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雨上がりを待つ君とひとつ屋根の下で  作者: 秋日和
第十三章 後夜祭編
102/106

100.少しの思いで

「はい」

「はい雨芽(うめ)くん、雨芽くん?雨芽くん!?え、もしかしてうるさかった?確かに声デカくなってたかも…」

 重苦しい空気を漂わせる教室。

 黒板にはどうする事もできないと言いたげな、箇条書きされそのままにされている問題点。

 しばらく会議を静観し、俺は手に入れた情報で問題を解決できるように……とは言えないか。

 でも問題を作り出している人には辿り着く事が出来た。

 あとはここからどう俺が動くかだけど…。

 挙手するとすぐに当ててくれる田中(たなか)は、光明でも見出したかのように目を輝かせたが一瞬で申し訳なさそうな表情に変わるのだった。

 まぁ膠着状態に陥ってたし仕方がない。

「やり方を変えよう」

 静まった教室に俺の声が伝播する。

 部員一人一人にそれぞれ目を合わせてゆっくりと見渡す。

 俺が声を出した事に驚いた表情、展開が無い状態が長く続き何を今更と眠そうな表情、一体何をするんだろうと興味深そうな表情。

 他にも色々いたが、少なくとも目を合わせてから表情を変える者は誰一人としていなかった。

 肝が座っているのか、それとも俺を舐め腐っているのか。

 あぁそういう。

 まぁじゃあ、好きにやらせてもらいますか。


 新学年らしく新しく用意した新たなノート。

 日本語ってやっぱ頭おかしいわ。

 外国人が日本語を学ぶ事を断念するのを憂いている…じゃなくて、取り出したノートを皆に見えるように掲げ、

「これに互いにしてもらいたい事、直してほしい所を書いてもらう」

 そう言うと山内(やまうち)は不思議そうな顔で、

「話した事なら一通り黒板に書いてあるけど……あ、今日終わらなそうだから…?」

 違うぞ山内。

 今日一日で終わらせてやるさこんな茶番。

「黒板は後で写真でも撮っておけばいいさ。ノートを使うのは一人ずつ、他の人はその間教室を出てもらおうと思う」

「待った待った!雨芽くんのやり方だとそれは一年生の意見二年生の意見にならないんじゃないか?」

 この会議のゴールをそう設定している田中は初志貫徹の姿勢をとる。

 部長として正解の選択だ。

 山内も不安そうな様子を隠せず俺の答えをただひたすらに待っている。


 二人は、正しく言えばまだ部長でも副部長でもない。

 いくら世代が変わるのが早い運動部といっても、最後の大会が終わるまでは部長業務は三年生が行う。

 それでもこうして今年度の部長副部長として俺の元を尋ねたならば、自らを奮い立たせる為にその立場が必要だったということになる。

 己を律し、行動理念とし、それを一年生に示し続ける為に。

 だから、あとは部外者の俺がやるしかない。


 席からゆっくりと立ち上がり、言うべき事を脳内で繋いでいく。

 目的は一対一、話し合う時間が少しあればいい。

「学年としての意見はほぼ出尽くした。それで互いに解決策が出てこないならもう細分化するしかない」

「それは……確かにそうかもしれないけど…」

 ノートを開きパラパラとめくる。

 白紙であることを伝えながら、

「一人三分、長くて五分だな。それまでに自分の意見を書いてもらう。時間を越えたら書けてなくても交代させる」

 暗にそれまでに書けなきゃ自分の意見なんて無いも同じだろと意味を込め更に続ける。

「田中と山内がここを頼ったのは部外者の俺がいるからで、それはここにいる全員がある程度の緊張感を持って言葉を選び話すだろうと考えたからだ」

「ちょっ…あ、うん。言っちゃダメとは言ってない、かー…?」

 あ、うーん……。

 すまないぜ。

「それで今こうなっているなら、文字に書くってやり方に変えた方がいい。口で話すより手で書く方が脳にかかるプロセスがかなり多いらしいし」

