107騎 培養槽
魔界の山、瘴気に囲まれた洞窟の内部を進む。
彫像の部屋を抜けいくつかの罠を越え、通路を奥へ奥へと進んでいく。
通路はそれなりに広く、3人横になっても武器を振るう余裕があるくらいの幅はあった。
「警戒を怠るな。今しがたの罠も、下手をすれば命を落としていたかもしれん」
レグルスは周囲を警戒しつつも歩く速度をそれ程落とさないようにしている。
「あれは危なかったですね。まさか大鎌がスライドしたり、炎が噴き出したりなんて大掛かりな仕掛けがあるとは思いませんでしたから」
アインツも同意する。
「のうアインツ。それはともかくとして、この道が少し坂になってやしないじゃろうか」
「そうですか?」
アインツはその感覚がなかったため、水筒の中身を床に少しこぼしてみる。
水は、進もうとしていた方向へ緩やかに流れていく。
「若干、傾斜しているようですが」
すると、後ろから何か大きな重いものが落ちるような音が聞こえた。
「また罠か!」
クロノスはアガダラに聞くが、アガダラは後方の音がした方向に意識を集中しているためあえて相手にしない。
こすれ、転がるような音。
「何か重たいものが転がってくるように聞こえます……、これは!」
明かりが届く距離でかすかに見えるそれは、通路いっぱいの幅の石の球であった。
「あんなものに潰されたら、ただじゃ済まないわよ」
アガダラは、急いで坂をくだろうとする。
「これは……逃げるしかないようじゃが、どうじゃ?」
エレーナも走ろうと身構える。
「ふむ。皆さん、壁に背を当てて床へ寝そべってください。丁度床と壁の間に身体が入るように」
クロノスは平静な面持ちで指示を出す。
「そうか、通路は床に対して壁が直角に建てられておるから、石の球と通路の角に隙間ができるというのじゃな」
「その通り。道幅はおよそ5メートル程度。
あの球は道幅いっぱいに広がって転がってくるところから見て、直径5メートルの円として見た場合、上は気にしないとして一辺の長さが5メートルの正方形に内接する円とすれば、床と壁の角と球体との隙間は、1.35平方メートル程の余裕があるということになる。
球体と角まで1メートル程度は隙間ができるから、身体を横にして角に張り付けば素通りはできるのではないか」
「うーん、よく解らないけれど、言われてみれば確かに結構な隙間があるのね」
アガダラは感覚的に理解した。
「なら、壁に……アインツ、どうしたのじゃ?」
エレーナはアインツを見つめる。
アインツは転がって近づきつつある球に対して、真っ向からランスを構えて立っていた。
「ま、まさか」
レグルスも己の目を疑う。
アインツは鋭い眼光を転がる石の球に向け、仁王立ちをしていた。
ランスには風が何層にもわたって渦を巻いている。
「でいやあっ!」
一声を発し、アインツが球へ猛然と突進をかけた。
「うおおぁっ!」
「な、なにぃーっ!」
アインツの気合いの声とそれを見る者たちの驚きの声が重なる。
石の球が一瞬、動きを止めた。
刹那、耳をつんざく爆発音とともに、石の球は木っ端微塵に吹き飛び、塊だったものが砂利となってうず高く積もる。
「ば、バカな……。罠を力ずくで噛み砕いた、とでも言うのか」
力技といえばここまで極端な力技を見たことがなかったため、レグルスもどう表現したらよいか判らなかった。
「これでは罠を仕掛けた側もがっかりだろうな……」
「慌ててくだった先に落とし穴でもあったら大変でしょう。
これくらいなら鉄の球でも破壊できると思いますのでね、石なら簡単ですよ」
アインツは事もなげに答える。
「オレも力にはかなりの自信を持っているが、いやはや恐れ入ったよ」
レグルスは脱帽し、困ったような笑いが顔に張り付く。
「あら、本当。あったわ落とし穴」
アガダラが坂の途中に見つけた落とし穴の蓋を開けると、中にはたくさんの木の杭が針のような尖った先を上に向けて立てられていた。
「この落とし穴、石と比べて大きさも丁度よさそうね。串刺しにならなくてもあの球が出口を塞ぐことになったでしょうから。
砕いてくれて、助かったわ」
