第66話 奴隷日記後編
神聖な空気の中、少女たちは絶望をその柔肌で感じていた。
「ああ、ここは…四階層……!!」
その荘厳な教会はボロボロな二人が、攻略はもちろん満足に戦うことも無事に帰れる保証もない、最悪の階層であった。さらに自分たちはひときわ大きな女神像の前に座り込んでおり、クエイフから聞いた話によれば、そこはボスの待ち受ける部屋の一歩手前で、逃げるとしても、三階層に続く階段ははるか遠い一本の通路をたどっていかなくてはならない。
「…イヴ姉、転移は?」
「この首輪のせいで使えないみたい」
魔封じの首輪は敵であるアザピースによって作られたものであり、それをつけている以上戦闘状態と判断されるようで、塔は二人を逃がしてはくれない。
「…おそらくあいつのことだから、壊そうとしたら、ボン!だと思うよ」
ゲームをやったことがないため、アザピースについて知っていることが少ない二人だが、その程度の予防線は貼っているだろうと推測する。
「ここは隠れられるような場所がほとんど無いからとどまっていたら奴に見つかる。でも三階層まで行ければ、アザピースに見つかることはまずないわ」
複雑怪奇な地下世界を思い出し、あの歪な地形で見つかることは無いだろうと考える。
事実、あの階層は良くないものが隠れるにはうってつけの階層であった。
しかし、戦えない彼女を連れてこの塔を脱出できる可能性はごくわずかであり、隠密行動まで求められるとなると、成功する確率は0.0001%にも満たない。
そんな風に話をしていると生きた命にあてられたのか死体が寄ってくる。
たかが二体のゾンビ、三人の時であれば5分と掛からない戦闘であるが、パーティの要であるクエイフが不在であり、イヴは魔法が使えないという状況、さらにレイのチートはエネルギーを節約する必要があるため、そこによりかかることすらできない。
「…イヴ姉、私から離れないでね」
「ごめんね、レイ」
イヴを背に彼女は死屍をにらみつけるが、二体のゾンビは自分たちが圧倒的に優位であるという自覚があるのか、ゆっくりと近づいて彼女たちを追い詰める。
無造作にはなったナイフで、ゾンビを牽制し距離を取る。これ以上後ろに下がることは出来ないことを考えると、かなりマズい状況だった。
「…イヴ姉、糸を出したらすぐに向こうへ走って」
「分かったわ。」
レイの合図で右腕から複数の糸が放射される。その1本1本が巧妙に絡まり合い天空への足場が生み出された。
イヴの足元をすくいあげるように糸が伸ばされ、彼女は妹の指示通り3階層へ向けて走り出す。
宙吊りになったレイはイヴの邪魔をさせまいとゾンビに向かって突撃する。彼女が足を踏み出す度に糸が解けてはまた絡まりレイを逆さのまま固定する。
「伸びろ!」
指の先端を短刀で斬り血を滴らせると、その黒い刀身は自分が誰の肉体であるかを思い出したかのように、その姿を変える。自分の肉体の延長上となった刃をその腐った首へ突き立てるが、死体にとってそれは致命傷にはならなかった。
「クエイフ、借りる!End流掌底術、翡翠掌底」
憧憬の技を模倣しゾンビの下顎に叩きつける。グラグラの揺れる体を他所に、もう一体のゾンビはレイの腕へと噛み付いた。だが、すぐさまイヴにより真っ赤な瓶が投げつけられ、その中身の魔力が放出する。
「私の血は、1番美味しくないと思うよ!なんせ、結晶みたいな形してるからね!!」
背中から燃え上がるゾンビの口の端からはレイの血が溢れており、それがぽたぽたと垂れる度に形を変え槍へと至る。
とうとう串刺しになったゾンビは、さすがに回復しきれなくなったのか、その腐った肉体がぼろぼろと崩れていく。
「ギジャァァ!!!」
一難去ったかと思えば、喉が潰れているかのような叫び声が教会内に響く。
「ゴブリンゾンビ……!」
その正体は、まだ彼女達には交戦経験がなく、存在のみしか知らされていない、出会いたくない敵であった。
「虚技【血管束縛】」
空中に張られた糸から、複数の血管が降りてきてはそいつを拘束する。だが、そんなものに捕らえられた所で動じることではないのか、余裕綽々で赤い糸を引きちぎる。
