5騎 暗転
暗い。
五感が麻痺したかのような感覚。
足元の触覚も無く、世界の中で浮遊しているようなイメージ。
前後左右上下どれも把握できず、時間の概念も薄れていく。
自己の存在も、闇の中に吸い取られているような、不思議な感覚。
「……」
言葉を発してみた、つもりだった。
(口?)
(喉から言葉が出ていない?)
一瞬、世界がひっくり返るような錯覚に見舞われる。
めまいにも似た、くらくらとするような感覚。
突如、静寂が破られる。
「アインツさん! いますか!? いたら返事してください!」
アインツに聞き覚えのある声が聴覚を刺激する。
「クーネルさん?」
「よかった、アインツさん、いますね!?」
アインツの返事に答えるのはクーネルの声だ。
声が出ている。
そのことに、アインツは少なからず安堵する。
心なしか、めまいも治まっているように思える。
「皆さん、無事ですか!? 怪我はしていませんか!?」
アインツが声を上げる。
「アインツさん、これ、どうなってるンすか!?」
「まさか、このタイミングでじゃと……」
「マイキー、エレーナさんいますね。てろてろさんはいますか?」
「い、います。大丈夫です……」
未だ、闇の中のような感覚。
視覚は全く役に立たない。
空間把握はできないものの、自分が地面に腰を下ろしている感覚は出てきた。
(あ、座っていたんだ……)
「プレイ中のバージョンアップでもしたんでしょうか」
「まさか、バグなんじゃ」
「照明が切れているんですかね、真っ暗です」
「ひとまず、声を頼りに、集合しましょう」
「ですねー」
アインツが声をかけ、手探りで辺りを調べる。
「ヒャっ!!」
アインツの手が、何かに触れる。
(ん、柔らかい? こういうシチュエーションでよくあることといえば……)
「ちょ、儂がここにいるのは確認できたじゃろ……、じゃから、その、儂の胸から手を放してくれぬかの、アインツ」
「わ、わわっ! ごめ、や、ごめんなさい!!」
暗闇ながら、お互い赤面しているのが解る。
「アインツさん、ちょっといいですか」
「ク、クーネルさん、はい、大丈夫です!」
少々素っ頓狂な声で、アインツが答える。
「ステータス画面……、見えます?」
「え?」
暗闇になったことで動揺していたか、視野が効かなくなっていたから気が付かなかったのか、ステータスを表示していた仮想画面が認識できない。
「出て……いないですね」
「メンテの影響じゃないっスかー?」
「儂もそう思ったのじゃが、にしても、完全に消えているとは考えにくいし、そもそも非常灯も点かぬのは、設備としても理解に苦しむ」
「まったく、運営は何やってンすかねー」
マイキーがぼやいているとの刹那。
閃光とも、光の爆発とも取れるような、激しい光の洪水が全員を襲う。
光が戻ってきた。
あまりの眩しさに目を細めていたが、徐々に瞼を開き、見る。
草原に、いた。
アインツたちは、暗闇となる前と同じような風景の中にいた。
変わらない草原、変わらない木々、遠くには山の稜線。
「っと、ゴブリンたちは?」
辺りを見渡すが、それらしい影は見当たらなかった。
戦闘中、倒そうとしていたゴブリンも。
「どういう、こと?」
サブスクリーンの仮想画面は表示されない。
自分や、パーティのステータス、マップやセンサー、マーカー、どれも視野には存在しなかった。
地上にいる時と同じ、ゲームをしていない時と同じ情報量。
パーティチャットを開こうにも、サブスクリーンが表示されないことには、メニューも出てこない。
近くにいるメンバーへのコンタクトは、普通に会話によるものだ。
データの共有もできない。
それどころか、データそのものの閲覧もできない。
「今回のバージョンアップ、リアルにも程があンでしょ~」
マイキーが、皆を代弁するかのような発言をする。
「みんな、状況を把握しましょう。仮想画面は表示できません。他に何か違和感はありますか」
全員、思い思いに身体や装備を確認する。
「武器が……、リアビューシステムのエフェクトが消えてる」
「ほんとだ、剣がゴムの棒になってる」
「ギルドで手渡されたときはエフェクトがかかっていないから、金属っぽくは見えないけど、フィールド上じゃあ剣らしく見えていたのに」
「素の状態、っていうことか。とすると、リアビューシステムが起動していない?」
