スローライフの模範囚
運動の時間だ。
みんな鍬を持って、運動場に出る。看守の号令で五列に並び、合図に合わせて、鍬を振るう。 土が掘り返され、畝ができる。
「いいか。これが、生きるということだ」
やがて、囚人たちの元に種が配られ、一人ひとり、しゃがんで土と向かい合う。
俺も、手の中に置かれた種を大事に握りしめ、隣の囚人に倣う。人差し指を土に差し入れ、小さな穴を開けると、その上に握り拳を突き出し、握った指の間から、脇にこぼれないように種をまく。
この刑務所は誰もが若い。
一人だけいた中年の囚人は、痩せ衰えて、畑の隅に丸くなっている。来る日も来る日も、鍬を振るい、鋤を入れ、種をまく。中年の囚人は、いつの間にかいなくなっている。
やがて、最初に作業した畝から双葉が顔を出す。いくつかの畝は土色のまま。発狂せんばかりに叫びだす囚人もいるが、そんなことをしても作物は育たない。無駄に体力を消耗して、生存確率を下げるだけだ。むしろ、これで一人当たりの農地が増えるなら、助ける理由など、どこにもない。
刑期を全うしたいなら、ルールを理解しなくてはならない。
双葉でも栄養になる。この極限状態の肉体であれば、なおさらだ。俺は双葉の一方をちぎり、舌の後ろに隠した。もちろん、他の奴の畝から掠め取ったものだ。幸い、俺の罪状は殺人でも詐欺でも恐喝でもない。窃盗だ。盗みの基本は、相手の注意をそらすこと。スリでも空き巣でも、その基本は変わらない。
誰かが目立つ動きをしてくれるのは、これ以上ないタイミングだ。
収穫を迎え、生き残った囚人は七割に満たない。
自分の作物は、独房の中でゆっくり消費される。何人かは、豆をいくつか保存して、次の作付けに利用しようと考えている。ルールの過酷さを理解していない証拠だ。
刑期満了まで生きる囚人は三年に一人。ほとんどの人間は、農閑期に死ぬ。貯めておける作物など、一つもない。
そうして、十年が過ぎた頃には、俺も一人きりの中年になっていた。しかし、肉体は痩せ衰えてはいない。
「いいか。これが、生きるということだ」
今日も看守が同じ言葉を繰り返す。
そう。植物を育てるんじゃない。植物と生きるんだ。
スローライフのスローの意味がみんなわかっていない。
植物に学び、植物のように生きる。それがこの刑期を生き抜くための唯一のルールだ。