 SNSとか掲示板の誹謗中傷が問題になった時にそんな研究を見た気がする。

 脳の信号を可視化して悪口をそれぞれの方法で伝えさせるみたいな、たしかそんなのが。


 思い出せる限りの理由を並び立てて、順番をこちらがランダムに決めてから一先ず追い出す。

 ようやく始まった…名付けて、お気持ち表明式。

 生徒によって書き方は様々だった。

 書く場所一つ取っても俺と机を挟んだだけの対面式で書いたり、隅っこに座り膝の上で書いていたり、黒板に近づいて書いてある事をそのまま書き写す奴もいた。

 待ってる間階段ダッシュをやってるらしくて、後半に連れて息が上がっていたり汗だくな人もいて運動部ってやっぱ大変なんやなぁって思ったりした。

 あとはまぁ駄弁ったり愚痴を聞いたりなんだり。

永井(ながい)くん、だったよな」

「え?は、はい」

 少し離れたところに座り、こちらの目を窺うような仕草を繰り返す永井くんは申し訳なさそうに返事をした。

「他の人のページは見ちゃダメだからな」

「………はい」

 こちらが予め開いて渡した真っ白なページをペンでトントンと突いている。

 なかなか苦しそうな返事をしますねこの子。


 頭を抱えている永井くんは、黒板とノートを何度もぐるぐると見返しながらなんとか言葉にしようと試みているみたいだった。

「言葉にするのは苦手か?」

 そう聞くと手に持っていたペンを机に置き、指を絡ませて悩ましげに顎を乗せる。

「…よく分かんないんです。みんなの言ってる事」

「みんな?」

「俺は別に困ってないんです。今のままでも別に部活なら普通かなって思ってて、だからみんなが何でそんなに怒ってるのかが分からないっていうか…」

 困ってるのはみんな、か。

「優しいんだな、永井くん」

 それを聞いた永井くんは照れながら顔を伏せると、言葉に詰まりながらこう答えた。

「俺が言えば先輩たちも絶対話を聞いてくれるし、きっと俺がやるべき事なんです」

 ……そうか。

 まぁ、そうだろうな。

 練習風景は見た事は無いが、きっと一年生の中心人物で二年生にも引けを取らない強力な選手が永井くんなんだろう。

 背が高いのも存在感を強めてそうだ。

「ただ、強いて言えば……ん、書けばいいか」

 そう言うと永井くんはやっと書き始め、しばらくしてパタンとノートを閉じた。


「雨芽先輩。本当にこれで解決するんですか…?」

「ん。まぁ、そうだなぁ……」

 気づけば三分を過ぎていて、ノートを渡しにきた永井くんが真っ直ぐこちらを見つめてくる。

「解決するのは、最後は二年生さ」

 その瞳は不安と期待が入り混じった、何とも表現出来ない複雑な色をしていた。

「一年生は次で最後だよな、次の子の名前は?」

 毎度毎度書き終わるタイミングで聞いている事だ。

 自己紹介から始めたんじゃ書く時間無くなっちゃうからな。

 人数は確認している、確実に次の子だ。

駿(しゅん)……あ、佐々木(ささき)って言います。それじゃあまた…はい。どこかでまたよろしくお願いします」

「うん。またね永井くん」


 永井くんが出て、間を空けずすぐさま次の子が入ってくる。

 時計を確認して息を吐く。

 手短に、的確に。

「書きたい事はあるか?」

 まるで書きたい事は無いだろと言うように。

「……僕の事、わざと最後にしましたね?」

「ま、佐々木くんが今回の件をややこしくしてるからな」

「あえて聞きますけど、どうして僕だと?」

 席には着かず、佐々木くんは立ちながら問う。

 何故、簡単だ。

「君だけが一年生の中で全員と話してたからな」

「………?それで分かるんですか…?」

 言葉を失ったように口を開いた後、おずおずと問い直してくる。

 外野から見りゃ分かるもんだぞ、とそんなニュアンスは伝わるだろうか。

「……最初におやと思ったのは、永井くんが話す前…いや、話す度にか。話しかけている子がいるなと思って」

 佐々木くんはそれは自分だと認めるように頷く。

