39.春風の中で貴方と
食後のお茶をいただきながら寛いでいると、さっきまでの騒動で忘れていた、昨晩のことを急に思い出してしまった。
せっかく忘れていたというのに、スイッチが入ったように意識してしまう。
なんなの私?
挙動不審過ぎるわよね。
突然、高鳴り出した心臓を押さえつけるように、腕を胸の前に持ってくる。
どうしよう?
もう、上着はお返ししたし、朝食もいただいたんだから、自分の寮に帰ろうか?
顔を上げると、ティーカップに手を伸ばしていたアレフ様と目が合った。
柔らかい笑顔に、心臓は更に駆け足をするように早くなった。
もうダメ。
今日は帰ろう。
そう思ったのに、中々言葉は出てこなかった。
こんなに恥ずかしくて緊張してるのに、この緊張感を心地よく感じ、もっと一緒にいたいと思う自分がいる。
どうしたらいいの?
紅茶を飲んでも、落ち着くことはできなかった。
「さっきから、どうしたんだ?」
突然の声に、ティーカップから顔を上げると、アレフ様が横から顔を覗き込んでいた。
カッシャーン!
思わず、手に持ってたティーカップを、ソーサーの上に落としてしまった。
「すみません」
「ああ、大丈夫か?」
「ええ。割れなくて良かったですわ」
「リリーが怪我をしてないか聞いたんだよ」
「私も大丈夫ですわ」
「そうか」
頷くと、ホッとした表情でアレフ様が続けて話す。
「何ともないって医師は言ったけれど、もしかしたら、何らかの異変が起きる可能性もあるからな。先程から、様子もおかしかったし」
様子がおかしかったのは、全然関係ないことで、ですけれど。
「大丈夫です。もう、眩しくありませんし、いつも通りですわ。そろそろ戻ろうかと考えておりましたの。起きてすぐ、朝食も食べずに部屋から出されてしまったのですもの」
「部屋から出されたって、何かやったのか?」
メイドたちとのやり取りが脳裏に浮かんだけれど、笑ってごまかした。
「いえ。特には。ただ、アレフ様のタキシードを早く返した方がいいからと、朝早くから出されたのですわ」
「こんなに早く来る必要は無かった思うが」
「ご迷惑ですよね。ふふ」
「ハハハ。迷惑ではないよ。リリーが来たい時はいつでも歓迎するから。まぁ、急いでいる訳ではないのだろ? もう少し、ゆっくりしていけばいいじゃないか」
そう言うと、私の返事も聞かずに手を引いて、ベッドルームへと歩いて行く。
「え? あの、アレフ様」
私を連れてベッドルームに入ると、ドアをパタリと閉める。
「そろそろ戻らないと、ミセスブラウンが心配しますわ。大分遅くなりましたもの。すぐ戻ると思っていたハズですから」
「心配だったら、ここに連絡を入れているだろう。ルイスのことで連絡もしてあるから、遅くなっても問題はない」
「ですけど……!」
私の反論は、途中で止まってしまった。
突然、アレフ様の胸に押し付けられるように抱き締められていたから。
襟足から髪を逆立てるように動く手と、背中に回された手が上下に動かされ、肌が粟立つような感覚を覚える。
何これ?
嫌! 怖い!
突然のことに、抵抗することも何もできない。
なされるがまま、腕の中で震えていた。
「怖い?」
アレフ様の問いに、小さく頷く。
すると、押さえつけるように回された腕の力が緩まった。
「残念、勘違いだったか」
ポツリと呟く。
「え?」
それって?
アレフ様を見上げても、何も話してくれなかった。
「あの。そろそろ帰りますわ」
「ああ。送っていくよ」
「1人で帰れますから」
アレフ様の頬が私の頬に当たる。
「もっと一緒にいたいんだよ。送るくらいなら、いいだろ?」
「……お願いします」
耳元で囁かれる言葉に、私は頷く。
「ありがと」
頬に軽くキスされた。
君セナでは好感度が高くても、キスをするなんてほとんど無かったと思う。
私たちは婚約者だから?