アガダラはため息をつくと、これから向かう先に足を向ける。
「無事済んだことですし、行きましょうか」
アインツは気にも留めずにアガダラの後をついていく。
「やれやれ、とんだ化け物だ」
苦笑するレグルスたちも、それに続いていった。
大仕掛けのトラップから少し歩いたところで、アインツたちは大きな扉の前に辿りつく。
「この先に何があるか判りません。防御魔法はある程度重ね掛けしていますが、注意してください」
アインツが扉のノブに手をかけると、開ける前にメンバーへ注意を促した。
「では、開けます」
アインツがゆっくりと扉を開けていく。
「な、これは」
アインツたちの目に飛び込んできたものは、地下世界では目にすることができない近未来的な設備であった。
「コンピューター……?」
体育館程の広さがあろうかという部屋の中に、いくつものモニターが並び、キーボードが添えられている。
ほとんどの画面が暗くなっているがいくつかは表示をしているモニターがあり、常に何かの図や数値が更新されていた。
そして部屋の奥には、巨大なビーカーのようなものがいくつも建ち並んでいる。
「なんで、こんな、ギルドのコントロールルームみたいな機材がこんなところに……」
クロノスがギルドの制御室やサーバールーム、そしてコントロールルームを思い出させるような光景が目の前にあった。
「ほほう、こんなところまで来るとはな。その努力は認めてやらんでもない」
前方から聞こえる声に、アインツたちは一斉に武器を構えなおす。
臨戦態勢を取り、不測の事態に備える。
大きなビーカーのような物の陰から、1人の老人が現れた。
「おやおやダメだぞう。こんな危ないところにそんな少人数で来ちゃぁ」
老人の目が怪しく光る。
「でもまあ、大人数で来ようが結果は変わらず、だけどなあ。クックック……」
赤紫色の舌がトカゲのようにチロリと唇を舐める。
奥のビーカーが割れるような音を立て、中の水が排水溝へ流されていく。
「ようやくお目覚めか、オレの可愛い眠り姫よ」
老人が後ろへ振り向き、まだ濡れたままになっているそれに声をかけた。
「グルルル……」
奥からまたいくつもガラスの破れる音がする。
現れたのは種々雑多な生命の掛け合わせのようなものであった。
人の頭部がついた犬、人間の手足が生えたライオン、馬の身体に虎と鳥と蛇の顔が生えているもの、そういったパーツの混成された怪物が、ぞろぞろと現れ出てきた。
「キメラか。生命体というにもおこがましい、神に対する冒涜だ」
レグルスは背中の悪寒を感じずにはいられなかった。
「おやおやあ、そんなこと言っちゃって。い~のかなぁ?」
「なにが言いたい!」
「おお、やはりなあ。同族嫌悪というやつかい? 判る、判るよ~、お嬢ちゃん。おじさん判っちゃうんだなぁ~」
「ふざけんなっ!」
アガダラが老人にナイフを投げるが、ナイフは老人の前方にある見えない壁のようなものに阻まれて床に落ちる。
「まったく、いきなりおいたをするなんて、教育がないっていないんじゃあないかい、そこの魔皇さんよぅ」
「なっ、おまえ、オレを知っているのか!?」
老人は、皺だらけの顔を引きつらせて笑う。
「さあおまえたち、ご飯の時間だよ~!」
老人が掛け声を発すると、キメラが一斉にアインツたちへと襲いかかる。
「ご~めんねぇ、こんな狭いところじゃなくて、もっともっと広いところで遊びたかったよねぇ。でもだあめ。君たちはここで死んでもらうから。
は~っはっはっは!」
老人のしわがれた笑い声が、モニタールームに響く。
襲いかかる数体のキメラを打ち倒し、アインツは体勢を整える。
キメラをランスで退けつつ、チームがまとまることのできる場所を確保しようとした。
「無駄無駄。どうせこの部屋の役目は果たされた。思う存分暴れていいからな、オレの可愛い子猫ちゃんたち。
不躾な相手さえ倒せれば、この程度の部屋なんてどうとなろうが構わんさ」
ニヤリとにらむ目が、アインツたちを捉える。
「折角なんだからねぇ、楽しもうじゃないか。ねぇ、魔皇とその愉快な下僕どもよ」
老人の舌が、また一瞬見えた。




