105騎 魔力中和
「ぐふっ……」
背中を槍で貫かれたアガダラが口から血の泡を噴く。
「あ……レグルス様、我が魔皇様。これは、魔力中和……。抜かないと、魔法は効きません」
「解って、解っている……。だが、抜けばおまえは……持ちこたえられまい」
レグルスは回復魔法も操れるが、何度かけても効果が認められなかった。
だが、アガダラが言うように背中の槍を抜けば、その出血とショックで絶命することは火を見るよりも明らかである。
「レグルス、儂がヒーリングポーションを背中の傷口にかける。効果が持続するタイプのやつじゃ」
エレーナがレグルスに提案する。
「このままでは死を待つばかり。一か八か、賭けてみてはどうじゃ」
「バカな。そのような可能性の低い……。失敗すれば、アガダラは死ぬのだぞ」
「それは承知している。じゃが、このまましておってもこやつの命はない」
レグルスがアガダラの手を握る。
「レグルス様、構いません……。どうか、お願い……」
アガダラがレグルスに懇願するが、レグルスはアガダラの手を握ったまま動こうとはしない。
「どけ、迷っている暇はない。オレがやるからおまえはそこで泣いていろ」
クロノスがアガダラの背中に突き刺さっている槍に手をかけようとした時、レグルスがクロノスの手を払いのける。
「オレが、やろう。エレーナ頼む」
「いいじゃろう。ゆくぞ」
エレーナがヒーリングポーションを傷口にかける。
単なる薬草を煎じた物ではなく魔法で加工されているため、通常であれば回復効果が高いものであったが、いくらかけても傷口が癒える様子が見えない。
クロノスがアガダラの口にねじったタオルを咥えさせる。
レグルスはアガダラの背中に刺さる槍を握る。
「いくぞ」
レグルスが投擲槍を引き抜く。
槍の先端に付いた血が軌跡を作り、辺りに噴き出した血が床を濡らす。
「ぐ、むぐぅっ!」
アガダラが苦痛のうめき声を上げ、意識が途絶える。
ぽっかりと開いた傷口に、エレーナがヒーリングポーションの液体を流し込む。
「キュアウーンズ!」
すかさずレグルスが回復魔法を唱える。
見る間に破壊された組織が分裂して、背中の傷口に肉が盛り上がり穴を塞いでいく。
「行けるか……」
傷ついた器官も魔法によって修復され、血液も細胞分裂を促進させることで流された分を補おうとしている。
血の気の退いていた顔にうっすらと赤みがさす。
アガダラの胸が、落ち着いた呼吸によって上下していた。
その様子を見て、レグルスは溜めていた息を吐き出す。
「それにしても、魔力中和の効果が付与されているとは。罠としてもかなり悪質だな」
「それはそうじゃろう。侵入者を排除しようという罠じゃからな」
見た目は似ているレグルスとエレーナが、共に安堵した表情を見せた。
「どれ、少し休むとしようか。流石にこのオレも疲れた」
レグルスは、アガダラの容態が安定したことを見て地面に座り込む。
その時、幻影の床の先で爆発と瓦礫の崩れる音がした。
「なんだ、何が起きた!?」
レグルスたちが目を見張ると、幻影の床の先でアインツがランスを振り下ろしている姿が薄明りの中でかろうじて見て取れた。
「アインツ様! いかがなされましたか!」
クロノスが落とし穴の向こうのアインツに聞こえるよう、大きな声で尋ねる。
「もう大丈夫ですよ。こちらの射出装置は破壊しました」
「そ、そちらへはどうやって」
「私だけであれば、罠の射線外でも空中多段ジャンプでどうにか渡ることができましたので」
構えているランスに嵐の魔神ストーリアの風は纏っていない。
空中ジャンプの際にストーリアの能力を使ったため、力を温存しているからである。
「これで少しは安全になったでしょう。足を踏み外さないようにだけ気をつけてください」
