猫も拾う 【1】
主要登場人物
●近藤修一……男。中学二年生。
近藤小百合の弟で非科学的なものがよく見える。
●近藤小百合……女。高校二年生。
近藤修一の姉で非科学的なものがやや見える。
生きていないものに大体勝てる。
●神宮かすみ……女。高校二年生。
近藤姉弟の幼馴染で非科学的なものが見えない。
生きているものに大体勝てる。
一般社会に接する国民の七割は月曜日の朝を気だるげに迎える。
例に漏れず修一も、眠たそうな目をして欠伸をかみ殺しながら
河川敷をゆらゆらと歩いていた。
目指す中学校までは、まだ暫くある。
「ほら、あれ」
「えー、かわいい」
同じ目的地に向かう学生達から、
遠巻きに送られる好奇の視線を感じる。
修一は最近慣れてしまったそれを、諦めの気持ちで無視して
わざと一度大きな欠伸をした。
あ、本体があくびした。したねと周囲がざわめく。
流石にうんざりして、修一の目が座った。
そんな渦中の腫物の背中をぽんと、
物おじせずに軽快に叩く勇者が居た。
「よう、修一」
「あ、おはよう」
修一は高橋を見て、少し救われたような顔をして息を吐いた。
立ち止まる二人の方を興味深そうに観察しながら、
生徒達が追い越していく。
高橋はそんな外野をぐるりと見渡してから、
修一の数歩分後ろでしゃなりと座る、
衆目を集める原因を見下ろした。
「また連れて来たのかそいつ」
「連れて来たんじゃなくて、ついて来たんだよ」
それは黒猫だった。
尻尾が長く、大柄ではないが子猫でもない。
修一が足を止めると、黒猫も足を止め、
修一が歩き出すと一定の距離を保って、歩きだす。
ここ数日、このファンシーな光景は中学校の中で話題になっていて、
今朝に至ってはわざわざこれを見るために、
登校ルートを変えた酔狂な学生もいるくらいだった。
「お前、最近噂の中で、凄いことになってんぞ。
近藤は北高不良チーム期待の新人にして、
遠い町から修行に来た魔法使いだって」
「僕自身にはひとつも責任無いと思うんだけど」
肩書きの組み合わせが滅茶苦茶過ぎて、
カレーにあんこを乗せたような座りの悪さを感じる。
修一はげんなりとして、火種の猫を見下ろした。
「あの。すみませんけど、もうついて来ないでもらえますか」
修一ができるだけ穏便にと、やわらかく猫に語りかけた。
それなのに、遠巻きに見ていた名も知らぬ女子が
「やだーつめたーい」「ジジちゃん可哀想」などと好き勝手言っている。
この猫はおそらくジジではないし、修一に至っては断じてキキではない。
肩を落とす修一を、黒猫はただ金色の瞳でじっと見上げている。
慰めるように高橋が、修一の肩に手を置いた。
「猫に頼んだってどうしようもないだろ」
「いや、それはそうなんだけど」
高橋に詳しく話すことは出来ないが、
修一には修一なりの勝算があっての行動だった。
実は普通にはありえない特徴がこの猫にはあって、
それは修一にしか見ることが出来ないのだった。
こうして皆に存在を認識されている以上、
生きて肉体を持った猫ではあるのだろうが、
なんらかの怪異がその中に住み着いていることは間違いない。
「多分、僕の言ってること、分かってると思うんだけどなあ」
「猫が? 大丈夫かよ修一」
ちなみに修一だけに見えるその猫の特徴とは、銀縁のメガネだった。
レンズの丸いおしゃれなメガネを、黒猫は器用にかけている。
ただ、本来耳に乗せるべきツルが、
猫の身体的構造ゆえに耳の下に張り付いてしまっていた。
もしかして宙に浮いてるのかなと、
はじめは修一もそのシステムに興味を抱いたが
今となってはどうでもよかった。
