ブランコを揺らす手 【1】
「それでさ、教室に踏み込んできたテロリストがマシンガン構えようとしたから、
俺は椅子を投げつけたわけ」
「うん」
「そしたら、そいつすごい勢いでスッ転んでさ、後は簡単よ」
「へえ、相変わらず高橋は夢の中では最強だね」
「俺、夢の中では誰にも負けた事無いんだよなぁ」
放課後の教室。西の山並みに傾く太陽が、
窓際でだべる男子中学生二人を赤く染めている。
「何で俺、夢の中ではあんなに強いんだろうな」
「高橋無双だね」
「もしコーエーからオファーが来て俺が有名になっても、
修一は気軽に話しかけてくれていいからな」
眠そうな目をした近藤修一は、友人の高橋省吾相手に、
貴重な青春の一刻を緩慢と浪費している最中だった。
高橋の話は一見毒にも薬にもならないようで、本当に毒にも薬にもならない。
「それでその後さ、ビビって銃を落とした男に俺は猛然と飛びか」
「近藤君」
「ん?」
なおも続く武勇伝を、いつの間にか隣に立っていたクラスメイトの山田が遮った。
山田は普段白い肌をより青白くさせて、
自分のスカートの端を所在無さ気にいじっている。
修一が、机に伏せていた体を起こした。
水を差された高橋は、いささか不満げに彼女を見上げた。
「なに? 今、いいところなんだけど」
この後、テロリストから奪ったマシンガンを乱射して、
征圧された他のクラスを次々と開放していく熱い展開が待っている。
男のロマンを理解できない女子供に、邪魔をされる筋合いなど無い。
「俺の冒険活劇をストップさせる価値のある用件なんだろうな」
「あんたのクソしょうもない話はどうだっていいのよ」
山田からかなり強めに睨まれて、
高橋は無言のまま床のほこりに視線を逸らした。
「近藤君のこと呼んで来いって言われたのよ。ほら、校門のところ・・・・・・」
「・・・・・・ああ」
窓の外。校門の真ん中から、グラウンドに向けて長い影が伸びている。
距離がある上、逆光で少しわかり難いが、隣町の高校の夏服を身に纏い、
両腕を組んで仁王立ちするその影法師の持ち主に、修一は心当たりがあった。
下校する生徒達が極力そちらを見ないようにして、
『彼女』を大回りに避けていく。
アリの行列にレモン汁を垂らすと丁度似たような現象が見られるので、
みんなやってみよう。
「北高の女の人だったけど。
大きくて怖い感じの・・・・・・近藤君何やらかしたの?」
「あ、いや、そうじゃないんだ。あの人は」
「なんだ、かすみさんじゃん」
額にノートでひさしを作って目を細める高橋は、あっけらかんとして言った。
彼女のことを知っているようだった。
「かすみ、さん?」
「こいつの幼馴染だよ」
修一を親指で指す。
「ああなんだ、知り合いだったの。私てっきり、ヤバい人かと思って」
「ほら、この前、どっかから逃げた虎をぶん殴って気絶させた
女子高生のニュースあっただろ。あれ、あの人がやったの」
「……ヤバい人じゃない」
口元を覆って老婆のような声を出す山田に軽く首を振って、
修一は席を立つとカバンを持った。
「そんなことないよ。
でも、あんまり待たせると僕も虎みたいにされちゃうから、もう行くね」
「だな。人間があのフック食らったら、脳しょう出ちゃうもんな」
「間合いに気をつけてね」
「うん、また明日」
修一は教室の入口で振り向くと、二つの日常に手を振って、
それから背を向けた。
「かすみさん、そんな門の真ん中に立ってたらみんなの邪魔だよ」
「ご挨拶だなあ、修一」
かすみは意に介さず、寧ろたしなめられたことを楽しむようにして、
にやにやと獰猛に笑っている。
腕組みはそのままで、切れ長の目を細めて傲然と修一を見下ろした。
「わざとやってんだよ。お前がすぐ見つけられるようにって、
アタシなりに気を使ったんじゃないか」
乱雑に伸ばされた赤い髪に褐色の肌。
180cmを越える長身で肩幅もある彼女が八重歯を剥き出しにすると、
どこか野生動物じみた迫力がある。
だらしなく着崩したカッターシャツからは逞しい肩に繋がる鎖骨と、
反して柔らかそうな深めの胸の谷間が露骨に見えるが、
周囲から彼女に送られる視線は桃色というより、
もっと限りなく色素の薄い寒色に近かった。
大人しそうな少年と野獣のようなヤンキーが親しげに話すのを、
無関心を装って盗み見てはさっと目を逸らし、生徒たちは通り過ぎていく。
修一は自分が今、どのように客観視されているのか想像して、
