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怪異を拾う  作者: エゾバフンウニ
18/22

泥の山 【1】

主要登場人物

●近藤修一……男。中学二年生。

       近藤小百合の弟で非科学的なものがよく見える。

●近藤小百合……女。高校二年生。

        近藤修一の姉で非科学的なものがやや見える。

        生きていないものに大体勝てる。

●神宮かすみ……女。高校二年生。

        近藤姉弟の幼馴染で非科学的なものが見えない。

        生きているものに大体勝てる。



息を整え、覚悟を決め、警戒を怠らず、強い気持ちを持って、

そっと玄関の扉を開いた筈だった。

だが、杉崎は庭に「それ」を見つけると、

握力を失い、通勤カバンを取り落としてしまった。

そのまま外に一歩も足を踏み出すことが出来ず、

開きかけたドアを盾に見立てて、身を隠した。

膝が震え、腰の力が抜けそうになる。

なんとか壁に寄りかかり、

わずかに開いた扉の隙間からおそるおそる覗き直してみるが、

やはり「それ」は断固として、同じ場所に居座っていた。

それなりに年齢を重ねて、落ち着いた中年男性である杉崎を

ここまで脅かす「それ」とは、実は何の変哲もない泥の山だった。

サイズはハンドボールより少し小さいくらいで、

まったく他愛もない。

杉崎はそんなただの土くれを苦渋に満ちた表情で睨み付けながら、

内心では間違いなく恐怖していた。

もはや出勤どころか外出する勇気すら失い、

できるだけ音を立てないように慎重に扉を閉めると

確実に施錠をした。

カバンは捨て置いたまま、乱雑に革靴を脱ぎ、

妻の芳江に心の準備をさせるため、

敢えて足音を立てて薄暗い廊下を歩いた。

夫婦の寝室の前に立ち、ドアを二回ノックする。

反応はないが、寝ているわけがなかった。


「……あったよ」


杉崎が閉じられた扉越しにした報告はたった一言だった。

だが、妻にはそれで十二分に伝わる筈だった。

耳が痛くなるほどの静寂の後、部屋の中から

なにかボソボソと人の声がした。

芳江が返事をしたらしいが、か細すぎてまったく内容を聞き取れない。


「すまん、よく聞こえない」

『……ったの』

「なんだって?」

『今度は、ドコだったの!!』


突然のヒステリックな叫びに、空気が震えた。

ツヤの消えてしまった髪を振り乱し、寝不足で腫れた目を充血させて

口の端から泡を飛ばす彼女の狂態が、容易に想像できた。

杉崎は言葉を返すどころか、もはや立っているのも億劫で、

ネクタイを緩めながら、力無くその場にへたり込んだ。

壁に背を預け、目の前のドアを眺めていると、

寝室の中から慟哭の声が聞こえてくる。

それを別に慰めに行くでもなく、

ただその場でぼんやりと座っていた。

暫くそうしているうちに、ふと先程の絶叫を思い出して、

何故か喉奥から笑いが込み上げてきた。

湿度の無い干からびた、スカスカな笑い方だった。


ーー『今度は、ドコだったの』だと?

  確かめろと言うのか、俺に。

  あの泥の山に近づく気力など、とうの昔に失せている。

  見ただけでこのザマなんだ。

  自分の手で崩して確認するなんてこと、できる筈が無い。


くぐもった妻の泣き声をBGMにしながら、

杉崎は押入れに閉じ込められた子供のように、膝を抱えて顔を埋めた。


ーー……無理だよ。

  絶対無理だ。

  確かめられる筈が無い。

  今度はあの泥の中に、

  母さんの、どの部分が入っているのかなんて。





初めてそれを見つけたのは、芳江だった。

庭の隅においてある簡易物置の前に、

こんもりと小さな泥の山が積まれていた。

その時、芳江はそれを、近所の子供の悪戯だと思った。

彼女は頭の中で、やんちゃな容疑者を何人かピックアップしながら、

持っていた竹ぼうきで土塊を払いのけた。

少し湿り気を帯びた黒い土はあっけなく崩れ、

中から木の枝が転がり出てきた。

特に気にせず庭の隅まで掃こうとして、

芳江はそれが木の枝では無いことに、ようやく気がついた。

節くれだった、二本の人間の指だった。

左手の薬指と小指で、根元はちゃんと繋がっていた。

だから正しくは、指というより手の一部だった。

芳江はほうきを投げ出し、家に逃げ込むと

夫が帰宅するまでリビングで震えていた。



その夜、確認を終えて、暗い庭から戻ってきた杉崎に、

芳江は駆け寄った。


「どうだった?」

「玩具じゃない。本物だ」


杉崎の顔は、目に見えて青ざめていた。

チキンのように引き裂かれた、

泥まみれの人間の手の一部が、何故か庭に転がっている。

だが杉崎を強く動揺させた理由は、それだけではなかった。


「それに……」

「それに?」

「それに多分、あれは年寄りの手だ」

「ちょっと、アナタ。まさか……!」


芳江は夫の言わんとすることを理解して、口を覆った。

言葉を失った彼女の顔を見つめ、杉崎が頷いた。

杉崎達は丁度一週間前、徘徊癖のある母、富子の

捜索願を警察に提出したばかりだった。




それから四日後、再び杉崎の家の敷地内に泥の山は現れた。

二回目は車庫の奥だった。

杉崎が妻に頼まれ、恐る恐るそれを崩すと

中から金タワシみたいな毛玉が出てきた。

棒を使って雑に広げてみると、

頭皮ごと毟り取った髪の毛だと分かった。

蹲ってえずく妻の声を聞きながら、

杉崎は呆然としていた。

泥に絡みついた赤茶けた髪は、この家から居なくなる前の

母のものとそっくりだった。


「間違いない……」


捜索願を出した母の、体の一部が、今、ここにある。

そこから当然導き出される結論に、

杉崎の目の前は真っ暗になった。




そのさらに三日後、勝手口のすぐ前に盛られた土を

芳江が気づかずに出会いがしら蹴っ飛ばして、

撒き散らかした。


「あっ、あああ……!」


飛び散る泥の中に

だいぶ歯の本数が足りない人間の下あごが混ざっていて、

芳江はとうとう家から一歩も外に出なくなった。



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