65.ベンフィカ公爵家の人々
ミセスブラウンが必ずいる寮とは違い、自分の部屋にはメイドがいない。
いつまでもバスローブ姿だと風邪を引きかねないので、私がアレフ様の部屋まで着替えを取りに行くことにした。
いくらアレフさまが私の婚約者とは言え、娘の向かいの部屋を用意するのはおかしいと思うわ。
用意したのは、絶対にカナンね。
絶対に、文句を言ってやるんだから!
念のため、ノックをしてから扉を開けた。
ベッドの上に置かれた鞄を見付けて持ち上げる。
鞄から出すより、重さが軽減された鞄のまま運ぶ方がいいわよね。
部屋を出ると、隣の部屋からマキシ様がちょうど出てきた。
「おはようございます。マキシ様。昨日はよく眠れましたか?」
「はい。リリアーナ様は、もう、動かれてもよろしいのですか?」
そうおっしゃるマキシ様の、鳶色の瞳は少し赤かった。
本当はよく、眠られなかったのかな?
「ええ。ふふ。申し訳ありません。車の中で眠ってしまって。私はただ、あの部屋にいただけですのに」
「滅相もございません。リリアーナ様がいた部屋ですが、魔力濃度が異常に濃く、私やロナウド様は足を踏み入れることができませんでした。そんな部屋に10時間程もいたのです。何ともないはずがありません」
魔力濃度が濃いとどうなるんだろう?
マキシ様とロナウドお兄様は、確かにドアのところにいた。
そんなところに、アレフ様とルークお兄様はやってきてくれたの?
「そうでしたの。もう、私は大丈夫ですわ。お助けいただきありがとうございます。よく、私がいる場所がおわかりになりましたね。誰にも気付かれないと思いましたわ」
「偶然ですが、エリクサーを購入した店でイベントのお知らせが聞こえたのです。冒険者資格のない私にも聞こえたのです。不思議なこともあるものですね」
「そうでしたの。今、エリクサーを購入したとおっしゃいましたが、売っていたのですか?」
アレフ様方の目的は、エリクサーだったのよね。
「はい。2個だけですが、購入できました。それで今、アレフレッド殿下を探していたのですが、殿下は部屋にいるのでしょうか? お呼びしても返事が無かったものですので」
マキシ様の視線は知れずと私の持つ鞄に向く。
部屋から出てきた私が持っているのだし、一目瞭然よね。
「えーと。……マキシ様は朝食はお済ですか?」
「いえ、まだですが」
「では、先に朝食をお召し上がりください。その頃には、アレフ様もお部屋にいらっしゃるはずですわ。では、私はこれで」
「リリアーナ様?」
「失礼致します」
私は逃げるように自分の部屋へ戻った。
バレバレかな?
扉にもたれて一息付く。
「リリー、おかえり。どうしたんだ?」
「マキシ様がアレフ様をお探しでしたので、朝食を先にお召し上がりになるようにお伝えいたしましたわ」
「悪いな」
「いえ。それより、早くお着替えください。風邪を引かれますわ」
「ああ。ここ借りるな」
「どうぞ」
バスルームに続く、パウダールームの扉の前でアレフ様は鎖を外す。
上に放り投げてキャッチすると、その鎖を見つめている。
「リリー? さっき、風呂の前に剣が無かったか?」
「剣? ありませんでしたわ。さすがに剣が置かれていたら、私にもアレフ様がご入浴中だと気が付きます」
「そうだよな」
もう一度、鎖を上に投げてキャッチしながらアレフ様が言う。
「その鎖のネックレス、預かりましょうか? さすがに水に触れると傷みますものね」
「え?」
「先程も床に落ちていたから、ウサギさんに掛けておいたのですわ。そこらへ置くのでしたら、私がお預かりいたしますよ」
「さっきは、リリーが近付いても、反応しなかったのか」
「何がですか?」
「これ、マジックアイテムの1つなんだよ。危ないから近付くなよ」
アレフ様が鎖に何かをしたのか、鎖は姿を変えて大きな剣になった。
「今は、俺の意思で変化させたけれど、俺が身に付けていない時に誰かが近付くと、剣の姿に変わるものなんだ。持っていたら自由に変化させることができる、護身用の剣だ」
剣は鎖の姿に戻る。
落ちていたのではなく、見えないように置いていたのね。
それを、私は拾い上げてしまったの。
「では、預かったら危ないですわね」
「そうだな。変化しなかったからと言って、常に変化しないとは限らないから。……さっきは本当にびっくりしたよ。普通に入ってくるし、その」
「そこからは、思い出さないでください!」
「ああ。着替えてくる」
アレフ様がパウダールームに入って行く。
なんで剣に変化しなかったのよ。
……見られちゃったじゃない。
私は鎖にちょっとだけ不満をこぼした。
部屋を出ると、悲痛な表情をしたルークお兄様がやってきた。
怖いですわ。お兄様。
「リリアーナ、体は大丈夫なのか? その、痛くなかったか?」
「ええ。もう、大丈夫ですわ。痛みもありません」
「その、初めてだったのだろう? 辛くはないのか?」
昨日のことよね?
「ええ。ずっと休んでいましたもの。魔力濃度が濃いってマキシ様から聞きましたけれど、身体も元に戻りましたし、平気ですわ。」
「魔力濃度? 僕が聞いているのは、今日、コイツに嫌なことや痛い思いをさせられなかったかってことだよ」
「アレフ様にですか? そんなこと、アレフ様がするはずございませんわ」
「え? そう、なのか?」
ルークお兄様の視線が、私からアレフ様に移る。
さっきから、お兄様は何をおっしゃりたいの?
