第80話 あまりにも小さな世界
〈End 4階層【神官執務室】〉
木製のテーブルの上で、狂博士は笑う。
「××××、随分つらそうだな?君の言う女神様は、さっさとくたばったようだし、大丈夫か?」
「黙れ…。お前はあの方をよく知っているはずだろう…。たった一度殺された程度で死ぬような御方ではない」
アザピースはよく知っていた。神官の言う女神の性格の悪さを。
1度叩き潰せば、こちらを100回は潰しにかかるほど粘着質でありながら、1度許しを乞えばあっさりと解放される。
それは、一切の興味を無くしたということであり、二度と、こちらが望もうとも彼女と関わることは出来ない。
そのはずなのだが、彼女が必要とすればいつの間にか利用されている。
正体がつかめず、奇々怪々、世界に愛されているが故に、世界を嫌い世界に嫌われた女。
禁忌に数えることすら禁じられている。
世界が葬り去りたい黒歴史。
「なぁ、あの女の取っておきのエピソードを教えてやるよ」
「はぁ?急にどうしたアザピース?仲良く雑談なんて雰囲気じゃないだろう」
「そう言うな、新しい子犬が造れたんで、気分がいいんだ。ちょっと付き合ってくれ」
神官が溜息をつきながら、紅茶を入れ始めたのを見ると、さらに薄気味悪い笑みを浮かべて、話を始める。
「私が始めてあの女に会った時、よりによってファクアリルトと間違えやがったんだよ。あまりにイラついたものだから怒鳴り散らすと、産まれたての子鹿のように震えた声で謝るんだ。だが、その時から彼女の知識と魔力は私を超えていた。いや、あの女の全盛期とも言うべきかな。自分一人だけの不老不死の力でやりたい放題してた頃だ。なのに、あの女は人畜無害の羊のフリをし続けた。それに気づかない程私も馬鹿じゃない。なんのためにそんなマネをしているのか尋ねたよ。そしたらなんて答えたと思う?」
目の前の男が首を傾げたのを見ると、紅茶を口に含んで彼は言った。
「『今、巷ではか弱い女の子が流行っているんです』だとよ。信じられるか?その気になりゃ、国の一つや二つ、いや、世界を転覆させられるような。それこそ怪物に近しいその女は、男に好かれるために弱者を演じ、実際その時は不老でも不死でもなければ、自分の脳髄を弄り回して、一般的な女性と同じ知識量まで抑えていたんだぞ。考えられない」
万が一、億が一、とにかく低い確率ではあるが元に戻せないというリスクもある。
それでも、普通の女の子としての生活を楽しんだ。
それは、研究者として新たな知識を身につけるためだけの行動であった。
「そうまでして男に求められたいと思うのは、意中の相手がいたということか?」
「フン、言わなくても分かるだろう?」
バカにするようにアザピースに対して、モテる男は辛いなと笑いかけると、お陰様で塔に閉じ込められてるのでは意味が無いと反論し、2人して苦笑いを浮かべる。
そして、これから5階層へと赴く誰かに向けて、虚空を仰ぎながら、1人は願うように、1人は嫌味な笑顔で、呟いた。
「「さて、世界の嫌われ者の因縁を断ち切るのは勇者か魔王か?」」
〈End 5階層【その小さな世界】〉
塔の外からの外観が、全く当てにならないような狭い空間、
今までのボスフロアがほんの少しばかり広がっただけの空間で、下からの階段と、5m程の廊下、形ばかりの扉を残すと、一切の障害物がない。
反対側にこの先の未来を閉ざすかのような、6階層への入口が悠然と居座っていた。
「何もいませんね……」
「…異常事態?」
「いや、まだわからん」
既に登場する敵や、その特徴については伝えてある。
ただ、どんな形で登場するのかは分からない。
前作以前は、最初からそこにボスがいたのだが…。
