4色『HLHR』
5月の初め、贄浪学園に最初のイベントが訪れる。
それが1週間に渡って行われるHR、通称HLHRだ。
ここ古町は太平洋に浮かぶ人口30万人の島である。
とは言っても贄浪学園のように学校があり、小中高はもちろん大学もある。
さらには商店にショッピングモールまで存在する、とても潤った場所だ。
ショッピングモールにはゲームセンターや映画館、専門店街もしっかり入っており、飽きることはない。
しかしそれではHRとして物足りない場所であるのもまた事実。
そこで贄浪学園は船を手配し本土まで行くことを可能としたのだ。
移動時間と生徒の満足度を考え抜いた結果、1週間という長期間のイベントとなったのだ。
そして1-Bも、例に漏れず、クラスで行き先を決めていた。
「候補はこの5つです。3分後に多数決を取るので近くの人と相談してくださーい」
クラスの正代表が告げると、教室内は一気に騒がしくなった。
あれがいい、これがいいと言う声が満ちる。
自分の席を離れた瀬那は、目的の席の元まで歩いて行き、呆れたように小さくため息をついた。
どこからともなく鉄扇を取り出すと、情けない顔をして爆睡している美玲の額を思い切り叩いた。
ペシッ、ではなく、バシッ、と音が鳴る。
「風紀委員副委員長が聞いて呆れるな」
「……はぁ。哀川くんもすぐにそれで叩くのやめてよ。イケメンランキング1位の名が泣くよ」
「そっくりそのまま返してやる」
余談だが、この学校には生徒たちの間でまことしやかに作られているあらゆるランキングが存在している。
その中で最も注目を集める『イケメン』ランキングで、瀬那は堂々の1位を飾っているのだ。
同じくして美玲も『美少女』ランキングで1位を獲得している。
学校1の美男美女がともに風紀委員として活動することになった話は、贄浪学園で知らぬ者はいない。
そんな彼らと共にいる要はと言うと、男勝りな性格が祟ってか『黙っていればいい人』ランキングやら『残念な美形』ランキングやら『微少女』ランキングやらで1位になっていた。
「とにかく、私はこう言う決め事が嫌いなの。どうせ3分後には勝手に決まるんだし」
「僕が言うのもなんだけど、せっかくの学校行事だし、クラスで初のイベントなんだから楽しもうよ」
諭すように告げる要だが、その視線は手に持った本から離れることはない。
本当にお前が言うな、という雰囲気満点であった。
全く使い物にならない委員に呆れた委員長は、仕方なしに鉄扇をブレザーにしまうと美玲の机に腰掛けた。
黒板に書かれた5つの候補を眺めながら時間が過ぎるのを待つ。
「では多数決を取ります」
その一言で騒がしかった教室が静かになる。
正代表が1つずつ候補を読み上げては挙がる手の数を数える。
なんだかんだ言っても美玲や要、瀬那もちゃっかりとどれか1つで挙手していた。
5つだった候補が3つまで減る。
「デステニーワンダー、デステニーイリュージョン、デステニーファンタジア、か。妥当なとこだけど、こっからさらに絞りますよ」
一斉にブーイングが起こった瞬間だった。
デステニーワンダー、デステニーイリュージョン、デステニーファンタジアは日本最大のアミューズメントパーク・デステニーワールドに属するテーマパークだ。
人生に一度は一気に全てを回りきり遊び尽くしてみたいと誰もが思う、そんな場所だ。
ふと、美玲がひらひらと手を振った。
「ねーね正代表、せっかく1週間も本土に行けるチャンスでさクラス費も大量に出るんだからワールドホテルでもとって全部回ろうよ」
「その意見、俺も賛成だ」
「確かにせっかくの機会だし、そうしようよ」
美玲の意見に瀬那が乗っかったことでクラスの空気がその提案の方へ流れ出した。
初めは渋い顔をしていた正代表も半数がその流れになったのを見て折れてしまった。
「一応、先生にかけあってみます」
刹那、教室は沸いたのであった。
☆
「それでOK出ちゃうんだから凄いよねぇ」
