第93話 魔王の目的
深々と体内に入り込んだ槍が、どくどくと脈打つ心臓に穴をあける。
とっくに神の目は見えなくなっており、かすれた視界の向こう側で、魔王がつまらなそうにこちらを見ていた。しかし、胸元に突き刺さった影は悲願がかなって、実に嬉しそうにているため、そのアンバランスさがひどく可笑しく思える。
目の前の女よりも大量に吐いた血が、音をたてて口の中を詰まらせる。
不思議と苦しさはない。痛みも麻痺してきた。それなら、死んでしまえるだろうか…。
激しい耳鳴りの中かすかに凄惨な笑い声が聞こえてくる。
失ったと思っていた感覚はギリギリのところで生きており、ミミズのように細い女の指の冷たさが、俺の血の温かさと混ざって頬に伝わる。
「攻略者!そんなものか、お前たちは?」
アルデリオンの怒号。
「魔女の力を見せてみろ!」
「たかが一階層の魔王だろ!」
次々と聞こえてくる大声は、耳鳴りを弾き飛ばして聞こえてくる。
…そうだ。俺はまだ見ていない。Endの頂上を。塔の終わりを。このゲームの始まりを。
黒い槍をつかみ引き抜く。先ほどよりも勢いよく血が流れていき、今にも倒れてしまいそうだ。
「でも…。倒れない。倒れちゃいけない。倒れていいはずがない。俺はまだEndを知らない!!」
力強く引き抜かれて影がうろたえる。反面、魔王は楽しそうに凶悪に笑った。
「キタ!キタキタキタキタキタキタキタキタキタ!!!!来るぞ!勇者が来る。覚醒した!クエイフ・ルートゥはさらに上へと登った!!誰かのための英雄なんかじゃない。私だけの、魔王だけの勇者だ!!!」
初恋をした乙女のように、狂った笑い声をあげてはしゃぎまわる。
〔新しいジョブを解放:勇者〕
ぽっかりと空いた穴が、ゆっくりとふさがっていく。
人を超えた超常的な回復力。
それは、人々や王や、大切な人から認められた程度ではなりえない称号。
勇者は、魔王に認められ、見初められ、それを打ち倒す為だけに成るジョブ。
救えなくていい。守れなくていい。そんな都合のいい英雄が存在しても、魔王を倒せない勇者は認められない。
「やっとその眼をしてくれたね、クエイフ。いい!じつにいい!フフフ、フハハハハ。ヒヒヒヒヒッッ!!勇者様にそんな風に見つめられては、つい、濡れてしまうじゃないか。」
言葉通り、下半身をくねらせながらびくびくと痙攣を続ける魔王に対し、影は「心底反吐が出る」と呟く。だが、そんな寸劇にかまうことすらなく、無表情に魔王を見ていた。
「お?かまえたね。いいねぇ。影剣シャドモルス。さて、やろうか。」
雑音をかき消すように、半剣を構える。
思い出すのは、カークスから教わった基本の型。
息を吐くと同時に魔王の懐へと、鋭い一撃が入る。Endの技でもなければ紛い物ですらない正真正銘の一撃は、瀬戸際で弾かれたものの、魔王の顔に焦りが見える。
自分でも驚くほどの速さ。
何より体が軽い。
魔王の想定よりもはやい速度に対して、慌てたようにバックステップを踏み、二人に一歩分の間があく。
しかし、その隙間を踏み込んでの二連撃。
魔王か影か、短く唸り声をあげるが、今度はこちらから引く。
何をするつもりか掴みかねている隙に、刺突。
肩口に深々と突き刺さった武器から、赤い液体がにじんで広がっていき、それを見たシャドモルスはさらに焦る。
「ここまでとは…。シャド、いったん引くぞ!」
「おいおい、散々追っかけまわしといて逃げるなよ。寂しいぜ?」
仕返しのように深く差込んだ剣をそのままに、腹への肘打ちを食らわせる。
前かがみになったところを追い詰めるよう足をかけて、転倒したところに蹴りを入れる。
「お前には散々辛酸舐めさせられたからな。わるいが容赦はしない。」
「ヒヒッ。なりたての勇者風情が、ばかげた妄言を口にするなよ。」
倒れこんだまま、力なく笑いつつも、こちらに対する不遜な態度には、紛れもないほどの殺意がにじんでいる。
ゆっくりと立ち上がり、こちらを睨みつけてくる。
「第2ラウンドと行こうじゃないか」
今度は向こうからの突進。
携える武器は真っ黒の刀で先ほどよりも影が濃い。
「そうだよな。Endプレイヤーはそうなるわな。」
白い短刀で刃を受け止め回し蹴り。
片腕で防がれたものの、その隙に刀をふるう。
刀身同士が交差し、大きな音をたてる。
「ああ、残念だよ、勇者サマ。」
影が刀を押さえているうちに、煙幕の魔法がフロア全体に広がる。
神の目をくらませるためか、微量であるが毒が混ぜられていた。
「さようなら、クエイフ。また遊ぼう。」
「まて!魔王!!!」
耳元で囁かれる。
とっさに振り返るもそこに魔王の姿はない。
否、魔王だけでなくアバドンやアスモデウス、果ては生み出されたモンスター達でさえいなくなっていた。
……To be continued?