いたたまれない気持ちになった。
「とにかく、ここを離れよう。
かすみさんと話してたら、スジもの扱いされちゃうよ」
「なあ、修一。お前、最近アタシの扱い酷くないか」
「うちの学校には来ないって約束破る方が悪いんだよ。ほら、行こう」
強引に手を引く修一に大人しく連行されるかすみを、
ギャラリーは狐にでもつままれたような顔で見送った。
夕暮れの河原を二人で歩く。
水面はおだやかで、時折小魚が跳ねると際立ってキラキラ輝くが、
修一の顔色は優れなかった。
「はぁ、きっと明日から『近藤は不良の舎弟だ』とか噂されるんだ」
「アタシは不良じゃないよ」
「そんなの、僕は、知ってるよ」
だが、かすみの見た目が筋肉質で長身で怖いギャルな上、
態度が三国志の武将みたいなので、知らない人間から誤解されても仕方がない。
当の本人はニヤついて「ハクがついてよかったな」などとうそぶいている。
修一は隣を歩きながら、うらめしそうにそれを見上げて、
何かを諦めてため息を吐いた。
「それで?」
「ん?」
「どうせ姉さんがまた妙な事に首突っ込んだんだよね?」
「お前のそういうところ特に好きだわ。話が早くて楽で」
「分かるよ。だって、かすみさんは理由もなしに約束を破ったりしないから」
「かわいいこと言うなあ、感動しちゃうだろ。おっぱい触ってもいいぞ」
すれ違った三人組のサラリーマンが、ぎょっとして一斉に振り返る。
修一はじわりと上気する顔を、俯けないようにするので必死だった。
「かすみさんがそういう事言うたびに、僕の肩身が狭くなっていくんだけど」
「だから、行くとこ無くなったらうちに来いって。養ってやるから」
「それ、マッチポンプって言うんだよ」
他愛の無い話を続けながら、二人の足は速度を緩めない。
かすみは特に修一を誘導していないが、その歩みに迷いはなかった。
「やっぱり、岩上公園なんだよね?」
「流石に分かるか」
「うん、姉さんあからさまに気にしてたから」
岩上公園は住宅街から少し外れた小高い丘の上にある。
ブランコ、滑り台、ジャングルジムと砂場、
そしてベンチが三台設置されていて、程よく緑もあり見晴らしがいいので、
天気のいい日の午後には子供連れの母親達が集まって、
井戸端会議に花を咲かせていた。
そんな近隣住民の安息地であった場所で一昨日、事件は起きた。
ブランコを漕いでいた小さな男の子が、頭から地面に落ちて首の骨を折った。
即死だった。
その日、ベンチで他の主婦達とくつろいでいた母親は、
絶叫に近い我が子の泣き声を耳にすると慌てて立ち上がり、
そして常識を超えた光景を目にして足がすくんだ。
息子がブランコに乗っている
ただ、その高さが異常だった。
鎖はもはや地面と水平を越え、空に食い込む角度で反り上がり、
揺り戻すためにゆっくりと減速している。
天高く持ち上げられ、涙や鼻水にまみれた男の子の顔は、
恐怖と混乱で赤黒く染まり、怒る猿のようにクシャクシャに崩れていた。
もはや人のものと思えぬわめき声が高い位置から丘中に響き渡り、
ブランコを遠巻きに囲む他の子供達からも、わあわあと泣き声が上がっていた。
呆気にとられたのは数秒で、
我に返った母親は半狂乱になって止めようと駆け出したが、
それでももう間に合わなかった。
大きな振り子は一度手前に高く揺れ、
強烈な風音を鳴らして再び青い空へ戻ろうとする。
その勢いは誰が見てもデタラメで作為的で、
今度こそ子供の力で耐えられるとは到底思えなかった。
母と子がもはや訳のわからない命乞いめいた叫び声を上げた。
無機質な遊具は、その哀願を特に聞き入れることなく、
小さな体をあっけなく放って捨てた。
「あの公園、最近ちょっと噂になってたんだよね。
夕方になると、誰も乗ってないブランコが揺れてるとか、
真っ黒な女の子の影が立ってるとか」
「そんなどっかで聞いたような怪談話、誰も真に受けやしないよな。
しかも、ボウズがぶん投げられたのって平日昼間だったんだろ?」
「平日はどうでもいいけど、一昨日の昼だよ。
あのニュースを見た姉さんが目の色変えてたから、嫌な予感はしてたんだけど」
「まあ、小百合はこういうの放っておけないだろうな」
「本当にもう、病気なんだきっと」
ぶつぶつと文句を言いながら、薄闇の中、
等間隔に灯り始めた街灯に沿って、二人は坂を上る。
今や明るいうちですらひと気のない岩上公園は、
息をひそめるようにしてその頂にあった。