ゆっくりと扉を開けて中に入ると、まるで地雷のように足元に仕掛けられたスイッチを踏んでしまう。
「やられた。ここもダミーか…」
土で誤魔化しているが、下はテクノロジーの塊のようで、所狭しとスイッチ関連が仕掛けられていた。
「チッ!足を上げりゃボンってところか?どっちにしろ、今から戻ろうにも扉にもなにか仕掛けられてるんだろうな…」
まだ調べてはいないが、恐らく入る時は何も起きず、出る時に作動するようなブービートラップが仕掛けられていることだろう。
「2人とも、合図を出したら全力で飛べ」
彼女たちが頷き、俺が片足をあげる。
機械が反応するよりも早く地面を抉るかのように思い切り地雷を踏み抜き、足の裏が再びスイッチに触れた瞬間、合図を出すと同時に突風が吹き荒れ、後ろの2人の体が持ち上がり、飛んでいく。
「幸か不幸か、地雷じゃなさそうだが…。」
先程よりも大きな音でカチリという音が鳴るも、爆発の兆しは見えない。
「クエイフ、早かったな。私の想像よりずっと…」
「アザピース!なぜおまえがこの階層に来ている?お前の目的は何なんだ?」
俺の詰問に対して、嫌みな笑みを浮かべるばかりで答える様子はない。
「アイツはここに仕掛けたスイッチのことを知らないからな、そう怯えなくてもやってこないさ」
「そうかよ、いっそ来てくれれば、二人まとめて倒せるチャンスだったのにな」
俺の必死の挑発も、内側を見透かすように一蹴される。
「さて、虚勢を張るのも疲れるだろう?私も別件で忙しい。残念だがお前たちの開いては実験体に任せるとするかな」
アザピースが地面に魔力を流すと、それらが魔導具のなかを駆け巡り塔へと刺激を与える。
「アイツ等も想定外なんじゃないか?生まれるモンスターをコントロールされるなんて」
壁から這いずり出てくるのは、いつか見た小鬼獣。
「たかが、一階層と思わないほうがいい。作ったのは紛れもなく私だからな」
「そんなバカなこと考えるかよ、強さは十分しっているさ」
怪物の雄叫び、何もかもを打ち消すような咆哮に対して、思わず怯むとすぐさま凶暴な爪が襲い掛かる。間一髪躱すも、真横からの蹴撃に吹き飛ばされ、壁際へと追いつめられる。
構える暇もなく振りあげられた追撃の腕は、レイの糸により空中で固定され、一泊遅れて腕が壁を叩きつけた。
「悪い、助かった」
「…さすがに強すぎ、あのぐらいの太さの糸は通じないかも」
イヴのヒールを受けながら、油断ならない面持ちで怪物を見据える。
運よく、彼女の糸は気づかれていないようで、自分の腕が遅れた理由を模索するように見つめながら首をかしげていた。
完全回復すると同時に、ホブゴブリンに向けて一直線に走り出し、シンプルにぶん殴る。
その毛深い腕に阻まれながら回し蹴りを食らうも、今度はしゃがんで躱しながら、足をかける。
派手に転倒したホブゴブリンを追い詰めるかのような死神の攻撃を、またもや腕で受け止めると、傷口から飛ぶように血が噴き出した。
起き上がった巨躯が彼女の軽い体を吹き飛ばし、さらにそれを追いかける。
「させるかよ!」
背中にナイフを投げつけ、醜い顔がこちらに向く。
一階層よりも断然に強い。
そのことに対する恐怖を押さえつけながら、揺らめきながらこちらに疾駆するソイツを睨みつける。
通常のゴブリンは二足歩行である。それは、武器を携帯するためであり、体が小さく軽いからでもある。
それに対してホブゴブリンは、武器を持たない。
どうやら扱えない訳では無いようだが、持つまでもなくその腕力で事が済む。そして、その図体のでかさは2つの足で支えきれないようで、走る時は腕も使う。いや、前足と言うべきか?
