61騎 天からの管
アインツたちは、オウリス平原を西に進み、木々がうっそうと茂る森に入っていた。
小高い丘になっているところがいくつもあるため、平原とは違うその高低差が、アインツに従う農民たちには負担となっていた。
「アインツさん、歩く速度がだいぶ落ちたっスよ」
「仕方ありません。頑健な者だけではないのですから。落伍者が出ないように、気を配っておいてください」
先頭を歩いて辺りを警戒するには、マイキーの能力がうってつけではあるが、森に入ったときから、先頭はアインツに交代している。
アインツが隊列の先頭に立ち、下生えや蔓を鉈で打ち払い、後から続く者たちの道を作っているのである。
「りょーかいっス。んじゃ、疲れたら言ってくださいっスね。先頭、交代するンで」
マイキーは、隊列の後ろに戻っていく。
一行は、赤ん坊を含めて26人で、その中で戦闘ができる者としては、アインツとマイキー、ヴィルヘンドルの3人に、落ち武者狩りへ出ていた男たち、合わせて15人だった。
「この辺りは、下がぬかるんでいるようです。足元に気を付けて」
後ろを振り向かずに注意の声だけ伝えるアインツは、今まで通り、下生えに鉈を振るっていた。
「ぎゃあっ!」
突如、隊列の中ごろから叫び声が上がった。
アインツたちは歩みを止め、叫んだ男を見る。
その男は、ぬかるみに足を取られているようにも見えたが、痛がり方が尋常ではない。
足からは、焦げたような臭いと煙が立ち上る。
「まさか!」
「誰か、たいまつを! 火を用意しろ!」
アインツとヴィルヘンドルは、ほぼ同時に理解した。
「え、なに、どうなさったの!?」
カナーティアの困惑をよそに、マイキーが手持ちの荷物から火口箱を取り出し、たいまつに火をつけようとしている。
「マッドスライムです! そのぬかるみに近寄らないで!」
アインツが指示を飛ばすと、負傷した男の元へ駆け寄る。
男の足元には、泥のぬかるみがうごめいていた。
「ゲームでは初級のモンスター扱いのスライムですが、ここでは凶悪な怪物です。
強い酸性の身体は、肉を溶かし、それを取り込んで自分の栄養とする。
しかも斬ったり突いたりした程度では、ダメージすら与えられない」
マイキーがアインツに、火の点いたたいまつを手渡すと、アインツは男の足にたいまつを押し付ける。
「ぐわぁ!」
男がわめき散らす。
ヴィルヘンドルが男を押さえつける。
「な、なにを」
農民たちの代表格のバルーガが、アインツたちの真意を測ろうとする。
構わずアインツが男の足にたいまつを押し付ける。
酸で焼けた臭いとは別の、火に焼かれた臭いが鼻を刺激する。
男は白目をむいて意識を失った。
「足に付いたマッドスライムは焼いて消した! あとは手当てを頼む!」
ヴィルヘンドルが農民たちに指示を飛ばす。
「他の皆さんは、なるべく乾いたところを辿って進んでください!」
アインツがぬかるみにたいまつを近づけると、うごめく泥が、火を避けようとする。
「絶対、ぬかるみには踏み入れないように!」
「見えるだけでも、マッドスライムは3匹っス」
もう一本たいまつを持ってきたマイキーが、アインツに伝える。
「魔法でどうにかなりませんの!?」
「カナーティア、それはやめた方がいい」
「どうして、お兄様」
「マッドスライムは、その成分のほとんどが酸性の泥でできている。
こちらの魔法で出せるものといえば、風と石くらいだが、風では泥を散らして分裂を手伝うようなものだし、石では攻撃にもならん」
「こうやって、たいまつの火で追いやるのが、一番効果的っスよ」
アインツとマイキーがマッドスライムを遠ざけている内に、他の者が乾いた地面を探しつつ、先へと進んでいく。
危機を脱したものと見て、アインツとマイキーも、後に続く。
「アインツさん、スライムは倒さなくてもいいンすか?」
「今では経験値やドロップアイテムの概念も、あるかどうか判りませんからね。それに、ゲームなら剣も効きますが、どうやらこのスライムに、物理攻撃はあまり効果がないようですし」
「炎の魔法があると、便利なンすけどね」
幽霊男爵アルフォンスから貰い受けた、灯火の魔神は持っているものの、アインツもマイキーも契約はしていなかった。
「まぁ、魔神の効果は不明ですが、火の魔法の扱いであれば、クロノスさんに契約してもらった方がいいでしょうからね」
「そうっスね。今のところは、攻撃系魔法の使い手がいないンで、しょうがないっスよ」
「今回は、なんとか撃退できたようなので、それでよしとしましょう。
さて、先に行ってもらっていた皆さんと合流しなくては」
アインツとマイキーは、踏み荒らされた草木の道を辿って、ヴィルヘンドルたちを追う。
(アビスクロニクルのゲーム内の地図と同じなら、この森を抜ければ、教会に着くはず。
セーフティエリアの、聖スクイレル教会に)
日差しが眩しい。
木々の影が少なくなってきているということは、森の出口が近いということでもあった。
ふと、目の前が開け、眩しい光がアインツたちを迎える。
森を抜けたところで、ヴィルヘンドルたちがアインツを待っていた。