「その後会議の様子を一年生に絞って見ていたんだ。隣り合って座る子と話すのも、少し大きな声を出して周りに話を聞く子もまぁいたけど」

 見つめ返して目に映る佐々木くんは、不思議だと興味のありそうな表情に変化してきた。

「それもたしかに……言われてみれば僕だけがって感じで……」

 会議を思い出すように首を捻り呟いた。


「もう一度聞くけど、書きたい事はあるか?」

 ノートは未だ俺の手元にある。

 佐々木くんは一言もノートを渡せとは言ってこない。

「………あ…そう見えたんですね。だから僕だと」

 男子バスケ部の一年生は14人。

 十を越える人数となれば、たとえ固まって座っていても全員に話しかけるのは容易ではない。

「ここに来た一年生は、それぞれ書き方は違ったけど書きたい事をスラスラと書いていった。書けなかったのは佐々木くんと、前の永井くんだけだ」

 やっぱりわざと最後に…とジト目の佐々木くん。

 時間無いし無視で。

「永井くんはみんなが困ってるからって理由だった。声を張って気持ち…正しくは意見を伝えた。みんなの、佐々木くんを通じて聞いた意見をな」

 耳の痛い意見を聞く立場の二年生たちは二年生の間で行う作戦会議に集中し、何度も振り返り佐々木くんに意見を聞く永井くんに気づいていなかった。

 それだけなら問題には成らなかったはずだけど、

「続けざまに意見を通されちゃ会議も混乱して停滞もするよな」

 バツが悪そうに目を逸らされる。

 悪気はあって良かったよ。

「自分の意見がない永井くんは佐々木くんに言われる通り意見を言い続ける。この件に関して問題意識も薄かったし、それが何が悪い事かも特に考えずに」

 役割意識は立派だけど、こりゃ後で永井くんにも考えさせなきゃだめだな。

 とは言ったものの、佐々木くんが後に謝る事になれば全てを理解しそうだが。

「佐々木くんの目的は問題を解決する事でも、永井くんが話しやすくするようにも、ましてや一年生と二年生を不仲にする事でもない」

 ここからは推測だ、外れたら笑ってくれ。

「停滞させる事。……しばらくの間バスケ部の状態をそのままにしたかった、なんてな」

 何も言わずに佐々木くんは椅子に座る。

 目を閉じて静かに、俺に言われる言葉を待っているように見えた。


 俺の今、やるべき事………。

「理由は今は聞かないよ。時間もないしな。この後も好きにすればいい」

「好きに……」

 尚も迷う佐々木くんにノートを渡す。

 俺から手渡されたノートを後ろから開いて文字の影を視認すればそこで止め、白いページに戻り静かに見下ろしている。

 好きにって言ったんだから……まぁそれだけじゃ伝わらないか。

「見てもいいぞ。他の人の」

「え?でもそれだと意味がないんじゃ…」

 意図を理解している佐々木くんは俺の建前まで汲み取ってくれる。

 でも、そうじゃない。

 そのノートにはきっと……。

「賢そうだからな。君は特別」

 目を見開いて、それから泣きそうにしながら苦笑いを返されて俺も苦笑する。

 人差し指を立ててここだけの秘密だと伝え、頷いて佐々木くんは一ページ目から順にノートを捲る。

 次第にその顔は…。

「……まさか」

 椅子が倒れて音を立てる。

 真っ白なページに辿り着いた後、佐々木くんはまた再び捲り直して最後に黒板を見る。

「いや、考え過ぎか。きっとそう……きっとそうだ」

 言い聞かせるように繰り返し、佐々木くんは震えながらこちらを見る。

「何かいい事でも書いてあったかい?」

「見ました?」

「いや?一文字も見てない」

 ただ、そうだといいなと思っていた。

 信じ辛そうに苦笑いを続けて、今までのやり取りで諦めもついたのかため息を一つ。

「……ありがとうございます。書く事、決まりました」

 佐々木くんの表情は、最後は晴れやかな笑顔に変わっていた。


 この活動……。

 痛みを和らげる麻酔のように、胸の奥に奥に入り込む。