全体重を乗せた体当たり、クロスさせた腕によって衝撃を殺すも、ガントレットが少しずつ歪められていく。
「マジか…。アントルの甲殻だぞ!?」
腹を蹴り飛ばして突き放し、空中で回し蹴りを食らわせる。
こめかみを狙った一撃は、肘によるカウンターにあい、相殺された。
「クエイフ!合図を出したら下がって!」
ポーションによって回復したらしいレイが、弾丸のようにこちらの援護をする。
「【肉糸の鉤爪】!」
指から放たれた糸が、ホブゴブリンの右肩へと刺さり、急速に二人の距離が縮まっていく。
バネ性の糸により、弾かれては近づいてを繰り返しながら、後ろで大きな魔法を編んでいるイヴから気を逸らさせているようだ。
俺たち二人の攻撃に対して、躱す或いはカウンターで的確に返しており、致命的な隙が作り出せない。
合図はまだかとレイの方に気を取られた一瞬で、待っていたと言わんばかりに研がれた爪が向かってくる。
「……虚技!【ハンドアロー】!!」
真横から腕が射出され、俺の身代わりとなり、ズタズタに切り裂かれた腕から大量の血が吹き出し、俺とホブゴブリンの間に壁ができる。
「…【血濡れの絵画】」
血壁の中に特に仄暗い赤色の血液が子文字の形をとって、それが合図となる。
「End流蹴撃術其の二【孔雀の舞】」
足元を蹴りつけ後ろへと飛ぶ。
レイの方も、トラップフックを使って後ろに下がっているようだ。
「風よ、吹き荒れろ
嵐よ、巻き起これ
【サイクロン】」
はるか後方から、魔法使いによる風が走り出す。
真正面から皮膚を破り筋肉を穿つような突風が、醜い体をぼろぼろに引き裂き大量の血があふれだす。
傷をいやそうと体内の魔石が活発に動き出し、徐々に止血されていく。
「【パラライズポーション】」
あれだけの傷を負っておきながら、自分の苦手とする神経麻痺性の毒の臭いは感づいてしまうようで、ほぼ反射的に回避行動をとる。
「…でも残念。【血濡れの罠】」
つい先ほど、複製された腕を切り裂かれた彼女は、周りに飛び散った赤い液体に魔力を残しており、最後の罠を仕掛ける。
肉の中に入り込むかのように刺さった赤い棘は、俺が外してしまった毒を吸い取り、注射器のようにホブゴブリンの体内へと吐き出す。
「アギュラァァァァァァァァァ!」
けたたましい咆哮、自分が最も苦手とする麻痺毒の液体に彼の全身が抵抗する。
もちろん、簡単に突破できるような薬の調合はしていない。
ゲーム的なスキルレベルは使用率が低いこともあって高くはないが、それを補えるほどの知識と過去の経験がある。
床に倒れこむことすら許されずに、棒立ちのまま筋肉が固定され、もがくように呼吸も激しくなる。
直接入った毒は、皮下筋肉を硬直させ岩のように固めてしまったようだ。
そして、そんな決定的な隙にこそ死神は、現れる。
「…イヴ姉。魔法飛ばして!」
「感覚よ、我が魔力を持って研ぎ澄まされよ【速度上昇】」
黒い刃が小鬼の首に通っていき赤い液体が噴き出す。
だが、血のカーテンの向こう側で狂科学者は背を向けて転移装置へと手を伸ばしていた。
「さらば、クエイフ。お前たちの相手は出来損ない達に任せるとするよ」
ホブゴブリンの死体にのしかかるように現れたのは、三頭戌。
真ん中の首筋に数字の『7』という刻印がされており、前の個体よりも暗い色をしている。
〔意思を確認【ジョブチェンジ〈トラッパー→モンク〉】〕
「End流殴打術其の一【金剛殴打】!!」
レイに噛み付こうとする頭のひとつを殴り飛ばし、彼女からヘイトを奪う。