そう言うなり、アインツは行き当たりの壁にもたれかかって息を整える。
「大丈夫ですか、アインツ様」
クロノスが心配する声を聞き、アインツは片手を軽く上げる。
落とし穴の向こうにはアインツがいる。
手前側にはレグルス、エレーナとクロノスがいて、横になったアガダラの意識が回復するのを待っていた。
「よし、それではオレたちも向こうへ渡ろうか。アインツ様が罠を破壊してくださったのだ、足場にだけ気を配ればいい」
「判った。ではアガダラはオレが運ぶ。力であればオレが一番あるからな」
だが、レグルスは魔皇として気張っているものの、姿としてはエレーナとそっくりで身長もそれほど高くはなく、長身のアガダラを抱えて細い足場を渡るにはバランスとしても不釣り合いであった。
骨と皮だけのクロノスに至っては、女性を持ち上げるという行為そのものが不可能に思われた。
「よしっ」
逡巡している様子を見て、アインツが気合を入れ直し細い足場を渡って皆のいるところへ戻ってくる。
「アインツ様、せっかくそちらへお渡りになられましたのに」
足場を渡りながらアインツが答える。
「いいんですよクロノスさん。もう罠は破壊しましたので、足場を通っていけば安心ですから」
皆のいる場所へ戻りアガダラの様子を見たアインツは、これ以上被害が出ていないということに安心したような表情になる。
「アガダラさんはどうですか」
「うむ、落ち着いたようじゃ。峠は越えたじゃろう」
「そうですか。それはよかった」
エレーナの答えにうなずき、規則的な呼吸を続けているアガダラを見てアインツが両手で抱えて持ち上げる。
所謂お姫様抱っこの形だ。
「あ」
エレーナがアインツに聞こえないよう、小声でつぶやく。
「いいなぁ……」
クロノスがエレーナの頭に手を置き、無言で細い足場を渡って行く。
アインツがアガダラを抱えたままクロノスの後に続く。
レグルスとエレーナがそれについていくような形になった。
アインツたちが無事に足場を伝って幻影の床の落とし穴を越える。
マントを下に敷いたアインツが、その上にアガダラを寝かせた。
「エレーナ、アガダラさんの意識はどうでしょうね」
「肉体的な回復は終えているはずじゃ。熱も無く呼吸も落ち着いておるからの。時期に起きるじゃろう」
「判りました。それでは、少し休むとしましょう」
言うや否や、アインツは壁にもたれかかり目を閉じると寝息を立て始める。
「アインツ様は甲羅の魔神を失われたご様子。戦力ダウン以前に、お気持ちの整理ができればよいのですが」
クロノスはアインツの寝姿を見て、心配そうな顔になる。
「心根は優しいだけに、魔神といえども共に戦ってきた仲間じゃ。辛かろうの」
エレーナの言葉に、レグルスが意外そうな顔をする。
「この男は、魔神に対しても仲間として扱っているのか……?」
「はぁ……」
エレーナはため息交じりの声を出し、あきれた様子でレグルスを見る。
「心底お人よしじゃからな。敵だ魔神だは関係ないのじゃよ。
ひとたび仲間と認識すれば、誰かれ構わず仲間じゃと思うとるじゃろうて」
エレーナはアインツの隣に腰を下ろすと、アインツの黒髪をそっと撫でる。
「ほれ、今でも魔族のおぬしと共に行動しておるし、そこな女の心配もしておる。
この朴念仁は、そういう男じゃよ」
「なるほどな。オレは力で魔族をまとめてきた。圧倒的な武力でだ。
だが、この聖騎士はオレとは違うもので相手の心をつかむのかもしれないな」
レグルスが感心する姿を見て、エレーナが自分のことのように喜びの笑みを浮かべる。
「いい男じゃろ、儂の婿殿は」
「はっ、参ったな」
ため息を一つレグルスがついた。
「おまえが惚れるのも解る気がするよ、エレーナ」
レグルスがアインツの寝姿を見て独りごちた。
「オレだって、惚れてしまうかもしれないからな」




