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『吸血鬼の憂鬱記』  作者: 坂田クロキ
4/15

〜Vampire’s Annui4〜


「ふん〜るんたった〜ルンたったー秋が来た〜ふゆが来る〜ルルル〜…」


莉乃香が『あの、馬鹿!!』と店で叫んでいる頃、明菜は上機嫌で鼻歌を歌いながら夜の道を歩いていた…。明菜とカイルが共に住んでいるアパートは街から近い所にあり、電車やバスを使わないでも帰ろうと思えば帰れる。明菜も住み慣れたこの辺りの道はよく知っていて、酔っていても帰れただろう。いつも普段何も気にすることなく、この道路を昼も、また仕事が遅くなって夜も、通ることがあった。今まで何も“起こる”ことはなかった……。

だからこの日は本当に“運が悪かった”としか言いようがないのだー……。


「〜ふん、フン〜…あともうすこし〜ふふんフン〜……」


夜でも明るく賑やかな街を抜け、一軒家やアパートが多くなる住宅地に差し掛かる一歩前、カイルの待つアパートまであと二十分もかからないくらいの所でそれは起きた。


「…はあ〜…帰ってお風呂入るのめんどくさいな〜……明日でもいっかな〜…フフン〜…っ…!?」


乙女としてどうなのかと思うような独り言を鼻歌混じりに言っていた明菜に突然黒い影が襲い掛かった。


「…ククッ…声を出すなよ…?大人しくしてりゃ、すぐ終わるからな……」


「……!!…」


黒い影は街灯に反射して白銀に光るナイフをちらつかせながら、明菜の耳元で怪しく囁く。声から男性だと分かったが、帽子かフードなのか、目深に被って顔は見えない。服も黒いのか闇と同化して人物像がよく見えない。何より明菜は背後から羽交い締めにされ、革の手袋をはめた大きな手で口元を押さえつけられていて、声はおろか、呼吸もままならない状態にあった。


「クックッ…良い子だ……従順な子は大好きだぞ…?」


嫌な笑い声の持ち主によって、ズルズルと人気のない路地裏へと引きずり込まれ、明菜の心は恐怖と絶望に支配されてゆく…。


「…お前、“良い匂い”だな……そっちのほうも味見しておくか……」


何やら男が訳の分からないことを呟きながら明菜を地面に押し倒し、彼女の上に馬乗りになった…。強い力で頭を押さえつけられ、首元にナイフを当てられる。明菜の瞳に恐怖で涙があふれた…。


「…っ……!!…」


「…ああ、痛かったか…?ちょっと我慢してくれ…殺さないから。死んでしまっては、楽しめないからな…終わるまでは生かしておかないとな…」


その言葉に明菜の瞳に絶望感が浮かんだ。やはりこの男は自分を生かしておくつもりはないのだ。


「…クク……ああ、やはり良い香りだ……この香りこそがわたしを生かしてくれる。さあ、楽しもうじゃないか…クククッ……」


首筋に走った痛みと男の存在が、声が、ぐちゃぐちゃになって頭がグルグル回る。しかし、一瞬男の自分の口元を押さえる手が緩んだのを明菜は逃さなかった。


「…っ…や…っ…カイルくん……っ…!!」


喉の奥が締まって到底叫び声まではいかなかった。小さな悲鳴は路地裏に響きもせず、虚しく闇に溶けていった……。しかし、男を激昂させるには充分だったらしい。


「…!!……この…っ……!!」


何が気に障ったのか、カッとなってナイフを振りかざし明菜に突き立てようとする。


「…!!……」


明菜は身動き出来ずに、ただ絶望に満ちた瞳で振り下ろされるそれを見ていたーー……。


「……ぐが…っ…!!……」


瞬間、男がナイフもろとも吹き飛んだ。


一瞬何が起こったのか分からなかった。それは吹き飛ばされた男も同じであろう。明菜はしばらく状況が理解出来ていなかったが、上に乗っていた男の重みがなくなったことにまず気づいた。そして誰か第三者の気配を感じる。足元から上へと人物を視線でなぞると、そこには見慣れた背格好の高身長の外国人男性。暗がりでもオレンジブラウンの髪が風になびいたのが見えた…。


「明菜、大丈夫か…?」


地面に横たわったままの明菜にカイルは膝をつき、肩を優しく抱いた。その時、彼女の首筋から流れた血の跡と、鼻をくすぐる香りに耐えるように眉をしかめたが、すぐに表情を戻す。


「…カイル…くん……」


彼の心配そうな顔と優しく触れるその温もりに、明菜の顔が目に見えて安堵してゆくのが分かった。それでもまだ身体が小刻みに震えている。自分で起き上がろうとしても腕に力が入らず、出来ない様だった。


「…がは…ッ……何だ……!?…オマエは…っ…!?」


カイルに吹き飛ばされた男がよろめきながら立ち上がろうとしているのが見える。先程、頭が割れたんじゃないかと思うくらい大きな音を立てて壁に激突していた男だが、頑丈なのか唇から血を流しつつもこちらに歩いて来た。


「…っ…ーー……!…」


「………………」


男の声にビクッと肩を揺らした明菜を見て、カイルの瞳がすうっと細められた。ただでさえ鋭い目付きが、それこそ瞳で人を刺して傷付けられそうな程に。カイルはスッと立ち上がると男のほうに向いた。


「……何だ……?やるのか……?」


対峙した男は挑発的にカイルを舐め回すように見たが、やがて何かに気づいたのか、表情を変えて立ち止まった。


「…オマエ……もしかして、ヴァ……」


男が何ごとか言いかけた瞬間、カイルの掌底が男の顎を捉えた。


「……ッ……!!……」


カイルはそのまま男の頭を勢いを付けて地面に打ち付ける。ゴッ、という固い音が響いた…。一瞬、明菜と視線が交錯するーー…。


「……もう一言もしゃべるな…俺たちの周りから消えろ……」


寒気のするくらい低い声でわずかに残った男の意識にそう囁いてから、カイルは止めに手刀で首を打った。その際、腕と脚も無力化しておく。そして明菜のほうへ向き直った……。


「……怖いもん見せたな……すまない…」


そうぽつりと言って、顔を片手で覆った……。きっと今、自分は冷酷な“獣(けもの)”の顔をしているだろうからーー……。そんなカイルの腕をそっと引っ張る者がいた……。


「……ううん……カイルくん…来てくれてありがとね……」


まだ涙が残るが、安心を含んだ表情でカイルに向かって笑顔を見せる明菜。と同時に、首を傾げた拍子にふわりと香る本能をくすぐる甘くて堪え難い香りーー…。


(……ーーああーー……)


カイルは時々思う。自分が“吸血鬼”であることを明菜に知られたくない。気づかれたくない。


(…――自分の中の“吸血鬼という名の獣”を明菜に知られたくないーー……)


「…いつまでもここにいたら、身体が冷えてしまう。警察に連絡して早く帰ろう」


何かを振り切るようにカイルが手早く電話を掛け、一通り話し終えて電話を切ると明菜のほうを向いて手を引っ張った。そしてその勢いついたまま身体を抱きかかえた…。お姫様抱っこだ。驚いて瞳を丸くする明菜にカイルがポソッと呟く。


「……今日はサービスだ……」


その言葉に明菜の顔が破顔したー……。




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