回し蹴りにより真ん中の頭からの攻撃を逸らしたものの、左首からの咆哮が直撃する。
「…再生能力は無い。なら、一首でも殺せれば!」
叫び途中の喉を切り裂こうとナイフを構えるも、中央の首が大きく口を開き、彼女の体躯を飲み込もうとする。
「…私なんか食べても美味しくないよ」
陽炎のように消え去ると、代わりに残された一本の腕を喰らい、即座に神経毒が首まで巡る。
どうやら、中央の首と体そのものは繋がっていないようで、足元は自由に動き回り、あまつさえ他の2つの首は驚いたように吠えている。
「End流抜刀術其の一【一閃】」
壁に叩きつけられて、はるか後方から発走すると、刃を抜いた瞬間黒い刀身は伸びていき、小さな跳躍の後影色の刀と黒色の首とが交差して赤い臓物が見え隠れし始める。
「火よ、我が魔力を持って燃え盛れ
炎よ、我が魔力によって焦がし尽くせ
獄炎よ、主が魔力に応え焼き払え
【マグマファイア】」
赤く燃え盛る大きな炎は、小さな部屋全体を飲み込むのではないかという程に魔力が膨れ上がり、逃亡を試みる犬を捉えては塵も残さない。
だが、肉体が灰燼に帰そうとも骨までは溶かせない。
残った骨格がバラバラと崩れていくが、中心に不自然に浮いた魔石が周囲に魔力を撒き散らし、騎士のような体を成していく。
「クエイフ様!私一人にやらせてください」
「……次のは私がやりたい。ダメ?」
普段ならば当然却下するだろう。
しかし、6階層までの肩慣らしと考えれば。
今までとは全く変わった本気のEndへの布石とすれば、少し試してみてもいいだろう。
すっかり出来上がったスケルトンナイトが咆哮をあげる。
声帯のない骸骨の発声に反応してアザピースの魔導具が動きだし、天井から1本のサーベルが降り注ぐ。
感触を確かめ十分だと判断したのかイヴに向けて構えをとる。俺たちの会話が理解出来ているはずもないが、明確に彼女のみを敵と見ているようだ。
さて、魔法使いが剣士に対してどう戦うつもりなのか。
いつぞやのレイピアではまだまだ甘いとも思うが…。
先に仕掛けたのは勿論イヴ。
六発同時の魔法が放たれるも、サーベルを一振りするだけでかき消される。
次に展開した牽制の魔法三連発は地面に着弾し、煙幕が生まれ、即座に氷の槍が飛ばされ、煙を切り裂きながらスケルトンナイトへと向かっていくが、スカスカの肉体を通り抜けていく。
お返しだと言わんばかりの闇魔法を相殺し、一瞬閉ざされた視界の中骸骨は走り出す。
言うまでもないが、魔法使いが近距離に持ち込まれてしまえば、ほぼ勝ち目は無くなる。
「まぁ、それでくたばるほど腑抜けた鍛え方はしてないが」
スケルトンナイトの一撃目は防御魔法で防ぎ、次の攻撃は硬化魔法でダメージを減らす。
大きく振りかぶった三手目は魔力によるレイピアで弾き返す。至近距離で爆発魔法を唱え一時的な距離を取りつつ、バックステップで隙を伺う。
焦げた左手を握りしめながらスケルトンナイトを睨んでいるがあまりにも劣勢。
「ここからは、近距離同士の戦いです。魔法使いのプライドなんて檻の中にぶち込んでおきますよ。」
ローブを脱ぎ捨てハットも放り投げる。
白いタイトドレス(厳密には違うらしいが)は、ジーニアス商会で買った普通の服であり、魔力を助長させる効果は全くない。
先手を取ったのはスケルトンナイト。
サーベルを軸とした特攻を仕掛ける。
体重を乗せた攻撃を逸らすというのは難しい。
ならば躱すのかと言えば、イヴはそれも選ばない。
真正面から受け止め剣同士がぶつかり合う。
一呼吸後、2人は離れスケルトンナイトの三連撃が繰り出される。
