晴れときどき人 【1】
独立したエピソードになりますが、
前作「ブランコを揺らす手」と同じ設定で書いています。
「明日の進路相談でちょっと言ってみようかと思うんだけどさ。
俺、どっちかっていうと、
サラリーマンなんかより指導者向きだと思うんだよな」
「うん。高橋はリーダーシップあるからね」
「将来、万が一、俺が国を建てたとしたら、
修一の家には優先的に良い牛肉を配給してやるからな」
「え、指導者って王様の話なの?」
閑散とした放課後の教室、窓際の席。
ぼんやりとした目の近藤修一は、高橋省吾と今日もまた、
貴重な青春の一ページを破いてドブに捨てていた。
「でもさ、さぞ難しいんだろうな。国を治めるっていうのは」
「そう思うよ」
高橋はいずれ登りつめるかもしれない頂へと、深刻な表情で思いを馳せる。
「まず、税金ってどんくらい取ればいいんだ。一人ごひゃくえ」
「近藤君、ちょっといい?」
「ん?」
いつの間にか山田が隣に立っていた。
自分の話をぶつ切られた高橋は、不快感もあらわに山田をねめつけたが、
逆に怖い顔をされて、つい小声で「あ、すみません」と言ってしまった。
尖らせた目を元の形に戻した山田は、モジモジと体を揺らして、何か言い淀んでいる。
修一は、既視感を覚えながら机に伏せていた体を起こした。
「どうしたの、山田さん」
「うん、あのね。なんかね」
山田の細く白い指が、ためらいがちに窓の外を指し示した。
修一と高橋が揃ってその先を追うと、
暮れなずむグラウンドの向こうに毎日見慣れた校門が立っていて
その真ん中から長さの違う二本の影が、こちらに伸びているのが見えた。
影の根元には、北高の制服を着て、
足を肩幅より大きく開いた女子が二人、ふんぞり反って立っている。
下校する生徒達が、レモン汁を嫌がるアリのように大きく迂回していく。
高橋がプリントで西日を防ぎながら、目を細めた。
「増えてんじゃん」
「さて、と」
修一は粛々と鞄に教科書を詰めると、椅子を鳴らして立ち上がった。
物言わぬ高橋と山田の瞳が、逐一その所作を追っている。
視線に応じず、教室の入り口まで歩くと、
修一は「じゃあ、また明日」と日常に手を振った。
帰り道に通る商店街は、地方にしてはまだまだ活気がある。
身長に統制の取れていない三人は、
一番小さい修一を捕まったグレイのように挟んでその街路を歩いていた。
もう数分のんびりと足を進めれば、
左手側に最近ひいきにしている喫茶店が見えてくる。
今日の買い食いの支払いは、戯れが過ぎた年長者達の負担で既に決まっていた。
「なんであんなことするのさ。二人して不良漫画の表紙みたいになってたよ」
「え。私、格好よかった?」
「よくないよ」
見当違いな姉を一言で切り伏せた修一を、
かすみは微塵も悪びれずににやけて見下ろしている。
「いや、この前一回やっちまったから、二回も三回も同じかと思ってさ」
修一は、モデルが何なのか分からない抽象画を見るような目で、かすみの顔を仰いだ。
やたら楽しそうな小百合が、片手を顔の前に上げてお詫びのポーズをとった。
「あはは、ごめんね。かすみが、ああしてると修ちゃんにハクがつくからって」
「ハクを押し付けないでよ。
姉さんなんか『今度は幹部も来たぞ』とか、こそこそ言われたよ」
もう外しているが、先ほど小百合は、
健康体であるにも関わらず大きなマスクをつけていた。
修一には、悪ふざけを具現化したマスクにしか思えなかった。
「幹部と総長のお迎え付きって、僕そろそろ北高軍団期待の新人扱いされちゃうよ」
「私、幹部じゃないよ」
「アタシも総長じゃないぞ」
「僕だって期待の新人じゃないんだよ。だいたい姉さんのあのマス……」
不毛なお説教が続く中、修一が不自然なタイミングで言葉を止めた。
「? どしたの修ちゃん」
小百合が覗き込むと、修一は逆に「え、何が?」と不思議そうな顔をして問い返した。
「今、何か言いかけなかった?」
「あ、うん。いいんだ、店ついちゃったから」
喫茶店の外観は西洋の民家風で、商店街の並びの中では少し浮いていた。
道の反対でらっしゃいらっしゃい言っている顔なじみの八百屋に軽く頭を下げてから、
修一はシルバニアなお家に体を向けた。
「兎に角、二人とももうやめてよね、ああいうの」
「うん。かすみはやると思うけど、私はもうしないからね! 多分ね!」
喫茶店の扉を豪快に開きながら小百合が、「たのもう!」と威勢のいいことを言って
和やかなカウベルの音を台無しにした。
修一が右の耳たぶを触りながらそれに続く。
最後尾のかすみは黙ってそれを見ていた。
昔から修一が、何か考え事をするときにたまに見せる癖だった。