「アレフ様がそんな方だと、お思いですの?」
「何も、無かった? ああ。そうか、悪いね、リリアーナ。変なこと言って。僕の勘違いだから気にしなくていいよ」
「ええ」
何なの?
急に機嫌よく話し出すお兄様。
「ルーク、さっきから何が言いたいんだ?」
「いや、別に。おお、そうだ。昨日話していたの、協力してやってもいいよ」
「本当か?」
「ああ。冒険者掲示板のは、既にロナウドが調べていそうだけれどね」
「そのロナウドは?」
「多分寝てるよ、きっと。朝、弱いからな」
「そうか。とりあえず立ち話も何だし、部屋に入って話そう」
「いいよ」
アレフ様のお部屋に入って行く2人に、私は声を掛ける。
「私、お飲み物を用意してきますわ」
「頼む」
「かしこまりました」
笑って言うと、私は1階へと向かった。
後ろから、2人の会話が聞こえる。
「本当に何もしなかったんだよな?」
「ルークに関係ないだろ! それに、そんなこと聞くなよ!」
「いや、リリアーナのあんな笑顔、久しぶりに見たからさ」
2人の会話は暫く続き、私が階段を降り始めると、扉の閉まる音が聞こえた。
キッチンに行くと、朝食の片づけで皆が忙しそうにしている。
頼もうか、自分で用意しようか迷っていると、1人のメイドが私に気付いた。
「お嬢様、どうされましたか?」
「飲み物を用意していただきたいの。コーヒーと紅茶でいいかしら? あ、コーラってありますか?」
「はい。ございますよ。お嬢様、私がお運びいたしますから、お戻りになっていてよろしいですよ」
「ありがとう。カップは3客用意してもらえるかしら? 足りなかったら、私の部屋にある物を使いますわ」
「お嬢様、誰と飲まれるのですか?」
後ろから、『馬鹿! 何聞いてるんだ!』と声が聞こえる。
「いいのよ。別に隠すことでもないし。アレフ様と、ルークお兄様、後からマキシ様がいらっしゃるの。後、私の分ですわ」
「え?」
驚くメイドに、私は慌てて説明する。
「別に、ロナウドお兄様をのけ者にしたのではないわよ。ルークお兄様が、まだ寝ているだろうっておっしゃったからなの」
「……かしこまりました。お嬢様、すぐにご用意致します」
「ありがとう。よろしくね」
なぜだか、憐れむような顔をされたのは気のせい?
また、小声でメイドとシェフたちが話し出す。
「邪魔されたな、お嬢様」
「ルーク様もそろそろご自分の身を固めたらよろしいのに」
「朝も邪魔したんだろう?」
「ところが、朝食を運んだニウドが言うには、殿下がお嬢様のベッドで休まれていたって言ってたぞ」
「えー! 私、聞いてないそれ!」
「見間違いじゃないの?」
小声だったのに、盛り上がってきたのか大声で話しだす。
私の話よね?
キッチンを出る手前で、振り返って見る。
「朝食の手配だって2人分だっただろ? しかもお祝い膳って注文で!」
「私が頼んだわけではないのですが」
「カナンが気を回したんだろ」
「ベッドからお嬢様を呼ぶ殿下の声は、男が聞いても色気があったらしいぞ。まだ若いのによ。お召し物も乱れてたって」
「それは、アレフ様の寝相が悪かったからですわ」
「お嬢様が隣に寝ていて、大人しく寝ていられる奴は男じゃねー」
「キャー! 聖女のようなお嬢様に何てこと!!」
「え? えーと?」
「あー。もう、わかんねー奴がいるな。 つまり、若い男女が1つのベッドで夜を過ごしたんだ。その意味がわかんねーのかよ!」
イライラした様子で、1人のシェフが私を振り返って言った。
「え?」
「あ、お、お嬢様!?」
「まだ、いたんですか?」
「あ、うん。まだ、いました」
それって、つまり。
顔が一気に火照っていく。
「お嬢様、その今の話は……」
「あの。えーと、誤解よ! そんなこと無いんだから!!」
「お嬢様、照れなくてもよろしいですわ」
メイドが笑って私を慰める。
「違います! 本当なの。照れてるからじゃありません!」
「どうしたのですか? 客人が来ているのに、騒がしいですよ」
ゴメスさんが入ってきた。
「お嬢様、まだこちらにおいででしたか。お飲み物が届いたのに、お嬢様がお戻りになられないと心配されていましたよ」
「はい。今、戻りますわ」
私はゴメスさんに言うと、キッチンにいる人たちを見る。
「本当に、その、誤解なの。信じてくださいね」
「はい。承知いたしました」
「大変失礼いたしました」
信じてもらえていないわね。
キッチンを出て、ゴメスさんに聞いた。
「あの、ゴメス。朝のことですが、ゴメスは気付いていましたの?」
「なにをでしょうか?」
「バスルームに、アレフ様がいたことに、です」
ゴメスさんは、俯いて話す私の頭をなではじめた。
「扉の前に王家の紋章が入った剣がありましたので」
やっぱり、そうだったのね。
「申し訳ございません。私の判断が間違っていたようでございます。ルーク様のおっしゃる通り、お助けするべきだったのですね」
「助けるって言われると語弊がありますが、教えてほしかったですわ。私、気付いていなかっただけですもの」
「お嬢様は婚約者でございますし、家より外に噂が広まることはないでしょう。ご安心ください」
「ええ」
今はまだ婚約者。
アレフ様も、そう接してくれている。
ただし、それは君セナの設定通りなだけ。
この3年間で婚約解消されるかもしれないのに。
大丈夫、だなんて思うことはできなかった。
お読みいただきましてありがとうございました。