彼女は、一、二撃目は逸らしたものの最後のサーベルが脇腹を掠るも致命傷は避けたようで反撃のようにレイピアを突き出した。
しかし、空振り。
肉体が朽ち果て臓物を失った白い体は隙間ばかりであり、そのくせ厳重に魔石は守られている。
故にレイピアは非常に相性が悪い。
「End流奥義【魔女の目】」
小さいとはいえボスフロアである世界中の魔力が全て彼女の目元に集い、レイピアのように色付く。
俺が使う神の目を見て、身体能力ではなく魔力によって発動させる、彼女のみに許された超絶的視野拡張。
「見えた!」
押しつぶされた空き缶のように腕を曲げると、正しく目にも止まらぬ速さで、スケルトンナイトの頚椎の真横を通り抜ける。
「…外した?」
「いや、違うな…。何かを断った…のか…?」
そして即座に見覚えのあるフォームでの回し蹴り。
逆立ちをしながらのそれは骸骨の下顎を砕き、体勢を整えると次に放った掌底は頭蓋骨を、次の回転しながらの肘鉄が頭部全体を破壊する。
「雀孔坂逆…。翡翠掌底…。緋鉄ノ鎌…」
「アイツ、俺の技を……。全部見て覚えたのか?」
「……イヴ姉、クエイフの事好きすぎでしょ」
冷やかすような彼女の視線を交わしながら、最後の一瞬を見届ける。
今まで避けていた攻撃を全て喰らっている。
まるで目が見えなくなったように
「視神経…か」
「…なるほど。目がないとはいえ、ものを見ているのは確か。魔力によって神経が繋がってたって事?」
なおも続く猛攻に、躱す術を持たない怪物は、耐えきれなくなったように魔石に亀裂がはいり、回復が完全に追いつかなくなった所で、彼女はこちらに笑みを向ける。
だが、その背後ではスケルトンナイトが最後の力を振り絞り、サーベルをイヴの背中に投げつけようとしていた。
「イヴ!」
「ああ、言い忘れていましたが、魔法使いはきちんと檻から出してあげましたよ?」
彼女が投げ捨てたはずのローブから魔力が溢れ出し、魔術式が完成する。
聖水よりも清められた液体が骸骨の腕を蒸発させ爆発する。
「私はもとより魔法使いです。貴方達のような騎士道なんてものは持ち合わせていませんが、多少のプライドはあるんですよ。まぁ、奴隷なのでいつでも捨てられますけど…」
そして、僅かに残った骸骨の欠片を叩き潰しながら、腐った体を持つソイツが現れた。
「…次は私の番。一瞬で片付ける」
既にゾンビとなっている巨体は向かってくるレイに対して咆哮を浴びせるが、直線の攻撃が彼女の当たるはずもなく、彼の背中に死神が忍び寄る。
「必ず殺すから…。ッ!!」
振りかざす必殺の一撃を躱すと再び吼える。
ビリビリと鼓膜を震わせる音にレイは不快感を顔に出す。
普段無表情が張り付いている彼女の顔が、心底面倒そうな表情を表に出すのは、なかなか面白いものではあるが、あまりそうも言ってられない。
華奢な体に棍棒が直撃し、ミキミキと音を立てる。
イヴやカークス達ならば骨が折れた音だと即座に判断し、この1VS1を中断させる所だが、レイにその心配は要らない。
事実、俺の予想通り、音の正体は彼女の虚技であり作られた音であった。
しかし、2つ誤算があった。
ひとつは壁に叩きつけられてしまったこと。
もうひとつは、相手が異形であり、五感のみに頼った人間とは違うということ。
彼女が虚技を発動させようと棍棒と壁の間で口を開く。
しかし、それをかき消すような獣の叫び声。
右手で叩きつけた棍棒はそのままで、押しつぶすように左手を叩きつけると、向こう側のレイが苦悶の表情を浮かべる。