 ひび割れた心に沁みる、涙を滲ませたその笑顔。

 もしかしたら今度はなんて思ったりして。

 深入りしたくない、でも離れたくない。

 来週も…俺はここにいそうだなって、それでその次の週もいそうだなと。

 それでいいかと思ってしまっている自分がそこにいた。


――――――――――――――――――――――――


 教室に西日が差し込む。

 陽が傾くのが早くなった。

 最終下校時刻が変わるまであと何日か。

 来たる冬を見据え、自分も周りもどちらも変わる。

 変化に対応できなければ取り残されるだけ。

 目を開けば簡単に手に入る情報を積み重ねた日々が、俺に答えを教えてくれる。

 ………もう、十分だろう。

久米(くめ)は、告白の為にここに来た。告白を手伝って欲しい、と。だけどその時ここの顧問が菊瀬(きくせ)先生だと知らなかった」

『あの、ここって人の依頼を聞いてくれるところであってますか?』

 でも、部の概要は知っていた。

 知ったのは……おそらく。

「思ったけど扶助部のことは、バスケ部の活動中に聞いたんじゃないか?男子バスケ部は自分で言うのもなんだけど助けた事もあるし」

 同じバスケ部なら女子の方に話が伝わっていてもおかしくない。

 活動が同じ曜日もある。

 コートを分けるのは何の遮音性も無いネットだし、話し声だって注意すれば聞き取れそうだ。

「そして……自分の悩みを解決してくれるかもしれないと思って、ここに来た。あの告白……いや、正確には告白はしなかったな」

『やめた!』

 聞き間違えようのない大きな声。

 間違いだと思ったから確認を取った。

 それで久米はそういう奴なんだなって、そんな風に思う事にして。


『………どの人とも、1週間は付き合おうと思ってるんだけど、なかなか続かなくて』

「当時は何も思わなかったけど、今考えてみるとおかしいんだ。付き合ってから合う合わないを考えて別れるのを繰り返しているなら、そんな奴が自分の気持ちを伝えることもせず相手を諦めるか?って」

 久米が果たしてそこまで考えているのか確実には言えないが、この数多くの交際について悪い印象は京両高校内で抱かれてはいない。

 相手方はおそらく久米との交際をステータスに思わない人、後腐れが残らない彼氏を久米は選んでいるはずだ。

 そうじゃないとそもそもこの状況が成り立たない。

『……… 私、実はあの、古名(こめい)くん、苦手なんだよね…』

 久米が古名を苦手に思う理由はおそらくここに…。

「そしてこう思った。久米は付き合うことが目的じゃないんじゃないかって」

 久米は肩を僅かに震わせた。


 七夕の日部室で久米は、

『一年生の半ばくらいかな。私が何人かともう付き合ったことがあると広めたのは二年生からだね』

 とそう言った。

「久米は一年生の頃からモテる奴で、それが広まったのは二年生からだった。そしてそれを広めたのは久米、お前自身だったな。そして俺が久米からそれを聞いた時にこう言った。公にした方が楽だったと」

 普通に考えたら元カレの問題だ。

『まぁ私の場合は公にした方が楽だったからね』

 いる、いないで付き合い方も変わる。

「でも……さっき言ったように、付き合うことが目的じゃないとしたら。公にすることが目的なら。それを通じて特定の誰かに…いや、女子バスケ部の、それも二年生に知ってほしかったんじゃないか?」

 諦観の表情。

 俺の出す答えが久米の中で用意された正答に近づきつつある。

「告白が中止になった後、お前は居心地がいいからここに居させてと、そう言った。お前は俺と違ってぼっちじゃないし、居場所なら作ろうと思えば簡単に作れるはずだった。ここを選んだ理由。それは、言い訳のためだ」

 全てを聞こうと、天井を見上げていた久米がこちらに視線を戻す。

「話さなきゃいけないことがある。一回目の定期テストのテスト週間のときこう言ったな。俺の予想だけど、その話さなきゃいけなかった相手って女子バスケ部の二年生じゃないか?」

