晴れときどき人 【3】 終
「幹部と総長のお迎え付きって、
僕そろそろ北高軍団期待の新人扱いされちゃうよ」
その時、古き良き商店街を三人並んで歩きながら、
修一は姉と幼馴染の悪行に対して、非難の声を上げ続けていた。
この心臓に毛の生えた二頭の馬に対して念仏だとしても
平和な中学校生活を願えば、唱えずにはいられなかった。
「私、幹部じゃないよ」
「アタシも総長じゃないぞ」
「僕だって期待の新人じゃないんだよ」
目的の喫茶店が迫ってきた。
向かいで客の呼び込みをしている八百屋の声につられて視線を向けて
そこで修一は、違和感のある光景に思わず絶句した。
「だいたい姉さんのあのマス……」
二階建ての八百屋の屋根の向こうを女の人が歩いていた。
屋根の上をではない。屋根の向こうを歩いていた。
つばの広くて丸い、白い帽子に青い花飾りをつけて、
それを片手で押さえながらスタスタと歩み去っていく。
黒くて長い髪が生糸のように流れ、建物に邪魔されて下半身は見えないが
おそらく白いワンピースを着ていて、それがよく似合っていた。
「? どしたの修ちゃん」
視界に小百合の顔が、ずいっと大きくフレームインしてきた。
空飛ぶ帽子女の事を教えると、また姉がハゼのように食いつくと思って
修一は咄嗟に隠した。
「え、何が?」
「今、何か言いかけなかった?」
「あ、うん。いいんだ、店ついちゃったから」
その時、顔なじみの八百屋がこちらに気づいて、ひときわ大きな声を出した。
修一が、まずいと思った時、すでに小百合はそちらを見ていた。
屋根の向こう、女の背中はまだ、視界の中にいる。
だが、姉は何事もなかったように八百屋の親父に手を振って、
また修一の方を向いた。
(気づいてない?)
修一はできるだけ自然な動作を心がけて、
八百屋に頭を下げて喫茶店に体を向けた。
「兎に角、二人とももうやめてよね、ああいうの」
「うん。かすみはやると思うけど、私はもうしないからね! 多分ね!」
(姉さんが気づかなかった……いや、見えなかった?)
「たのもう!」
道場破りの作法で喫茶店に乗り込む姉の背中を見ながら、
修一は我知らず、右の耳たぶを揉み解していた。
「と、いうことがあったんだ」
「ひどい! 大変な裏切りだわ!」
その夜、修一の部屋で弟の告白を受け、小百合は大いに憤っていた。
許可もなくベッドの上にうつぶせで徹底抗議の構えをとり、
枕に顔を埋めてふごふご文句を垂れている。
「修ちゃん。近藤家においてほうれんそうは絶対義務なのよ」
「ほうれんそう?」
「そう、報告・連絡・掃除のことよ」
「確かに、掃除は大事だわ」
クッションにあぐらをかいたかすみが、
耳の穴を小指でほじりながら適当に同意した。
「でも修一。なんで今になって小百合に話したんだよ。
こいつがこうなるのは分かってただろ」
「そうよ、私はかなり面倒くさいからね」
「うん。ほら、姉さん飛び降り自殺の事気にしてたじゃない」
がばっと小百合が顔を上げた。
「そう! 超気になる! あれ絶対、非科学的事件だわ!」
「ええ? 店長も言ってたけどヤバイ宗教的なアレじゃねえの?」
「いや、実は僕も姉さんの意見に賛成なんだ」
ちょっと待っててねと言いながら、修一は学習机の上にノートを取り出すと
まだ白いページを探してぱらぱらとめくり始めた。
「今回、自殺したって言われてる人たちってさ、
みんな四階から落ちてるでしょう」
「だな」
「でも、専門家の人も言ってたけど、
やっぱり皆が皆、四階を選ぶ意味って無いみたいなんだよね。
むしろ損っていうか、そういう人たちが話をあわせて階数を選ぶにしても
もうちょっと高い所にすると思うんだ」
「うんうん」
すっかり機嫌を直した小百合が、
ベッドに腰かけて散歩を待つ犬のように体を揺らしている。
修一はブリキのペン立てからシャーペンを抜いた。
「そこで、ちょっと話が戻るんだけど、あの帽子女って、丁度頭の高さが」
「四階くらいだったのか?」
「うん。比べてないからはっきりとは言えないけど。
だから、僕もあのニュースを見てて、彼女の事思い出したんだ」
「帽子女がやったのかもしれないって?」
カチカチとシャーペンを鳴らして、修一は見開いたノートの真中を
手のひらの手首に近い場所で丁寧に抑える。
「でもね、あの帽子女って空を歩いてるように見えたから、
やっぱり関係ないかって思ったんだ。