「もういいよ。行こう」
修一がぷいと顔をそむけて歩き出すと
黒猫も腰を上げて歩き出す。
高橋はその姿に、
年に一度ニュースになるカルガモの親子の映像を
重ね合わせていた。
「でも学校の中には入ってこないんだよな」
高橋が感心して、今しがた通過した校門を振り返った。
黒猫はシーサーの片割れように門柱の上に座って、
修一を見つめている。
通りかかる生徒たちの何人かが、
チッチッと口を鳴らしたり口笛を吹いたりするが
一向に意に介さない。
手を伸ばされると身をひるがえして、
逆の門柱に走り飛び乗り体を丸めた。
「あれだな、ハチ公だ」
「飼ってないけどね」
背の低い女子が振りたくる草を完全に黙殺する黒猫を見て
修一はため息を吐くと背を向けた。
猫がついて来ようと来るまいと、
中学生の日常は時計の針に追われて始まり進む。
「お、鳴った」
「行こう」
予鈴に背中を押されるように、二人は校舎へ駆け出した。
つつがなく午前のプログラムを終え、
昼休みになると、和やかな空気が教室を包む。
修一が机の上に市販のパンとおにぎりを広げるのを見て、
高橋は訊いた。
「あれ、修一の姉ちゃん達まだ帰ってきてないの」
「うん、今日までね。なんか用事が増えたって」
二人は先週の中頃から、
かすみのバイクを長らく飛ばして、それぞれ里帰りをしていた。
出発した水曜日が高校の創立記念日だったので、
欠席は木曜日と金曜日の二日間ですむはずだった。
昨日の夜、実家からの連絡で帰省の延長が告げられた。
『修ちゃん。
私もかすみも居ないんだから、変なのに近づいちゃ駄目だよ』
「うん、分かってる。なんかいつもと言ってること逆だね」
『心配だなあ。やっぱり先にかすみだけ帰そうかなあ』
「大丈夫だよ、たった一日伸びたくらい。
姉さんこそ、家の人たちに迷惑かけないようにね」
『早くそっちに戻りたいよ。なんかここに居ると息詰まっちゃう』
「そんなこと言って。もし、父さんが聞いたら可哀想だよ」
『うん。今、横で超泣いてる』
「ええ!? 目の前で言っちゃったの? ちょっと代わって」
その後、鼻を啜る父親を電話越しに慰めて、修一は受話器を置いた。
疲労感を体外に溶かし出すイメージで、自然と長い息が漏れる。
時計を見れば、時刻はもう二十時半を過ぎていた。
修一がカーテンを閉めようとリビングの窓に近づくと、
塀の上に蹲る黒い影がうっすらと見えた。
闇夜に溶け込む黒猫の、ここ数日見慣れた鈍い金色に輝く瞳が
銀縁眼鏡越しに修一を見ていた。
その話を聞いて、高橋はウィンナーをつまんだ箸で窓を指した。
「え、あの猫、家にも来てんのかよ」
「うん」
「ねちっこいな。
なんか恨みかうような事したんじゃないの。
うっかり間違えてあいつの猫缶食べたとかさ」
「それ、うっかりで説明できる限界超えてるよね」
修一はおにぎりの包装を剥きつつ、
なんとなくツナマヨネーズを選んだ事を後悔していた。
猫缶の話をしながら食べたい具ではない。
「でも、そういえば修一が魔法使いの修行始めたのって
弁当持ってこなかった日からだったよな」
「修行は始めてないけど、そうだよ」
「ふーん。じゃあ丁度入れ替わりだったんだな。
猫と姉ちゃん達」
「うん。そうだね」
修一にはそれが偶然だと思えなかった。
やはりあの猫は、何らかの思惑を抱いて
自分に付きまとっている気がする。
校門の周りでは、弁当のおかずをつかって
黒猫を陥落しようとする生徒達が集まっているのが見えるが、
どうやらうまくいかない様子だった。
誰の施しも受けようとしないその猫と
修一はなんとなく目が合ったような気がした。