それとは関係なく、私たちの関係が築けている証拠なの?
嬉しいような、でも、今はまだ恥ずかしさが勝ってしまう。
ううん、恥ずかしいだけじゃない。
心臓が飛び出してしまうんじゃないかって思うくらい緊張するし、何も考えられなくてどうしていいのかわからなくなってしまうし。
私は、自分がどうしたらいいのかわからなくて、とてももどかしかった。
アレフ様の背中を見続けながら、無言で歩く道程は、とても遠く感じる。
王族専用の寮を出てからは、あまり話もできずに、ただ歩いていた。
寮が見えてきたころで、アレフ様が振り返って言う。
「魔法のことだけど、また近いうちに行うよ。ナザリトから早くするべきだと、連絡が入っているんだ」
「そうだったんですね。私のことですのに、お手数をおかけしますわ」
「好きでやっているんだから、リリーは気にしないで」
「では、お礼だけ言わせてください。ありがとうございます」
気を使ってくれたのよね。
気まずい空気が消えて2人、笑い合う。
そうしていると、ふと思う。
送ってもらっておいて、このままお別れしていいのかな?
でも、寮は異性の立ち入りが禁止されているのよね?
考えていることが顔に出ていたのか、軽くおでこにコツンときた。
少し触れられただけで、ドキドキしてくる。
「アレフ様?」
「今、何か悩んでいただろ?」
「ええ。送っていただきましたし、何かお飲物でもと思ったのですが、女子寮ですので男子は立ち入り禁止なのですよね」
「それなら、気にしなくてもいいよ。喉も渇いていないから」
「そうでしたか。……なんだか、私のことは全てお見通しのようですわね」
「ん? そんなことは無いと思うが」
心地良い春風が2人の間を通り抜ける。
その心地良さに、私は絶対に後悔することを言い始めてしまった。
「いえ、本当ですわ。先程だって、アレフ様の、……勘違いでは、ありませんもの」
「え?」
驚いた表情のアレフ様を見て、私は自分が何を言ってしまったのかに気付く。
一気に体温が上昇していく感じがする。
うわー! うわー! 何を言い出すの? 私ったら!!
「あの、私もその……。嫌って訳ではないんです。ただ、とても恥ずかしくて、緊張しますし。それに、まだ、早いような気がして」
「リリー」
取り繕うとして、更に墓穴を掘っているようだわ。
名前を呼ばれても、恥ずかしくて目を合わせることができない。
「それに、初めての事ばかりで怖いですし。怖いって言っても、アレフ様が怖いと言うわけでは無くて、その」
何を言っていいのか、どんどんわからなくなってきた。
「あの、送っていただきまして、ありがとうございます。それでは!」
早口で言い、目を合わせることもできずに、その場から逃げ出すように走りだした。
しかし、すぐに体が止まってしまう。
知らないうちに、左腕を掴まれていたのだ。
「あ、アレフ様?」
「その、多分、周りを見ないで走り出しかねないと思って。近くに木が生えているし、危ないから」
いつの間に腕を掴まれていたのか、全然気付かなかった。
決して強くはなく、振り払おうと思えば簡単に振り払うこともできる、そんな強さだ。
振り返らずに、私は言う。
「本当に、何もかもお見通しみたいですわね」
「そんなことはないよ。話してくれなかったら、わからなかった。リリーに嫌われたかと思っていたところだ」
ふわっと、包まれるように抱き締められ、体がビクッと震えた。
「これもまだ、ダメなのか?」
「全身が心臓になったようで、耐えられませんわ」
「それは、俺も同じだよ」
意識してみると、背中から少し早い鼓動の音が伝わってくる。
「余計、恥ずかしくなるような事、言わないでください」
「悪いな。だが、少しは慣れてくれたら助かるよ」
「慣れるなんて無理ですわ」
「頼むよ」
返答に困っていると、抱き寄せられる。
「キスは挨拶だから。慣れないなんて言わせないよ、いいね?」
お読みいただきましてありがとうございます。




