〜Vampire’s Annui11〜
『春川 莉乃香(ハルカワ リノカ)』はイライラしていた。
(全く、テレビをつけてもラジオをつけても、街を歩いてても店に入っても、どこに行ってもジングルベルにクリスマスソング。クリスマス自体は嫌いじゃないけど、こうまで押し付けられると、食べ過ぎて嫌いになるってやつね……)
パソコンを打つ手を止めて、ほう、とひと息ついた。今日は金曜日、今週末はクリスマスイブなのだ…。
(…何が嫌って、話題が一色になることよね……クリスマスは誰と過ごすのか?家族か恋人か?いなけりゃ二十四日までに無理にでも作るのか…独りだと“クリぼっち”に“シングルベル”?)
ふざけんな、と彼女は思う。クリスマスにかこつけて、クリスマスケーキやらフライドチキンやらを売りさばいたり、ジュエリーショップや高級なレストランなどの宣伝が急に増えたり。そういう商業界の思惑に流されてる人を見るのが何となく好きじゃない。でもそれよりも、そもそもたかだか輸入された外国のイベントに、やれ、クリスマスに恋人と過ごさなきゃ負け犬だ、やれ、ぼっちはシングルベルだ、寂しく鐘が鳴るなどと決めつけられている感があるのが、すこぶる腹立たしいだけなのである。
(ただのイベントなんだから、お祭り好きの日本人らしく楽しめばいいんだろうけど、ある一定の価値観を前提に盛り上げられてるモノって、自分がその価値観から外れてる場合、途端に迫害に遭うし、面倒臭くなるのよねえ……)
ふう、と再び溜め息をつきながら、莉乃香は仕事を再開する。ちなみに莉乃香は決してモテないわけではない。モテ過ぎて高嶺の花扱いされるほどの美人である。
(そう言えば、明菜はどうするのかしら…)
莉乃香は隣りの席で眠いのか、半眼になりながらパソコンに向かっている同僚兼友人の『楓 明菜』を見たー……。
(この子ったら、アニメにのめり込んで楽しそうにやってるけど、彼氏いるのかしらね……)
唐突に気になった。今まで彼女とそういう話をしなかったわけではない。自分たちは学生時代を含めての付き合いになる。自分も付き合った人がいたし、明菜が告白されたことがあるのも、知っている。ただ、明菜は恋愛に非常に疎かった。それはもう極端なまでに。
(あの子も、普通に可愛いんだからもったいないわよね……)
莉乃香は今度は明菜を見て溜め息を零す。莉乃香ほどではもちろんないが、明菜もあの明るい性格と人懐っこさから割とモテた。告白してくる男子がちらほらいたものだ。だが、肝心の明菜が全然分かってない。異性と“付き合う”ということを知らない。あまりにも無垢。中学、高校生くらいならまだ分かる。しかし、莉乃香の観察では社会人十年以上目の今でさえも、彼女は恋愛とは何たるかを分かってないと見ている。
(…高校生くらいまでは、相手も純真だから戸惑って上手くいかないのは分かる……でも、大学生を過ぎて社会人にもなると、あの無垢さ加減は騙されて利用されかねないのよね……わたしがあの子の貞操をどれだけ守ってきたか、ご両親に報告して差し上げたいくらいだわ……)
莉乃香は一人しみじみと、大学生時代と社会人になってからのことを思い出していた…。そうこうしているうちに終業時刻になる。莉乃香は明菜に予定を尋ねようとしたが、その前に声をかけられた。
「春川先パイ、今週の土日って空いてますか?」
同僚の『山本 隆(ヤマモト タカシ)』だ。莉乃香は少し構えて答える。
「…今のところはないけど……」
「良かった!!一緒にどこかご飯食べに行きません?俺、ご馳走しますよ!」
嬉しそうに言う山本に莉乃香も周りも苦笑する。彼が莉乃香に好意を抱いているのは周知の事実だ。彼もまたモテる類の人物ではある。短く整えられた黒髪に、少しタレた瞳、整った顔立ちに爽やかな笑顔、すらりとした体躯……。莉乃香と並ぶと美男美女カップルの誕生である。莉乃香も彼の容姿だけではなく、人柄の良さには一目置いている。ただ、付き合うとなるとまた話は別なのだ……。