肉を食われる感覚。
自分を噛む虫のおとが耳元で鳴り響く。
思わず怒鳴ってしまいたくなるほどの音。
だが、すでに喉も食われている。
「もう少し強ければ。もう少し時間があれば。勝てたかもしれないな。あるいは、師を間違えなければ。」
余裕綽々なアバドンの声。
再びイヴを眺めようとして振り返ると、口内に違和感を覚える。
「…?」
辛い物を食べたかのように、ひりひりとした感覚。それに対して、血が回っていないかのように口の中は冷たい。
首を傾げようとすると、勢い余って地面に倒れこんでしまう。
起き上がろうとしても力が入らず、心なしか呼吸もしにくい。
猛烈な腹痛と吐き気が体中を襲い、灼熱のように胸が熱くなる。
体の中を何かが動き回るように、ムズムズとした感覚が続くが、皮膚は風が通り抜けるのさえ感じられる。『死』とはまた別の感覚。奈落の王でも感じたことのない恐怖。
「あんあおえ?」
「…間に合った。やっと、毒が回ったみたい。」
倒れたまま顔のみを動かし、背後の少女に目を向ければ、足元に大量の虫が転がっており、その全てが自分の放ったものだとわかる。
「あいおいあ?」
「……言ったでしょ。毒だって。テトロドトキシンって知ってる?いわゆるフグ毒ってやつ。」
周りで死んでいるバッタ達も同じ毒にやられている。
自身の体内で毒を生成し皮膚から分泌することにより、虫達は次々に死んでいく。
では、なぜアバドンにまで毒が及ぶのか。
「…バッタを放った後、戻ってきたバッタを食べる癖があるよね。まるで、バッタたちの調子を確かめるみたいにさ!」
気付かれていた。見られていた。
自身のやめることの出来ない癖を。
知られていた。
「あが。おおいうあいああいおおお。」
そう言うと、先程までの嘔吐とは様子が違ったように、何かを吐き出す。
完全に体内のものを出し切ったのか、ピクリとも動かない。
しかし、吐瀉物の中で何かが蠢く。
一言でいうならオタマジャクシ。
手足がありもう少しで成体のカエルになるであろう奇妙な生き物だった。
「どく。からだ。まわる。」
踏み潰された子供のような話し方。
言葉遣いも戻っており、上手く体が適応していないようだった。
「…もう少し毒の回りが遅ければ、私の本物の皮膚まで食われてた。」
残りのエネルギー量的に、かなりギリギリの状況であった。しかし、その瀬戸際の勝負に彼女は勝ったのだ。
そんな死神から逃げるように、地面を這いつくばりながら、新たな寄生先となる死体を探す。
口の空いた死体に自信を放り込んで、喉を傷つけないように心臓まで入り込むと、死した体の支配権を奪う。
「やはり。毒はここまでは来ない。」
あくまでテトロドトキシンを仕込んだのは先程の死体であり、今目の前に立っているアバドン自身にはなんの拘束も無かった。
「…残念。クエイフだったら1番近いからなんて言うクソみたいな理由だけで、その死体を選ぶことはしなかったのにね。」
立ち上がった彼の背には、鋭い矢が刺さっている。
Endの壁際から放たれたそのトラップには、神経毒が付着している。
普段クエイフや魔王といったEndプレイヤー達は引っかかることないトラップ。
だからこそ、アバドンたちも知らなかった。
彼女だって気付けるはずが無かった。
それほどまでにこの塔は巧妙な罠を仕組んでいる。
「……クエイフは、どこにどんなトラップがあるか、どんな効果を持っているか、その探知範囲はどの程度か、そういうのを全部暗記してからじゃないと、塔に登らせてくれないんだよ。」
自分達が覚えるまで、何度でも、根気強く教えてくれる。
そんな彼に彼女は惹かれていた。
「…アンタの所の王様とは全然違うね」
「魔王様を。侮辱するな!」
豪腕に任せた掴みかかり。
しかし彼女は、無表情に無機質に冷静に、アバドンの顎を下から蹴り上げる。
逆立ちのまま回し蹴りを食らわせ、よろめいた所で首元へと登る。
「…どうせ死なないだろうけど。必ず殺すから必殺」
死神の鎌のように黒い短刀を構えると、クエイフ達の方から煙がはいよってくる。
あっという間に自分たちを取り囲むと、何も見えない視界の中、力任せにアバドンから引き離される。
「逃げるぞ、アバドン」
暗く低い声。
アバドンの影が大きく膨れ上がると、彼を飲み込みどこかへ攫っていく。
あまりの出来事に呆気に取られていると、段々と視界が晴れていき、煙が地面へと落ちていく。
次に見た景色の中には当然アバドンはおらず。
それどころか、魔王達は誰一人として残っていなかった。
奇妙なことに兵士達と戦っていたモンスターさえも連れて行って。
……To be continued?