「でも、移動はしていないと思うから、ここは地下のはずだし、フィールドは立体映像なんじゃ」
「ねぇ、ちょっと……」
てろてろの発言に、他の全員が目を丸くする。
「草、生えてない?」
ネットスラングでもなんでもない。
草が生えていた。
屈んでつまむ。
むしる。
手に、むしった草が残った。
感触と共に。
「立体映像じゃ……ない?」
触覚がある。
これは、アビスクロニクルのゲーム中ではありえなかったことだ。
なぜならば、リアビューシステムは最先端の技術だとはいえ、立体映像は立体映像なのだから。
映像に、質量は存在しない。
「ま、まさか、ンなわけあ……っ!!」
マイキーが言葉を止める。
アインツがマイキーの方を向くと、マイキーは人差し指を立てて口元へと持っていく。
(静かに)
マイキーが目配せする。
視線の先に、草むらがある。
草が、風とは違う、不自然な動きをする。
「伏せろっ!」
アインツが叫ぶ。
同時に、数本の矢が、頭上を掠める。
伏せていなければ、当たっていたかもしれない高さだ。
「各員、傾聴!」
ことさら荒らげた声で呼びかける。
「敵は映像にあらず! 現実と認識し、対処せよ!」
それがどういう意味なのか、熟練プレイヤーは、信じる信じないにかかわらず、すぐさまそれぞれの得物を構え、戦闘体制を取る。
ゴム製の板とはいえ、手持ちのものはそれしかない。
心許ないが、今はそれに頼るのみ。
そこまでプレイ経験の無いてろてろは、何が起きたのか解らない様子で、呆けたように立ち尽くしている。
「いいから屈め!」
エレーナがてろてろを引き倒す。
また矢が飛び、地面に突き刺さる。
マイキーが地面に落ちている矢を掴み、放たれた元へダーツの要領で投げ返す。
「ギャッ!!」
草むらの中から声が上がる。
それを合図に、小さい影が草むらから躍り出る。
ゴブリンが5匹。
今までアインツたちが戦っていたゴブリンと、見た目上は変わらない。
刃の欠けたショートソードや、意図的なのか変に湾曲したナイフを手に、ゴブリンがアインツたちに襲いかかってくる。
アインツは、リアビューでエフェクトがかかる前から、ダイキャスト製ではあるが、板金鎧を着ている。
タワーシールドも同様だ。
少なくとも、他のメンバーの装備よりは、防御は厚いと言える。
タワーシールドを横に倒し、左から来る2匹のゴブリンを弾く。
右手はゴム製のショートスピアだが、ゴブリンのナイフでは削りきることはできない。
完全に受けることは難しいが、受け流す分には耐えられるだろう。
アインツは、これらの一連の動きに関し、ゴブリンたちの質量を感じた。
(この攻撃は、本物だ!)
冷たい汗が、背中を伝う。
身体はプレイの中で覚えた動きを再現できる。
これは自分の肉体が覚えたもので、リアビューシステムには影響されないものだ。
アインツは、4匹目のゴブリンのショートソードを、ゴムの棒となったショートスピアで叩き落す。
地面に落ちる前に、そのショートソードの柄を掴んで、切っ先をゴブリンへ返す。
逆袈裟に斬られたゴブリンが、内臓を溢れ出させてその場にくずおれる。
地面の草が、噴き出したゴブリンの内容物でどす黒く染まる。
3匹目のゴブリンが、体勢を立て直しアインツへ襲いかかるが、そのナイフの攻撃を、アインツは奪ったショートソードで弾き返す。
「マジックアロー!!」
タワーシールドで抑えられて尻餅をつく形になっていた2匹のゴブリンが起き上がろうとするが、頭上から魔力で作られた矢が降りかかる。
脳天から串刺しにされ、ゴブリンたちは倒れたまま起き上がることはなかった。
遠巻きに見ていたゴブリンとナイフを手にしたゴブリンは、倒されたゴブリンたちの様子を見て、アインツたちが自分たちでは勝てない相手だと悟ったのか、踵を返して逃げようと試みる。
が、背中を向けた瞬間、飛んできた石が頭に当たり、その頭部は爆竹を仕込まれたスイカのように破裂した。
アインツが振り返ると、マイキーが服の袖を破って作った簡易的なスリングを持って立っていた。
周囲を見渡すが、これ以上敵意を向けてくる存在は無いように見えた。
ひとまず大きな損害も無く、アインツたちはゴブリンの襲撃を退けた。
次回、今の自分たちが置かれた状況を確認するお話です。