甲板の上で美玲は思い切り伸びをする。
心地よい潮風が彼女の長い栗髪を優しく撫でる。
隣には、いつの間にかいることが当たり前になった要と瀬那の姿もある。
先ほどまで見えていたはずの古町もすでに地平線の向こうへと姿を消している。
青い空を見上げると、白いカモメがたくさん飛んでいた。
中には甲板に降り立ち、それに気づいた生徒撫でられているカモメも何羽かいる。
平和だ。
そう思えた。
白鳥に餌付けするわけでもなしに、なぜか食パンをカモメに与えようとしていた要が甲板を走り回って瀬那に鉄扇で叩かれるという光景もなくはなかった。
その後に瀬那に引きずられて部屋まで連行されそうになる彼女の姿もあったわけで。
どさり。
その音は突然で唐突だった。
重いものが落ちる音、もしくは何かが倒れる音。
誰もが初めは不思議に思った。
「美玲!!」
最初に気付いたのは要だった。叫んだ彼女の視線の先、甲板の柵のすぐそこに美玲が横たわっていた。
要が駆け寄り、瀬那も慌てて後を追う。
「砂月! 大丈夫か!」
「美玲しっかり!」
抱き上げた美玲の体は小刻みに震え、顔は青白く、どこか焦点も定まっていない。
事態を聞きつけた保健医が彼女を運び出して少し経つまで、そこは騒然としたままだった。
☆
瀬那と要は固まっていた。
倒れた美玲を心配して保健室に駆け込んだのだが、そこで見たのは幸せそうに寝息を立てる彼女の姿だったのだ。
しかも容態を聞けばただの船酔いだとか。
「うーん、むにゃ……あれぇ、哀川くんだぁ」
腑抜けた声とともに美玲が目を覚ました。
無防備すぎるその姿に思わずほっこりしそうになるが、逆に今までの心配を返せとも言いたくなる顔だった。
「で、大丈夫なのか?」
「だめぇ……あぅ」
船酔いと雖も侮るなかれ、と言ったところか。
見た目以上にきているらしく、心なしか倒れた時よりさらに顔色が悪い。
要と瀬那を見る瞳も少しふらついていた。
「もう少し休んでいろ。弱気な顔すんな」
ひたり、と瀬那の冷たい手が美玲の額に当てられる。
美玲が二ヘラと笑った。
「えへへ、なんか哀川くん王子様みたい」
「はぁ?」
「……ねぇ哀川くん、おやすみのキスしぐはぁっ」
「…………心配した俺が馬鹿だった」
流れる動きで取り出された鉄扇は鈍い音を立てて美玲の鳩尾に食い込み、文字通り少女を深い眠りへと誘ったのであった。
鉄扇をブレザーにしまった瀬那はさも何事もなかったかのように保健室を後にした。
唖然とする保健医をよそに慌てて要もそのあとを追う。
「哀川、幾ら何でもやりすぎなんじゃ」
「知るか」
どうやら美玲は普通に瀬那を怒らせたご様子でした。
呆れてため息をついた要は、ふと制服から学校支給の端末を取り出した。
データから船内の地図を引っ張り出す。
「どうかしたか?」
「いや、時間つぶしになる場所はないかな、と思ってね」
甲板を含めて5階構造のこの船は果てしなく広い。
次の団体行動まで時間が有り余っているためにどこか良い場所でもないかと探してみたのだ。
瀬那も自分の端末を取り出して探し始める。
そして、2人の指が同時に止まった。
視線の先は、互いに同じ。
「カジノ、か」
「そう言えば古町にも最近できてたね」
「ああ。気になってはいたが」
果たして高校生がカジノなどに行っても良いものか。
要も瀬那も、思うところはそこだった。
ましてや2人は風紀委員、ばれて咎められでもした面目丸潰れというやつだ。
風紀委員という肩書きが2人を迷わせていた。
「仕方ない、な」
そう呟いたのは瀬那だった。
要が見上げた時、彼の藍色の瞳が悪戯に歪んでいた。
「行くぞ志茂月」
「えっ、いいのか?」
「まあ俺に任せろ」
足早に歩き出してしまった瀬那を慌てて追いかける。
任せろと言われて何を任せればいいのか。
そうは思ったがカジノに行きたいのは事実だし本心であったので、黙ってついていくことにした。
数時間後、カジノが驚愕と歓喜の渦に巻き込まれることは、誰も知らない。