熱間引き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
今日は久々にいい天気だったな。
風を通しにくいガラス越しに、ぽかぽかとした陽の光を浴びながら、のんびりひなたぼっこ……こいつがまたなかなか気持ちいい。今の時季だったら、暖房を効かせた部屋でごろごろする手もあるか。
だが、後者は気をつけた方がいい。その眠気は、酸素不足に基づく、気絶に近いものがあるとか。
過度なもの。不自然なもの。
たとえそれが快適な環境を作っているとしても、それに依存しっぱなしじゃなく、与える影響を考えていかなきゃ、やばいことが起きかねない。
昔の人もそのあたりの対策に苦慮したようで、様々な言い伝えが残っている。
今回はそのひとつ。暑さと、ある伝統芸能に関する昔話を語らせてもらおうか。
むかしむかし。ある地域ではその年、冬だというのに、草花が咲き誇るほど温かい、奇妙な陽気だったという。
晴れも多く、予想以上の野菜の育ち具合に戸惑いながらも、人々は来年の米作りに備え、土の準備を行っていた。
好天が7日ばかり続いた時、村はずれで事件が起こる。
そこで暮らしていた数十名の村人が、こつぜんと姿を消してしまったんだ。更には彼らが住まっていた家屋も、畑で育てていた野菜も、かやひとつ、葉っぱひとつ残すことなく消え去っている。
土は耕地、あぜ道を問わず真っ黒に焦げつき、手に取ってみると、ぼろぼろと形を崩しながら散っていってしまう。土の表面から三寸(約10センチ)下までが、同じ状態だったとか。
この奇妙な現場の状況は、すぐさま調査がされ、殿様にも報告が届いた。
人も家も残っておらず、一面の黒い地表が残るばかりとなると、大火事が起こったと見るのが自然だろう。
しかし、それほどの大規模な火事であれば遠方からでも火の手が目立ち、消火にうごかなくても、野次馬や火事の生き残りが現れて、どのような被害があったのかを言いふらすのが相場だ。
今回はそれがなかった。極めて短い時間でことが済み、生者のひとりさえ残さなかったと考えると、恐るべき所業。再発の可能性を考えると、偶然として片づけるのは危ない。
殿様は城内に、受けた報告の内容を公表。有識者から何か手掛かりを得ようとしたところ、年配の家臣のひとりが質問を投げかけた。
「かの現場に、柵でも柱でも、何か焼け残っているものは、ございませんでしたか?」と。
視察を願い出た家臣は、その現場において地面の上にそびえるものが何もなく、炭と化した地表が延々と広がることを確認。城へ戻った後、殿様へある策を献じたんだ。
翌日以降。冬晴れが続く町中に、あるものが姿を現した。
獅子頭。それも数十人の獅子方が胴幕の中へ入って道を練り歩く、「むかで獅子」と呼ばれる形態で、獅子舞が行われたんだ。
これまでは祭礼の際に、神輿が進む道の露払いとして採用されていた獅子舞。それが単体で姿を現すことは珍しく、人々はその行進を見届けながら楽しんだ。
獅子舞は町をひと通り廻ると、獅子方たちが中から出てきて、道という道を掃き清めて歩いたという。
最初はお祭り気分だった人々も、連日行われるとなれば、疲れてしまう。興味津々の子供をのぞき、大人たちは屋内からちらりとのぞく程度に落ち着いた。
獅子方は交代しながらも、胴幕は同じものを扱い続けている。雨が恋しくなる陽気の下での領内行脚は、難儀なものだったらしい。
献策をした当の家臣は、すげ笠をかぶり、数名の供を連れながら、獅子舞のあとをたどるように、各所を見回っていた。
そのまなざしは、行きかう人々。立ち並ぶ家々。敷地の中にそびえる果樹の一本一本にさえも、鋭く向けられていたとか。
ついに真夏のような暑さを迎えたその日。
むかで獅子はその日も変わらず舞い続けながら進んでいたが、歩みはだいぶのろい。中の者もだいぶ暑さに参っているのだろう。
供たちも息を乱し始める中、家臣がはたと足を止めた。
すぐ右手にある平屋の一軒家を指さし、供に尋ねる。「あの家のどこかに、おかしい部分はないか」と。
先の奇怪な事件を知る供たちは、土の上に立つものを中心に家を見やるが、屋根や柱、脇に生えた柿の木まで、破損している箇所は見られない。
「造形ではない。影を見るのだ」
たしなめる家臣。言われるがままに影を見た供たちは、ようやく気づいて声をあげた。
影がないんだ。すでに太陽は西へ傾きかけ、それと共に、影は東へと伸びていかなければならないはず。その黒い姿が、目に映らなかった。
思わず他のものへと視線を移す供たちは、そこに影があることを確かめる。
あの家屋だけがおかしい、と分かった時には、すでに家臣が前方を進む獅子舞を止めにかかっていた。
「休んでくれ」という家臣の指示で、待っていましたとばかりに、建物がつくる日陰へ逃げ込み、胴幕の中から出てくる獅子方。