「だから、切るなって言ってるのに!」
ゴブリンゾンビの抵抗に耐えきれずに引きちぎれていき、亀裂の入った血管から赤い液体が吹き出してくる。
霧のように広がった血液が結晶へと変化し、ゴブリンゾンビに襲いかかる。と思われたが、
「グガァァァァ!!!」
腐った喉による咆哮は、自分の血を操作するレイを怯ませ、援護の為に瓶を構えていたイヴをたじろがせる。
雄叫びを上げるとすぐさまゴブリンゾンビは紅髪の少女へと向かっていき、その小さな体に薄汚い爪で傷を付けた。
痛みに歪んだ顔に対し、愉悦の表情を浮かべると追撃の回し蹴りを喰らわせる。咄嗟に短刀で防御するも、普段ならかわせる攻撃に対して、我が身を守る術を身につけていない彼女は、一瞬踏みとどまっては吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられる寸前に糸を使って受け身を取るが、その様子を見ていたゴブリンゾンビは、レイへ向かって突撃する。だが、そこに鈍足魔法の込められた魔法瓶が投げかけられた。急激に速度を失い彼女到達するまでに無駄な時間を掛けていると、死神が起き上がる。
「散々、やってくれたな!全部纏めて一撃で返してあげる。【加速する死神】」
糸を背にし、少女の体はゴム質に変化したそれに跳ね返されるた。ロケットのように一直線に走り抜ける死神は、ゴブリンゾンビの心臓部分─魔石─に向かって必殺の一撃を放つ。
呆気なく砕けた灰色のそれは、失った魔力を取り戻そうとゴブリンゾンビの肉体から吸い上げる。やがて限界を迎えたのかカラカラに乾いたゴブリンゾンビの死体と、バラバラに砕けた魔石のみが残されていた。
「イヴ姉、逃げるよ!」
次の敵が来る前に、彼女たちは天空に張った糸を走り続ける。だが、その下にはゾンビはもちろん、スケルトンやアントル、死体に寄生したプラントガールが待ち受けていた。
「下は見ちゃダメ!とにかく走って」
こうしている今にも、アザピースはイヴというモルモットを追ってきている。そう考えると、足元でうごめくモンスターなど何ら怖くはなかった。
だが、そんな恐怖心にかまうことなくモンスターは二人の邪魔をする。
天空に張られた肉の糸に緑のツタが忍び寄る。ゾンビの肩から伸ばされた植物はレイの足場をぐらぐらと揺らし体勢を崩させ、ついに足元へとつかみかかる。それを断ち切ろうと短刀を取り出すが、すぐ下のゾンビの膂力によって蔓が引かれ行動を阻害され糸から落ちてしまう。
「End流蹴撃術孔雀落石!」
だが、落ちる瞬間空中で態勢を整えてクエイフの技を思い出す。見様見真似の踵落としはゾンビの脳天を砕き、プラントガールの拘束を弱める。
「…必ず殺すから必殺【不条理な一撃】!ふぅ、やっとまともに使えた」
地面に激突した彼女は、ふらふらと倒れこんでくるゾンビとそこに寄生する植物に対して、必殺の一撃を決める。プラントガールの中心、魔石を狙ったその攻撃はゾンビのうなじを抉り、蔦を切り裂きながらそこへと到達し、その魔力を失わせた。すぐさま上へと糸を伸ばし元の足場へと戻るとイヴから渡された回復用のポーションを飲み干す。
「まだまだ先は長いけど、あいつは二階層から来るんだから、ぎりぎり間に合う…?」
「そうね、でも、あと一回か二回戦ったら三階層まで行けても隠れる前に見つかると思うわ」
一本だけ残っていた速度上昇の魔法瓶を糸で圧迫し二人の間で割る。効果は少し下がってしまったが、これで二人とも敏捷性が上昇した。
糸の回廊を走り抜けプラントガールに火炎の魔法瓶を投げつける。これだけ魔法瓶に余裕があるのも、クエイフのおかげだ。彼はゲーム内で突然魔法が使えなくなることがしばしばあるため、大量の魔法瓶を備蓄するように二人に厳命していたのだ。もちろん、その分レイに負担がかかるのでいくつかは各自のインベントリやポーチなどに入れてある。
「あと目測で350m!もう少し!!」
二人は知らないが、この長い中央の廊下(身廊というのが正式名称)はゲームの設定上1㎞ほどの長さであり、すでに半分を過ぎていた。
「レイ、下!!」