今のところ何とか偽物の手で防御しているようだが、体力がなくなれば押しつぶされるだろう。
「クエイフ様…」
「わかってる。だが、ここを超えられないなら6階層は厳しいかもな…」
俺がためらっていると、たまらずイヴが魔法を使おうと手を構える。しかし、魔力は動かない。
「レ…イ…?」
ふと隣を見てみると、局所を糸でグルグル巻きにされた彼女の姿があった。
そんな風によそ見をしていると足に違和感を覚える。
「な…いつの間に!?」
一瞬の間に地面から糸が伸びており、足をからめとられていた。
ハッとしてレイのほうを見ると、こちらに向かって不敵な笑みを浮かべており、いまにも押しつぶれそうな格好のままこちらに何かを言っている。
『こいつに苦戦してる私の攻撃を感知できないなんて、二人とも上はやめておいたら?』
未だうなり声をあげる死体の顔に対して血をぶちまけ、偽物の血まみれになった右腕を頭上に掲げると、指先から何かが射出される。
「虚技【肉糸の鉤爪】」
天井に突き刺さった赤みを帯びた肌色の皮膚が、音をたてて縮んでいくとその場にいる誰もが上を見上げた。いや、見上げさせられた。
「……お馬鹿さん。言ったでしょ?私に騙されるぐらいなら、上はやめておきなって」
突如背後から響いた声に、ゾンビオークが振り返ると、すでに死神が構えていた。
しかし、さすがにボスを名乗るだけあって、回避行動を含めた咆哮をレイに浴びせる。
「……そんなに叫んでも、死神は消えないよ。一度死んであってるんだから顔見知りみたいなものでしょ?」
魔力の乗った声により体を崩れさせるが、中身はまるで空っぽであり、一度見破られた嘘の音を極限まで本物らしく声として、気配を感じないというなら、空虚な体を作り出し、その死神は、いつかの俺がしたように、ひどく嘘つきであった。
「クエイフ流暗殺術【嘘つきの死神】」
下から突如として現れた死神は振り返ったまま動けない首筋にゆっくりとナイフを与える。
上に逃げたと見せかけたのなら普通は下にいるはず、その予想を裏切って背後からの声、しかしそれも偽物。嘘に嘘を重ねるやり方は、俺がゲームでやっていたことそのものだった。
足りない技術をハッタリでごまかすやり方は、俺そのものだった。
「お疲れ、薬飲むか?」
「……ありがと、一応もらっておく。」
時間がかかりながら、ゆっくりと扉が開き始める。
5階層イッツ·ア·スモールワールド攻略未完了……To be End?
しかし、不穏な影は俺たちの背後に迫っていた。
一瞬だけ漏れ出した殺意に、いち早く感づいたのは俺だった。
「イヴ!!!守れぇぇ!」
俺の叫びに対して反射的に自身への防御魔法を唱える。無詠唱ながら、鉄壁となった彼女を確認する暇もなく、盾を呼び出しイヴの背後に立つ。
レイの方はギリギリで【カモフラージュ】が間に合ったようで、魔法の布をかぶっている。
「ほう、簡単に防がれるとは思わなかったな」
そこにいたのは、魔王を模したかのような影であった。
「なんだお前!?」
「ああ、一応初めましてになるのか。俺は破壊神様から肉体を授かり、魔王のもとに配属された、影と死を司る神、シャドモルスというものだ。」
いつか見た女が男装したかのようなシルエット、輪郭はぼやけて見えないが、かすかに光が漏れており、それが不気味な顔のようになっている。
「魔王は手を出すなと言っていたが、破壊神様のご意向としてはより多くの階層をぶっ壊したいんだよ。お前らに1、2、4、5階層と攻略されてるんでね。残りのすべては俺が頂く。」
……To be continued