「どうやら無事に斬り抜けられたようだな」
「ええ、そちらは全員いますか?」
「大丈夫、点呼は取りましてよ」
森を抜けたとこは草原になっており、各自思い思いの格好で息を整えている様子だった。
「彼の足はどうですか」
「応急処置はした。歩く分には問題ないが、戦闘はさせない方がよさそうだな」
ヴィルヘンドルは、マッドスライムに取りつかれて足を負傷した男を顎で示す。
「それよりだ。あの先、なにやら物がうず高い山になっているようだが」
「教会……ではないですよね。ゴミの山というか、なんというか」
遠くに見える瓦礫の山は、アインツがよく見知った聖スクイレル教会とは異なるものだった。
「ともかく、近くに寄って見てみましょう」
持っている地図に従い、アインツたちは、アビスクロニクルのゲーム内で、スクイレル教会だった場所に着いた。
そこには教会どころか、建物の面影すらなく、広範囲に瓦礫が山をなしているに過ぎなかった。
「この瓦礫の金属は、見たことがない。おまえはあるか、カナーティア」
小さい破片をヴィルヘンドルが手にする。
「いえ、私も見たことがありません。これは金属なのですか? 光沢から見ても、磨かれた鏡のよう。とても綺麗です」
カナーティアは、瓦礫の板を一枚取り出す。
一辺は鏡のように輝き、光を反射しているが、裏面は何か模様のようなものが刻まれている。
「コンピューターのプリント基板みたいな模様っスね」
マイキーが覗き込む。
「でも、基盤だったら、コンデンサーとか抵抗とかくっついてるンすけどね」
「プ、プリン、コンデ……よ、よく解りませんわ」
カナーティアは、マイキーの言葉の半分も理解できない様子だった。
(この反応から見ても、この瓦礫は、元々、地下世界には存在しないものだったようだな。
とすると)
「確かに、ここには天からの管と呼ばれる建造物があったと聞く。オレは実物を見たことはないが、話には聞いているし、父上は以前ご覧になったことがあるらしい」
ヴィルヘンドルは、国王である父親が、地方を視察した際に訪れた時の話を思い出していた。
「そうですね、天からの管、という話は聞いたことがあります。
なので、私たちはここがどうなっているのか、見ておきたかったのですが」
「これでは瓦礫の山に過ぎない、か」
「ええ」
「それにしてもこの量、瓦礫で教会が埋まったとしてもおかしくない量っスよ」
「確かに、天まで届くような建造物があって、それが崩れでもしたら、こうなってもおかしくはないと思いますけどね」
マイキーの言葉に、アインツも同意する。
天からの管、というものが、地上世界の金属、技術である可能性が高い。
(とすると、地上エレベーターは、ここにあったのではないか)
アビスクロニクルでは、地下100メートルの空間に、仮想現実立体映像でフィールドを構築していた。
(だが)
アインツが上を見ると、そこには空が広がっている。
季節もあり、太陽や星々の動きもある。
(ここには空がある)
アインツも瓦礫の山を調べてみる。
(こ、これは……)
アインツは、瓦礫の中から取り出した物を手にし、それを凝視する。
「お、アインツさん、何か見つけたっスか?」
マイキーがすかさず寄ってくる。
「これ、なにに見えます?」
「おー、100円玉っスね。お金を拾うなんて、ラッキーっスね
でも、よく見つけたっスね、この瓦礫の中から、100円玉なんて」
「そう、100円玉です。100円玉なんです。この意味が、解りますか」
「え、ただの100円っスよ。別におかしい……あ」
「ええ、アビスクロニクルの世界には持ち込むことができなかった、この世界にはないはずの、地上世界の硬貨です」
アビスクロニクルのゲーム上、地下での冒険の際は、持ち込める物は、冒険で得た物か、ギルドから支給されたアイテムや装備だけである。
「ゲームの雰囲気を壊さないように、ということで、全ての所持品はギルドに預けていましたが」
「ネックレスやピアスなんかも、自分の物は持ち込めないって、なんか変だとは思ってたンすよね」
「だが、ここに100円玉があるとすれば、この世界は、地上とのつながりがあったということになる……」
「もしかして、元の世界、地上世界に戻れるかもしれないンすか?」
(可能性は、ある。いや、戻れる可能性は高い!)
「マイキー、ちょっといいですか」
「なンすか、アインツさん」
「ちょっと、遠景視覚の能力で、空を見てもらえませんか」
「え、なんだかよく解んないっスけど、いいっスよ」
マイキーが集中を高め、空を見上げる。
「ごくごく普通の空っスよ。焦点が取りにくいっスけど、どこまでも空が続いているっス」
「おかしい所はありませんか。例えば、瓦礫の山の真上とか」
怪訝に思いながらも、マイキーが目を凝らす。
「ん?」
「何かありましたか」
「だいたい1000メートル上空っスかね、何か見えるっスよ。
なんだ、あれ……」
「そ、空に何か浮いている。いや……」
マイキーが、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「空に、穴があいている……」