 久米は問いかけに答えない。

 聞く姿勢を貫いている。

「……久米はそいつらに、扶助部にお世話になったから私も手伝うことにする、みたいなことを言ってバスケ部から距離を置くことに理由を付けようとした」

『あ、久米さん。もうバスケ部来ないの?』

『バスケ部のときから結構気になってたんだよ。やっぱり居なくなってから好きって気付くもんじゃん?なんて、その言い方が正しいのかは分かんないけど』

『……前も言ったけど、居ないとそれが際立つって言うかさ。まぁ、俺が意識しすぎだからそう見えるだけかもしれないけど』

 山内の話を聞いた時、久米のバスケ部での印象は欠けたら分かるくらい、そのくらい大事なメンバーというものだった。

『そのくせバスケはすっげー上手いんだよな、久米は。めっちゃ頑張るし、手ぇ抜かないし、周り見れるし。みんなに頼りにされてて、俺には可愛いってのよりカッコいいってのが真っ先に浮かんでさ』

 そんな奴が理由も無しに、バスケ部を離れるわけにはいかない。

「お前は……自分がモテていることを利用してバスケ部から離れたんだ」

 久米は目を伏せた。

 利用という言葉に感じるものがあったらしい。


 告白するという名目で扶助部を頼り、扶助部にお世話になったからと理由を作りバスケ部を離れた。

「女子バスケ部は結果を出した。二学期の始業式に見たのを覚えているし、公開練習の時に久米も言ってたよな」

『うん。今年は大会で成績残してるし、話題になってるみたい』

 選手が飛躍的に成長したのが要因で起こった結果だったならば、どんなによかったか。

「一年生だったんだ、バスケ部を変えたのは」

 ……より優れた選手を出せば、試合の内容は決定的に変わる。

 バスケほど試合展開が速いスポーツで、更に五人しかコートに立てないとなれば尚更個の力は絶対的で…残酷な程に。

「それは……そいつは、お前のポジションだったんだよな」

 目が揺れている。

 彷徨う視線に映るのはきっと俺の顔じゃなくて…閉じた瞼の裏に焼き付いた……。

「久米は気付いたんだ。自分よりも一年生が出た方がいい、その方がバスケ部の為になるって」

 スタメン争いはどの部活にも必ずある。

 それぞれがそれぞれのやり方で、託したり、蹴落としたり、諦めたりしている。

「部活を離れなければならないほどの理由なんてあるのかと思った。そう思ってしまった俺は……これまでずっと周りに恵まれていたんだと思う」

 人の痛みがわかる人。

 俺はきっとそんな人には成れないだろう。

 出来る事を必死に探して、踠き足掻きながら醜く這いずり回って。

 そんな人助けしか出来ない。

 これまでも、これからも。

「バスケ部の練習を見に行った。男子も女子も無駄が少なく呼吸もあっていた。久米と一緒に行った公開練習と、また違う日に。合計二回見に行ったんだ」

 たしかに俺はバスケに関しては素人だ。

 理由としては弱いかもしれない。

 けど俺の目から見て違いはほとんどなかったと思う。


 俺だからこそ見えたものも、そこには確かにあった。

「誰も久米が居なくなった事に引け目を感じていなかった。二年生も、もちろん一年生も。来なくなった一人の部員に思考が入り込む余地も一切なく」

 はっきり言って不可解だった。

 特に一年生は自分のせいで先輩は来なくなったんじゃないかと思うし、二年生もそんな一年生を相手にすれば精神がすり減ってミスも増えるはずだった。

 だけどそうはなっていなかった。

 男子バスケ部のように学年間で対立が起こるような事は決して。

 みんな普通に、何事もなかったかのように練習をしている。

「これは久米がみんなを納得させるための理由を作り、堂々と部活から離れたから。意図して作った状況なんだ」

 四つ、同じ。

 あと一つを持つ人は。

「お前がそんな大掛かりなことをしてまで、人を騙すようなことをしてまで、こんなことをした理由…………」


 藤澤(ふじさわ)と将棋を指して思い出した。

