ。男性が好きなものっての?そういうやつを教えてほしいんだよね!」
少し上ずっているような、そういう風に声が聞こえる。
無理をしているのだろうか。
「分かった」
「後ろめたい気持ちがあるなら………え、良いの?」
「うん。普通に良いよ」
あっさりと答えすぎただろうか。
まぁ断る理由も迷う理由もないから、こう答える他なかったのだが。
「……そっか!…そっか!うん分かった!」
今も違う方向を見ている俺は、宇佐美がどんな表情で
その言葉を発しているかを分からない。
だから………分からないから、考えている。
「諸々決まったら連絡するから!よろしく!」
「おう」
突然顔の前で手を振られる。
びっくりして身を引くと、宇佐美が俺の前に立った。
そこで初めて宇佐美の存在を視認した。
記憶よりも大人びた。
それでも愛嬌がある優しい笑顔だった。
「またね」
一言そう言ったあと、すぐに体の向きを変え歩き去って行く。
手を伸ばして引き留めるべきだったのだろう。
答えを出すべきだった。
また答えを出さなかった。
浮いた手は、力が抜け、だらんと下に落ちる。
何も伝えてない。
何も知らない。
分かっているのに、動けなかった。
また答えを出すことから逃げたんだ。
怒っていることに安心して、
答えを考えるのを、やめてしまった。
君が一人じゃないことに、こんなに安堵している。