当たり前だが、なかなか降りてくることのない二人にしびれを切らしたのか、一体のスケルトンが手に持っているサーベルを無造作に放り投げてくる。その様子を見ていた周りのモンスターも彼女たちを落とそうと辺りのものを上へと向けて投げつける。
「しまった!!」
とうとう、イヴの足場の先をサーベルが切断し、彼女の足の踏み場がなくなる。当然落下してしまうがギリギリのところで、レイの左腕から生えた糸が彼女を捕縛する。
「イヴ姉は…いや、イヴは俺が守る。俺は、クエイフだ!」
彼の口調も真似し始めたレイは、女性の細腕では考えられないほど勢いをつけて、イヴを持ち上げる。
「イヴ、大丈夫。今の俺はクエイフだから、もう間違えない」
そのままお姫様抱っこで、糸の上を走り抜ける。下からの攻撃も即座に糸の隙間をうめて補強することで、完全に防いでいく。
「レイ!あなたはあなたよ。クエイフ様にならなくたって大丈夫、私はお姉ちゃんなのよ」
「そうやって何でもかんでも我慢しないでよ!イヴ姉は私のお姉ちゃんなんでしょ?なら、たった一人の妹にぐらいわがままを言ってよ!ピアスだって、洋服だって、なんだって貸してあげるからさぁ!!それにたまには私がお姉ちゃんになるから、もっと頼ってよ!無神経であんぽんたんで気の利かないクエイフなんかより、もっとずっとお姉ちゃんのこと知ってるもん!だから、私を頼って!」
走りながらの独白にイヴは驚いた表情を浮かべ、涙をこぼす。
「ありがとう、レイ。…たすけて……。私、アザピースにつかまりたくない…。もう二度とあんな思いはしたくない…。この首輪も、怖くてたまらないの…。だから…
「うん、あとはお姉ちゃんに任せなさい。」
妹のセリフを遮り、安心させるように姉が言う。
残りは100mもない。走り続けて足はびりびりと痛む。短刀を握りイヴを抱きしめる腕はゆっくりと力を失っていく。心臓に血液が回らず、肺の酸素も空っぽだ。
それでも、彼女は走り続ける。自分を憧憬だと言い聞かせながら、その糸の上を。
残り10mもない場所で男の声が響く。まるでモルモットが逃げ出したかのように焦った声でイヴの名前を叫んでいた。
ああ、ここで終わりか…また奴隷に戻るのか
そんな風にイヴがあきらめたような顔をすると、レイは小さく微笑む。
「イヴ、私が…俺があいつの気を引くからとにかく走り続けて、大丈夫クエイフなら必ず戻ってくるはずでしょ?だから私を信じて!」
「…お姉ちゃん、必ず戻ってきてね?絶対に…」
「どこだァァァ!!!」
恐怖的な怒りに満ちた怒鳴り声が二人の鼓膜を震わせる。
「イヴは渡さない!!!私の妹に触るなぁぁ!!!」
男の姿が見えると同時にはるか上空から心臓めがけて真っ黒の短刀を振り下ろす。
「逃げてイヴ!!早く!」
男の脇をすり抜けるようにイヴが走り出す。獲物を見つけたかのように彼女を目で追うが、レイの短刀がその邪魔をする。
「レイ!!無事でよかった。End流抱擁術!!!」
だが、そこにいたのは白衣姿のマッドサイエンティストではなく、あれほどまでに願い続けていたクエイフであった。驚きのあまり空中で短刀を取り落としたレイは、そのままの体勢でクエイフに抱き留められる。
イヴもその姿を見てクエイフの方へ走り寄り、二人とも抱きしめられる。
「よく頑張ったなレイ、お前は立派に守ったよ。怖かったろイヴ、お前もよく耐えたな。」
ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、クエイフの胸元に顔をうずめる。
そんな二人を慰めながら、手の中に隠した銀色のカギをイヴの首輪に近づけて解錠する。
ガチャリと音をたてて外れた首輪は地面に落ちてそのまま放置され、二人が落ち着きを取り戻し塔内転移で帰った後、遅れてきたアザピースがそれを回収する。
「なくしたと思っていた鍵は奴ら持っていたか…。だが次は3人とも捕らえてやる。××××の願う女神の復活、そしてこの塔の完全崩壊、魔王と称してこの塔を調べ回る女の排除、その全てを同時に行ってこそ、奴への復讐となる。待っていろよ、『ファクアリルト』」
……To be continued