各々が座り込み、腰に提げた竹の水筒に口をつけ始める。供たちもそれに混じって休もうとしたが、家臣は腕を組みながらじっとその様子を見つめ、動こうとしない。
「もしや」と思い、家臣にならって影を見始める供たちの前で。
獅子方が休んでいた影が、ぱっと消えた。
先ほどまで涼しさを堪能していたのが、瞬く間に炎天下へ引きずり出されて、獅子方はうろたえる。
それを見て家臣はうなずくと、すぐさま指示を飛ばす。
「総員、町中をめぐり、影ができていない箇所を探せ。その際、足元に気をつけよ。とはいっても石や凹凸などではない。
熱さだ。履き物越しに、足で感じる熱が強いところを探すのだ。その際、どうしてもそれ以上は踏み込めないと思ったところへは、無理に進んではならぬ。退いて、地点を確認せよ。見かけた住民たちへは、屋内への避難を呼びかけてくれ。
数名は獅子頭を動かすために残れ。町の中心部へ移り、報告地点へ急行できる準備を整える。報告者も、確認後は中心部へ戻るように」
すぐさま動き出した家臣たちだけど、さほど間を置かず、ほど近くから悲鳴があがる。
「早く、散れ!」と指示を出し、家臣は獅子頭を持つ者たちを率いながら、叫び声の聞こえた地点へと急ぐ。
そこには、掃き清めて白さを保っていた道にそぐわない、真っ黒い炭が転がっていた。それはあたかも、大の字に横たわった人のように見えたらしい。
「遅かった」と舌打ちをする家臣。
同道していた者は、家臣の注意を聞かなかった時にどのような目に遭うか、いっぺんに理解し、固まってしまう。
一刻を争うとばかりに、家臣は脇差を抜くと、胴幕の一部を乱暴に切り取る。
風呂敷程度の大きさになった生地は、家臣が炭の近くをバタバタとはたき回ることで、たちまちほこりまみれになっていく。
「わしに続いて、幕で地面を叩きながら進んでいけ。くれぐれも、足を幕ではたいた場所より、前に出し過ぎるな。あの死体の二の舞ぞ」
おっかなびっくりながらも、胴幕を分解にかかる一同。神経質なくらいに足元をはたきながら、歩を進めていく。
その足の裏は草履越しだというのに、夏の砂浜を思わせる暑さだったとか。
ある程度歩くと、不意に熱さが引く地点を踏む。
「ここはもういいだろう。思っていたより、広範で早い。偵察組にも生地を渡しておくべきだったか」
つぶやく家臣は、もう、集合場所へ動き出している。
それから報告を聞き、分解された胴幕の一部を手に、ところどころへ散っていく一同。時間が経つにつれて、影もどんどん姿を消していき、改めて陽が当たるようになった地面は、件のような熱を帯びていく。
やがて空があかね色に染まり始め、もうじき陽も山の向こうへ消え失せようとした時。
ゴウ、と風が鳴った。町の道々を通り抜けていく熱風は、いまだ作業を続けている家臣たちの肌を、容赦なくひりつかせた。
「おそらく、これが一番の大物ぞ。
総員、風の吹きつけた方向へ向かえ。遅れれば、あの現場のごとき有様じゃ。ここ一帯が更地になりかねん」
急ぐ一同。そしてある垣根を曲がった時、先頭を切っていた者が「あっ」と悲鳴をあげて、尻もちをついた。
草履の先が焼け落ちている。それだけでなく足の指の数本が黒く焼けて、今にももげる寸前だった。
負傷者を下がらせ、家臣たちは道幅いっぱいに広がって、一斉に幕をはためかせる。ばたばたと布をはためかせ歩いていく一同。
五間(約9メートル)ほど進んだところ、道の真ん中にたけのこの頭らしきものがのぞいている。だが、その頭はほのかなだいだい色に染まっていた。
その頭が、生きているかのようにブルブル震える。
「風が来る。布を身体の前で広げて、防げ!」
家臣の下知。ほどなく、言葉通りに風が吹きつけた。
布越しに、無数の針でつつかれたかのような痛み。間に合わなかった者が数名おり、その者は布で覆われなかった部分の皮膚が、赤くなってベロリとむけ、血が滴り始める。
だが、家臣はそれを見やらず、新しい指示。
「あせらず足元を掃き清めながら、あの頭へ近づき、幕をかぶせていけ。それまでにあいつが震えたら、また同じように防ぐぞ」
じりじりと、間合いを詰めていく家臣たち。やがて真っ先に届いたひとりが布をかぶせると、地面の熱さは一挙に失われる。
「突っ込め」と家臣が走り出しながら叫ぶ。それからいくらもしないうちに、あの頭は無数の布の下敷きになっていた。
用心深く布を触っていく家臣が、やがて「皆の者、大義であった」と告げる。次々に腰砕けになっていく一同。
家臣は語る。
晴れが続くと、まれに影が見えなくなる時が訪れる。それは太陽が大地を孕ませるための準備が整ったということを指す。
あの頭は、太陽の子の一部だという。
「頭が出ただけで、この惨状なのだ。これよりももっと出た結果が、あの現場だ」
だから、間引く必要が出てくる。
影は太陽の子にとって、著しい毒。だから産まれようとする際に、人の作った影を消しにかかるが、神事に扱うものには力が及ばない。
それによってとどまる影を用い、太陽の子を防いだ、とのことだ。