 ……夢、目標、憧れ、それを持った人の、そばにいた人の気持ち。


「…………それは、これだろ」

 俺は自分の手首を掴む。

 思い返せばそれは久米の癖だったように感じる。

「今も持ってんじゃないのか。二年生でお揃いにしたリストバンド」

 リストバンドの上からそっと手で包むように握るその仕草を、たとえ外した後も久米はそれを繰り返していた。

 久米は自分の鞄からリストバンドを取り出し、それを大事そうに両手で持つ。

 その手に雫が一つずつ落ちる。

 久米は声も出さず静かに泣いていた。

「バスケは五人でするスポーツだ。二年生はお前を入れて五人しかいなかった。誰一人欠けてはならない一人一人が大切な仲間。そこに懸ける情熱は並々ならぬものだったと思う」

 今も着け続けている二年生の四人もそれは同じ。

「お前は俺と初めて会った時からずっとそれを付けていた。バスケ部を離れてもなお、バスケ部を思って動いていたんだ」

 彼女たちも今は部活外の生活で着けるようになり始めている。

 それはきっと、久米がリストバンドを着けている事に気づいたから。


「だけど、夏休みが終わった後。お前はリストバンドを外した。それからずっと外している日々が続いてる」

『え!…あ!いいじゃん!ぴったりだよ!』

「最後に付けているのを俺が確認したのは夏休みの最後、櫛芭(くしは)の誕生日プレゼントを買いに行った時だ」

『私も……雨芽くんみたいに、しばらくはそういうの考えないでいよっかなぁ』

「夏祭りの時、新しい理由ができたと、付き合うのはやめると、久米はそう言った」

『考えたら扶助部に入ってから誰とも付き合ってないし、この生活にも慣れたから。…それに………新しい理由もできたし』

「でもあの日……櫛芭が(ゆかり)さんからもらった腕時計を大切にしているのを見たあの日、お前の視線には確かに熱が篭っていたんだ」


『私の中では、二つあるの。二択まで絞れた』

 これが、俺の答えだ。

「それはきっと………まだ……その新しい理由というやつは、久米の中じゃ弱いからなんじゃないか?」

 ポロポロと涙を流す。

 手に降る涙はリストバンドに流れ落ちて滲む。

「お前の中でバスケ部は、バスケ部の二年生は……切っても切れない関係にあるんだ」

 それは久米だけじゃない。

「昨日…平野(ひらの)がここにきた」

 ばっと、顔を上げる久米。

 もう顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

「平野、気付いてたよ。久米がバスケ部の為に、バスケ部を離れたこと。多分、他の二年生の女子も薄々気付いているんじゃないかな。公開練習に来てたこともちゃんと平野は気づいてた」

 泣いている顔をじっと見れず、昨日平野が歩いた部室の外回りを見渡し最後に窓の外に目を向ける。

「それでも、また一緒にバスケやりたいって。リストバンド今も着けて待ってるって。そう言ってた」

 窓の外から見える景色は寒々しく、吹き抜ける風が葉を落としつつある木の枝を揺らす。

 もうすぐ部活を始めて半年、高校生としては京両高校に通う期間の半分を過ぎる。

「待たせて悪かった。これが俺の話したかった事。……全部話したよ」

 これ以上は、ここから先は、久米が選ぶ未来だ。

 だから俺は久米の言葉を待った。


 一頻り泣いた後、久米は震える言葉を一つ一つ繋ぎ合わせて文にする。

「ほんとに、すごい記憶力だね。もう、ほんとにすごい……!」

 泣き笑い……なかなか不思議なテンションになってしまった久米に、言われた言葉を噛み締めながら、

「いや、いらねーよこんなもん。これのせいで」

「ありがとう雨芽くん。見つけてくれて」

 ……これのせいで、忘れたい記憶も鮮明に残ってるって言おうとしたのに…。


 夕陽を反射し涙で光るその瞳も、俺の記憶に鮮明に焼き付いた。

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