だって飛べるなら、四階だけ狙う必要なんてないんだよね」
「そういえばそうだな」
「ただ、もう一つ気になることがあって、
姉さんがあの時、帽子女に気づかなかったでしょう」
「うん、気づかなかったっていうか見えなかった」
「姉さんってさ」
ノートをひとまずそのままに、ペンをくるくる回しながら修一が振り向くと
小百合は少し首を傾げた。
「詳しいことは分からないけど、
多分霊の『本質』みたいなのが見えてないんじゃないかなって。
だから僕からすれば変な形してても、普通の人間に見えちゃうし
隠そうとしてない綺麗な部分しか見えてないんだ」
「うん、そうかも」
「姉さんも、飛んでる人は何回か見たことあるじゃない。
僕には、風船みたいに膨らんだ頭で浮いてるように見えたりするんだけど」
「うん、私には普通の男の人が浮いてるように見えるよね」
「お前、中途半端だなあ」
かすみが制服のままかいたあぐらの足を組み直したので、
修一は出来るだけ違和感のない動作で机に体を戻した。
「『帽子女の顔の位置が四階くらいの高さだった』
そして『帽子女を姉さんが見ることができなかった』
それってつまり」
「つまり?」
「帽子女は本当は飛んでなかったんじゃないかなって」
首をかしげるかすみの方を見ずに、さらさらとノートにペンを走らせる。
「それで、たまたま手の届く高さが四階だったとしたらさ。
手ごろな高さの手ごろな窓際に居る人の頭を掴んで、
ずるって引っ張り出すとするじゃない。
そしたらテレビの人が言ってたように、頭から落ちると思うんだよね」
「なるほどー、なるほどー」
この部屋で楽しそうなのは、もう小百合だけだった。
かすみの表情から、感情の色が薄れていく。
「おい、それじゃあ、帽子女が本当は飛んでなかったってのは」
「うん」
修一がシャーペンの芯をひっこめると、振り向いてノートを二人に差し出した。
「帽子女って、こんな形してたんじゃないかな」
そこには、花飾りをつけた帽子をかぶる女性が、記号的に描かれていたが、
頭や四肢に比べると、胴だけが異常に長かった。
「でもこれって、あくまでコレが犯人だとしたらの話なんだ。
ただ、そうすれば、色々と説明がつくと思うんだよね」
かすみが横目でベッドの上に視線を送る。
小百合は、普段より明るく、深く、顔を綻ばせていた。
連続飛び降り記録は、ぴたりと十人でストップすることになった。
あの夜から二日後、かすみは小百合と共に、
修一が通う中学校を目指して歩いていた。
「修一怒ってただろ」
「うん。『帽子と青い花のこと教えるんじゃなかった』って。
ぶすっとしてて、超かわいかった」
「そりゃ、連れていくって約束してたもんなあ」
「だって、学校サボらせるわけにはいかないじゃない」
「アタシたちはいいのかよ」
派手な事件が起こった場合、必ずSNSに実況者が現れる。
ご丁寧に写真付きでさらされた住所に、かすみのバイクで急行すれば
帽子女は集まる野次馬の中心、血だまりの上で、
喝采を浴びる舞台女優のごとく、嬉しそうに両手を広げて立っていた。
修一の予想通り、小百合にはスタイルのいい普通の女性に見えた。
「でも、かすみ。今回は随分積極的に協力してくれたよね」
「ああん?」
かすみは小百合を面倒くさそうに見下ろして、再び視線を前に戻した。
数十メートル先の中学校の校門が、
お勤めから解放され、明るい顔をした生徒たちを吐き出している。
「だってほら、かすみって結構私のこと止めるじゃない」
「お前はいつも、火の中の栗まで、無駄に拾いすぎなんだよ」
「そんなこと言ったって、私って、結構心配性なんだもん」
校門の一歩前にたどり着くと
小百合がおもむろに大きなマスクをつけて、今度はサングラスまでかけ始めた。
かすみが流石にそれはヤバイだろと呟いて、修一が居る校舎の窓を見上げた。
「ちゃんと選んで拾えよ。必要なやつだけ選んで」
しばらくそうしていると、修一が四階の窓から、こちらに気づくのが見えた。
晴れときどき人 終
これにて、晴れときどき人編は終了になります。
ここまでお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございました。
もし、顔を合わせられるのなら感謝のディープな接吻をプレゼントしたかったのですが
命拾いしたな。
ありがとうございました。
エゾバフンウニ