「悪いけど、明菜と予定を組もうかと思っているの。ごめんなさい」
また今度ね、などとは言わない。今自分のベクトルは、恋愛に向いてないのだ。
「そうですか……残念!!俺はいつでも空いてますから!」
山本が爽やかに次の機会に、と笑む。
「…あなたもヒマね……」
「そんなことないっスよ……いや、そんなことある……ん…?」
自分で言って、首を傾げる山本に、『馬鹿だ、コイツ……』、と一同は生温かい笑顔になる。こんなだから莉乃香も突き放せないのかもしれない。どことなく明菜を彷彿とさせるのだ…。その明菜に声をかける。
「明菜は土日予定あるの?」
その問いには、多分予定は無いだろうという答えがあらかじめ用意されていた。その予想はあっさり覆される。
「あ〜そうだね〜わたしは土曜日なら空いてるよ〜」
仕事が終わって、だる〜んとしている明菜の言葉に皆がピクリとした。“土曜日なら空いている”……その言葉には、“日曜日は空いていない”という文章が隠れている。日曜日はすなわち、クリスマスイブ。
「……日曜日は予定があるの?誰かと出かけるとか……?」
つい親心にも似た庇護欲から、予定を詮索してしまう。明菜はデスクで頭をゴロゴロさせながら答える。
「ううん〜日曜日はねー、カイルくんのために手料理作ろうと思うんだ〜」
「カイルくん……外国人かしら……」
「うん!」
莉乃香は頭をフル回転させる。明菜が誰かと付き合っているような素ぶりは全然無かった。外国人と出会うことなどそれこそ無いだろう。それに加え、彼女は根っからのオタク。時々莉乃香には理解できない変なことを口走ることがある。アニメのキャラの呼ぶ声が聞こえるとか、ナントカ様がお亡くなりになったので喪に服すとか、**様が結婚してめでたいとか、○○様は俺のヨメ〜とか……。
「……アンタ、アニメ好きもほどほどにしなさいよ……」
「え〜なんで〜」
莉乃香は『カイルくん』というのを、アニメの中のキャラだと結論付けた。大方、そのキャラのために手料理でも作って架空のクリスマスパーティーでもするのだろう。もう三十にもなろうかと言う大人女性がそれでよいのか、良くない。莉乃香は、明菜の将来に一抹の不安を覚えた。
(恋愛に疎いと言っても、このままじゃ恋愛のレの字も出ずに終わるわよ!)
無垢な友人ゆえ、過保護になってしまったことは否めないが、それは決して二次元に走らせるためではない。密かに焦っている莉乃香に、山本がこっそり耳打ちした。
「先パイ……明菜さん、ホントに付き合ってる人いるみたいっスよ……」
「はああ?何であなたがそんなこと知ってんのよ」
「…そんなキレないでくださいよ……」
「キレてなんかないわ。で?」
「……この前の休みの日に、街中で見かけたっス……遠かったんで彼氏さんの顔ははっきりとは確認してないですけど、あれは確かに明菜さんでした」
山本が断言する。
「……相手の男はどんな感じだったの……?」
「うーん、遠かったからなあ…でも身長はかなりありました!遠くからでも目立ってましたし、髪も金色?橙茶みたいな。恐らくですが、あの感じはかなりイケメンっスよ……」
「……イケメン………」
莉乃香は衝撃を受けた。自分も彼氏がいないのにとか、あの明菜がイケメンをゲットしていたとか、羨ましいとかそんな気持ちより何より、いつの間にか自分の大事な親友に得体の知れない彼氏が出来ていたことに。今すぐその男がどんなヤツか、どこで知り合ったのか、どんな仕事でどんな趣味、どんな性格なのか、こと細かく問いただしたい気持ちに駆られる。それをグッとこらえて、莉乃香は山本に礼を言う。
「ありがとう、山本くん。良い情報をくれたことに感謝するわ…とっても役に立つ情報をね……」
「……は、ハイ………」
この時の莉乃香の笑みを、山本は一生忘れられそうにない、と語ったという………。
その頃のカイルーー……。
「……何か悪寒が……吸血鬼は風邪ひかないんだがな………」
莉乃香の明菜への友情パワーーー…。