「【魅了】」
耳元で囁かれた魔法は、洗脳魔法。
淫猥の悪魔である彼女にのみ許された絶対服従の魔法。
性別も性癖も感情も感傷も何もかもを否定する。
イヴが体を与えるようにもたれ掛かる。
誰かを愛していれば愛しているほど、その対象をアスモデウスへと変化させてしまうこの魔法は、今まで誰一人として愛すことなく、生まれて初めて出来た初恋というものを奪いさらった。
「フフ、もう少し幼い方が好みではあったけど、姉妹丼って言うのも乙なものよね。」
魔王に引けを取らないほど凄惨な笑み。
しかし、その整った顔立ちは決して崩れることが無い。
「それに、起きてる時はキャンキャン煩かったけど、寝ていれば案外可愛いものじゃない。」
魔法の効果により不安定になって、トロンとしている目をゆっくりと閉ざすと、完全に意識を失ったのか体の力が抜けていく。
一定のリズムで寝息を立てるイヴの顔をじっと見つめて、みだらな妄想を膨らませていると、かすかに赤く染った唇に手をかける。
「綺麗な色してるわね。ソソるわ〜」
「ありがとうございます。でも、触らないでください。」
パチリと目を開けて、至近距離での魔法。
半径数十cmの音の衝撃が2人の脳を激しく揺さぶる。
お互いの両耳からゆっくりと血が垂れていき、目は赤く充血している。
「あんで!なんでチャームが効いてないの!?」
「貴女が入る余地がないほど、愛しているからでは無いでしょうか?」
少し離れた所で剣を振るう少年を一瞥する。
きっと彼ならなんでもないような顔をしてこういうだろう。
「本気で愛してる。だからお前が入る余地はないね。」
何事に対しても本気になって、全力で向かうその姿勢は、自分がしてこなかった、出来なかった、させて貰えなかったことそのものだった。
羨ましい。そう思う反面憧れていた。
「だから、私は、ただ傷つく道を選ばない。」
帽子を脱ぎ捨て、ローブも落とす。
きっちりと引き締まった艶めかしい体つきが晒されるが、下世話な考えをはじき飛ばし、そういった視線から守るように呪いの痣が浮かび上がる。
痛々しく忌々しく呪われたその体は、またも杖を細剣に変化させるためであった。
「小娘風情が……!調子に乗るなよッ!!」
たった一度のぶつかり合いで、杖がへし折れてしまうのではないかと言うほどの魔力の塊。
先程までと戦闘斧とは比べ物にならないほど凝縮された魔力は、武器同士の打ち合いとは思えないほど鈍い音を立てる。
無闇に振るうだけで空間をぶち壊す斧に対して、その隙間を拭うように突き刺さる剣。
「爆裂細剣」
「極寒戦斧」
お互いの熱がぶつかり合い、大爆煙。
さらにその煙を飲み込むように真っ暗な霧が彼女たちを覆っていき、アスモデウスが影に飲まれて消える。
いつまでも晴れることない煙のなかで、魔女はたった1人で佇む。
この空間にあの女の魔力は無くなった。
それだけじゃない。同時に数種類の魔力が何かに持っていかれた。
まるで、太陽が沈み、影がかき消されるかのように。
……To be continued




